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ルール違反

ルールを守ろう。

生まれて何度聞いてきた言葉だろう。
ルール、校則、法律、決まり事、約束
様々な形式で様々な縛りがある。
これは人間が人間と共に生きていくうえで必要なものだと思う。
深夜の交差点、どんなに車通りが無くても赤信号では止まるし、バスの運転手さんにはお願いします、ありがとうございますを言うようにしている。
マナーやルールは比較的真面目に守ってきたつもりだ。何の疑問も抱かず、ルールを忠実に守る自分に誇りさえ感じていた22歳、壁にぶつかった。

それは就職活動
黒髪のまとめ髪、メイクは薄め、黒白スーツ、にっこり笑顔ではきはきと!
宗教活動の間違いかと思った。
貧富の格差を表立たせない為とか諸々の理由もあって(これもどうかと思うが)今までは学校のなかで校則といった縛りがあった。
そのため皆がみんな同じ服を着ていても何も感じなかったが、就職活動はカラコンNG!髪は黒!こんな決まりはないはずなのにこれをしないと大抵落とされる。
見た目に対して指定はしていないけどわかるよね?という社会からの圧
社会的にみる見た目の好印象はこうなんだろうなと納得する反面、やっぱり気持ち悪い。そこまで個性殺す必要あるか?これから何十年定年になるまでこんな見た目で働かなければならないのか?と絶望したことを鮮明に覚えている。


予備校時代の学科の先生は髪色が緑だった。
ついでに眉毛もなかった

はじめをびっくりしたものの先生の授業はわかりやすく、声も可愛くて授業開始数分で見慣れた。今更ながら結構好きだったなとふと思い出す。
自分の顔にあったリップやアイメイクで、スーツの色も骨格やパーソナルカラーによって選択肢があっていい。イエベ春の人なんかは髪色は真っ黒より絶対ライトブラウンの方が顔が綺麗に見える。
髪の毛緑で就職したいとは言わないが、自分をよく見せるための努力はしていいんじゃないだろうか。これから社会人として何十年仕事をしていくならなおさらだ。

そんなことを考えながら、就活大戦争を戦い抜いた私はどういうわけかうっかり見た目の制約が一番強い職業につくことになってしまった。
やりたい仕事ではあったものの、世界一可愛くない私で働かなくてはならない。もうすでに上司から見た目のことに関して怒られている。(やばい)
正直なことを言うと私がこの仕事を辞めるとしたら、見た目の制約に耐えられなくてかもしれない。


法律を破りたいわけじゃない、不良ぶりたいわけでもない、
自分が楽しく仕事をするために可愛い自分でいたい
本当にただそれだけなのだ。
ただそれだけが許されない現状にあることを理解していながらも受け入れられず、日本の息苦しさを肌に感じている。
いきなりアメリカを見習えとは言わないから、もう少し人生に遊びを持たせても良いのではないだろうか

そんなことを考えながら
私は就職するまでの残り数か月
厚底のブーツで赤信号を待ち、青い髪なびかせながら横断歩道の上を歩くだろう。



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