テキストプレースホルダのコピー

お寺のソーシャルデザインを安心して忘れるために書きとめる。

昨日に開催した、お寺のソーシャルデザイン。寝て、いま浮きがってきた感想や問いについて書きとめておく。一度忘れるために。

お寺の社会の射程

お寺のソーシャルデザインというときの「社会」ってなんだ、どこだ。国家なのか、都道府県なのか、市町村なのか、集落なのか、檀家との関係なのか。

仏教教団の大きな動きとして、これまで仏教やお寺とご縁のなかった人たちと、どう接点を持つかに、悪戦苦闘している。大きなマスに目掛けたアプローチ。しかし、全国各地にある各寺院からすると、それよりも対象となるのは、檀家や集落のコミュニティ。寺域ともいえる。そのある意味閉ざされた公共性のなかでの視点も重要。

また、日本仏教の特徴として葬式仏教と揶揄されるが、死者儀礼を抜きにお寺は語れない。そう思うと、生きている者だけでなく、死者も含めた関係性のなかで、社会を捉えることもできよう。先立って檀家の先代の住職の想いなどを踏まえて、お寺の役割を考える視点。先祖代々受け継がれてきた世襲制の特徴をポジティブに活かす。

従来の活動を否定するのではなく、コアな部分は大切にしながら、時代にあわせて変容させていく視点。「ほしい未来をつくる」というgreenzの以前のキャッチコピーにも通ずる。あるいは、エルメスやとらやのようなオーナー企業の特徴としてある理念やビジョンを重要視する在り方とも相性が良いだろう。また、ソーシャル・キャピタルで指摘される、お寺のbeingにもリンクする。

参加者がTwitterに投稿してくれたコメント。

うん、そうだな。

葬式仏教

葬送儀礼を担ってきた日本仏教のその営みは、すでに、ソーシャルデザインといえるのではないか。大切な方を亡くした苦しみ悲しみの喪失感を、癒やす、揉みほぐす装置としての宗教儀礼。現代的に言えばグリーフケアとしての宗教儀礼。特に七日七日の中陰や年忌法事のお勤めのタイミングはグリーフケアの観点からもとても効果的なそうで、キリスト教圏でもセレモニーとして、その宗教儀礼のタイミングが取り入れられていることもあるそう。

もちろん、政治的な思惑などあっての葬式仏教の成立なので、仏教者の想いだけで始まったわけではないが、それが組織化されて本日まで脈絡と受け継がれてきたことには、それなりの社会的な意義があったのだと思われる。

信仰共同体

苦難の多い人生を歩むうえで、宗教的な信仰をもつことは、よりよく生きるうえで、悪くないリソースだと思う。同じ信仰をもつ人たちが集う、お寺や教会などの共同体も、ソーシャルデザインといえるのではないか。

僧侶のモチベーション

個人の想いとしては、結局、お寺で社会性のある活動を生み出す上で重要な視点は、僧侶がやりたい、という想いだと思ってる。

だけど、greenzの元編集長で、勉強家の兼松さんが「ソーシャルデザインをやっている人たちにインタビューをしていると、導かれる感覚、笑ってやらされている感覚をもっている人が多い」とのこと。

確かに、個人のいまのその想いにフォーカスしがちだけど、その想いにいきつく背景やその人の歴史を鑑みると、僧侶としての職業倫理性や、世間がお寺に求める期待や在り方、寺族や檀家の先祖からの想いが混在している。

確かに、僕もそうだ。4歳ぐらいのときに「私が死んだときは坊っちゃんにお葬式をしてもらうように約束ね」と言われ育ってきた。僕は他の跡取りと比べるとかなり自由だったが、住職後継者の期待は良い意味で感じて育ってきた。もう10年前になくなったじいちゃんに「お寺の者は檀家さんにお布施をいただいて、ご飯を食べさせてもらっている。だから、檀家さんの想いをしっかり聞いて、恩返しをしていかなにゃならん」みたいなことを言われた。ある意味、お寺に生まれて育ってきたからこそ、知らず知らずのうちに染み付いた周囲からの期待やニーズを受け止めて、それを楽しみながらやっている感覚がある。そうやって、一定のタガや束縛がなければ、継続しないのもしれない。利他性。されには、そのような束縛をポジティブに解釈する能天気さも大事な気がする。

手触りの感のある課題

むつみ庵や應典院の活動を聞くなかで、社会変革を目的に活動があるのではなく、檀信徒の課題や困りごと、あるいは「もっとこうなったらいいやん。誰もしてくれないから自分でやるしかない」みたいな手触り感がある。

お寺「は」ソーシャルデザイン

兼松さんが感想で仰ってくれたことだが、お寺の意義や在り方をソーシャルデザインというフレームで意味づけるのであれば、それは「お寺はソーシャルデザイン」なんじゃないの、と。確かに。

概念をむすぶこと

領域や概念の違うものを結びつけ相違点や類似点を考えることによって、新しい切り口や視点が増えるのは面白いなーと思いつつ、それが実生活にどう影響するのかとか、それによって新しい概念が生まれるのかとか気になる。

もちろん、それは受取側(すなわち、僕の)の問題でもあるとは思うが、領域をまたいだものを結びつけることで、生まれるその効果や目的について、どこを目指してるんだ、みたいなことを、大まかでも良いので方向性をもっておきたいなーと感じる。

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