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心配性も悪くない?!防災士になって考えたこと

私はかなり心配性です。不安になり過ぎて疲れます。だから、こんな自分がいやだなと思うこともありましたが、防災士となった今、むしろこの性質が活かせるのではないかと思えるようになりました。

1995年 阪神淡路大震災

私が最初に地震の恐怖を知ったのがこの地震です。当時は東京にいましたが、テレビで見る地震後の映像に小学生ながらに強い衝撃を受けました。

「関東大震災が起こったのが1923年、70年以上経った今、東京にも神戸のような、大きな地震がいつ来てもおかしくない」

阪神淡路大震災をきっかけにそんなことをよく耳にするようになり、以来ずっと怯えてきました。

そして

2011年 東日本大震災

この時は、すでに社会人で都内のビルにいました。高層ビル特有の船に乗っているかのような揺れの感覚はいまでもよく覚えています。電車が止まり、帰宅できなかったため、オフィスで一晩過ごすことに。翌日、神奈川の自宅に帰ると食器がいくつか割れていました。

そして、皆さまもご存知かと思いますが、東北や関東北部の沿岸部での津波の様子をテレビで目にし、ただただ呆然となり…

阪神淡路大震災では建物が壊れたり、火事が発生したりといったイメージが強かった地震ですが、東日本大震災では、さらに津波の恐怖も加わり...

と、私の中で、地震への恐怖はどんどんと積み重なり大きくなっていきました。

不安と恐怖、でも何もしないという矛盾

その後も大きな地震がある度に、怖いという思いは募るものの、具体的にどうして良いのかわからず、とりあえず防災リュックを買って、そのままという状態でした。

「怖い」という感情だけは持っているのに、何もしていない自分。
いつか準備しなければ、でも、今起こるかもしれない。
考えなきゃ、でも考えたくない

そんなグラグラした気持ち、漠然とした思いを抱いていました。

子どもを産み、母となってから、さらに不安は募るばかり、

この子を連れて、逃げられる?
何かあった時、この子を守れるのは私だけ。何かしなくちゃ。

やらなきゃいけないと思いつつ、何から始めればいいのか、とついつい後回しに。

そして、

2015年関東・東北豪雨(鬼怒川の決壊)

家に取り残された人々の映像、怖いのは地震だけではないと思い知らされます。ちょうどこの頃、防災士の存在を知りました。

ただ怖がるだけではなく、少しでもできることがあるなら、きちんと知っておきたい。そんな気持ちから防災士の研修を受講したいと思うように…

まだ子どもが1歳になっていなかったので、「子どもがもう少し大きくなったら受けよう」なんて思っていたら、夫の海外行きが決まり、先延ばしになってしまいましたが、今年3月に帰国。色々な縁も重なったことが後押しとなり、6月末、防災士の研修を受講し無事に合格しました。

気づけば、受講したいと思ってから7年もの月日が経ってしまいましたが、受講して本当に良かったです。


講義で印象的だった言葉の一つが

「災害を正しく恐れる」

です。

それまでの私は災害を闇雲に恐れていたような気がします。

研修では知っていることで救える命があることを学びました。

阪神淡路大震災では死因の多くを占めたのは倒壊した家屋や倒れた家具による圧死、多くの方が揺れの直後に亡くなっています。
建物の耐震性を上げたり、家具を固定したり、物の置き方を考えたりするだけでも落ちてきたもので怪我をする、倒れた家屋に潰される可能性を減らすことができます。
東日本大震災では、防災教育を受けていた子どもたちが率先して、避難し、それにつられた周囲の住民も、一緒に逃げて、津波を逃れたというお話もあります。生徒たちは、津波のハザードマップを認識しつつも、想定外のことが起こることも学んでいたため、自ら考え、当初の避難予定だった場所からさらに高い場所を目指した結果、たくさんの命を救いました。これは釜石の奇跡として知られています。
残念ながらこの奇跡の裏には、悲しい事実も存在します。同じ釜石でも、ハザードマップを信じて、避難しなかった方々は津波に飲み込まれてしまいました。ちょうど危険とされる範囲との境界線の外側にいらした方々だそうです。もし、ハザードマップはあくまでも目安、想定外のことが起こりうると知っていたら…

亡くなられた方を責める意図は全くありません。ただ、現実をしっかりと見つめ、このような悲しい事実があったことを、今、生きている私たちがきちんと心に留めて置く必要があると思います。

相手は自然。知っていても、どうにもならないこともあるかもしれません。それでも、もし知っているだけで救える命があるのであれば、被害を少しでも減らせるのであれば、知っておきたい、備えておきたい、それが防災士研修を受講した今の気持ちです。

「私は心配性です。」と書きましたが、防災士となった今、この心配性という自分の性質をただ不安になり、怯えるのではなく「正しく恐れる」という方向に活かしていけるのではないかと思えるようになりました。

以前は「今、地震が起こったらどうしよう」とただ心配するだけでしたが、今は、防災館を訪れたり、防災セミナーに参加するなどして、より具体的なイメージを掴むようにしています。もし地震が起きたら、豪雨になったら、火事が起こったら?と想像し、これがあったらいいかも、こんなことで困るかもしれないと考えること、準備することにおいて、自分の性質が役に立つような気がしています。

結びに

防災士の最初の受講動機は、自分や家族のためでした。

ですが、防災を学べば学ぶほど、地域とのつながり、社会全体で取り組むことの重要性を強く感じています。

そして、それは偶然にも今、私が取り組んでいるISSHO NIというプロジェクトのみんなで子育てする文化&環境づくりを目指すという考え方との共通点も多く、何か自分にできることはないかと模索しているところです。

最近は考えながら走るスタイルなので、とりあえず、やってみよう!精神で子育て家庭向けの防災情報の発信をすでにスタートしています。

まだまだひよっこ防災士ですが、だからこそ持てる視点もあると思っています。むしろみなさんも一緒に巻き込みながら、というかみなさんのお力を借りて、防災に取り組んでいけたらという思いでおります。

「なんかあの人、防災のこと言ってるなー」でも構いません、少しでも防災のことを頭の片隅に置いていただけたら幸いです。

これまでにISSHO NIで書いた防災関連記事をこちらにご紹介します。もし気になるものがあれば、覗いてみてください!そしてISSHO NIもフォローしていただけると大変励みになります。

最近、こちらの個人アカウントはすっかり読み専用になりつつありますが、私にとってnoteはとても大切な場所なので、自分の思ったこと、気付きや学び、時々おふざけ、など個人的な話をきまぐれに綴っていけたら…と思っております。

引き続きよろしくお願いします!

お読みいただきありがとうございました。

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