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手書きの文字は心を映す。

久しぶりの更新になってしまいました。2021年は下半期は全国各地にお仕事で出向いておりやっと落ち着いてきました。今週一週間も終わり、久々の深夜のnote更新です。本日は、手書きについてのお話。

手書きって、スマホやPCが普及してかなり減りましたよね。年賀状も出さない時代になってきました。それでも、まいにち手帳を書いたり定期的にお友達と手紙のやりとりをしたりと手書きを大切にしています。第一弾は中学校の先生と手帳のお話です。

心に残っている担任の先生の一言

私には忘れられない先生がいる。中学校1年と2年の時の担任だった岡本先生だ。当時40代後半だったベテランの女性の先生。
私の地元はいわゆるやんちゃな子が多く、先生たちもそういう子たちに目が行きがちだった。一方私は目立たない普通の学生だった。

先生がとある朝、「こよみ、ちょっときてごらん」呼び出されて私に伝えたことが『最近どう?楽しい?』『1年生の時と比べてあなたの字が荒れているのが気になるの。手書きの文字は心を映すのよ。』という言葉。

1年生の時は難なく学生生活を過ごしていたが、2年生になって部活の子からは無視され、家に帰っても自分の部屋はないし、思春期で親と特に話す気も起こらず、居場所はゲームと音楽に没頭している時だけという生活が一定期間続いていた。反抗期は特に激しくなかったけれど、心は荒んでいた時期だと思う。
誰にも特に話していなかったのに、先生は「私の文字」で気づいたのだ。クラスでも目立たない存在なのによく見てくれていたんだなと今になって思う。

「字が変わったかなんて自分では全然わかんないけど(笑)」
『今はわからなくていい、そのうちわかる』

(そのうちっていつだよ)と荒れた14歳の私は思いながらその場を去ってしまったけれど、言われた言葉はその後ずっと15年以上心のどこかに残っていて手帳を書き始めた30歳でまた思い出すことになる。

30歳を機に手帳を始めたときの話

2020年の冬、30歳になった。節目だし、何か新しいことを始めたいと思ったそのうちの一つが手帳を書くことだった。元々文房具が好きだったことや、20代の頃の経験とか思いとか書き留めておけばよかったなとふと思うことがあったからだ。マスクが手放せないご時世のことも記録しておいて、10年経って見返したら面白いかもしれない。

そういう想いもあり誕生日を迎えた日あたりから手帳を書き始めた。始めてみたら楽しくてすっかり習慣に。色んなシールや紙もの、はんこを集めるのも趣味になった。
半年たった頃、今まで書いた手帳をなんとなく振り返ってみることにしました。もはや半年間のことなんて何日間かの出来事しか鮮明に覚えておらず、毎日生きてるのに意外と手帳に書いた出来事を見ないと思い出せないものだな…と思いながらぱらぱらめくっているとあることに気づいた。

“あれ、この期間すごく文字が雑”

ある一定の期間だけ手帳のページが綺麗じゃなかったのだ。なんでだろうと思って内容を読むと仕事が忙しかったり体調が悪かったりと心の余裕がないときだった。なんかこの感じ前に経験したことがある。

『あなたは去年と比べて字が荒れている。手書きの文字は心を映すのよ。』

by岡本先生

手書きの文字は心を映す。そう、岡本先生の言葉だ。15年以上すっかり忘れていたが思い出さないだけで、かけられた言葉は良い言葉も悪い言葉も心のどこかに残っているのだ。

文字が雑な期間の状況や感情を思い出してみる。そこで気づいたこと。仕事が忙しい時は、手帳を書くことも正直面倒くさくて「日々を残そう」という気持ちより毎日書いてるからという理由だけの「作業」という感じで適当に手帳を書いていたなと。無意識に、心の余裕の無さが文字に出ていました。

岡本先生が『いつかわかる』と言っていたけれど30歳にしてようやく意味がわかりました。気づくのが遅い!と言う先生の顔が目に浮かびます。

今では「手書きの文字は心を映す」という言葉は私の中の大切な言葉になっていて、おかげで去年よりずいぶんと字がきれいになった気がします。少し雑になるときもあるけれど私の心のサインだとわかるようになってから、一週間振り返って字が雑だと感じたら好きなcafeに行ってみたり、ゆっくりお風呂に入ってみたり。息抜きの時間を取ることにしました。

今年も手書きの文字で自分自身の心の変化も楽しみながら2022年を過ごしていきたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。
去年の手帳を掘り出したときに、お友達とやり取りした手紙が何通か出てきたのですが、長くなりそうなので手紙の話はまたいつか。

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