
カムパネルラに乾杯を
● 今宵堂の酒器展 「カムパネルラに乾杯を」
2022年 7月29日(金)~ 8月9日(火)
10:30 ~ 18:30(最終日は16:00まで) 木曜/第1・3水曜定休
会場 / shop+space ひめくり
盛岡市紺屋町4-8
電話 / 019-681-7475
※ DMはこちら
久しぶりに賢治の『銀河鉄道の夜』をめくったこの夏。
あらためて読んでみると、独特な言葉やその流れは、
どこか掴めなくふわふわしていて、
晩酌後のほろ酔いの時間のようでもありました。
旅は道連れ、銀河鉄道に相席したジョバンニとカムパネルラ。
彼らがそのままおじさんになっていたら、
酒場でも杯を合わせていたでしょうか。
ふたりの旅は、「友」を再認識する旅程。
彼らが旅したなんだか不思議な物語の景色を
ふわふわした気持ちで酒器に映してみました。
夏の酒を注いで、星空の下の小さな乾杯をどうぞ。


旅のお伴は一冊の文庫となつかしのこの容器。
酒を注いだなら八勺の按配で発車オーライ。
Ⅰ 天の川

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
先生は、黒板に吊るした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問いをかけました。
「銀河鉄道の夜」の書き出し。授業中のこの先生の問いかけからジョバンニの旅はスタートします。
Ⅱ 活版所

「これだけ拾って行けるかね。」
ジョバンニはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たい函をとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁の隅の所へしゃがみ込むと小さなピンセットでまるで粟粒ぐらいの活字を次から次と拾いはじめました。
籠った灯りの中で文字を拾う独り寡黙なアルバイト。ジョバンニの孤独性を感じるその時間は、その後の友との旅の喜びへとつながるシーン。
Ⅲ ケンタウル祭の夜

空気は澄みきって、まるで水のように通りや店の中を流れましたし、街燈はみなまっ青なもみや楢の枝で包まれ、電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、中に沢山の豆電燈がついて、ほんとうにそこらは人魚の都のように見えるのでした。
「ケンタウルス、露をふらせ。」
それは、祭りの夜。星巡りの口笛を吹いたり花火を燃したりして遊ぶ子らの側を独り深く首を垂れて駆けてゆくジョバンニ。黒い丘に登り賑やかな街の灯りを眺めた後・・・不思議な旅立ちの刻は訪れます。
Ⅳ 天気輪の柱

そのまっ黒な、松や楢の林を越えると、俄にがらんと空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へ亘っているのが見え、また頂の、天気輪の柱も見わけられたのでした。つりがねそうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢の中からでも薫りだしたというように咲き、鳥が一疋、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。
賢治の文には謎の言葉がちらほら現れます。でもそれをなんとなく読み流してしまっているのは、酩酊後にへらへらと相槌してるのと同じ・・・?酔ってしまえば細かいことはどうでもよく。
Ⅴ 銀河ステーション

そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃い鋼青のそらの野原にたちました。いま新らしく灼いたばかりの青い鋼の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。
不思議な字面を辿っていくと、いつのまにか駅へそしていつのまにか銀河鉄道に乗車して・・・と読者はすでにかなり酔わされながら誘われ夜空へ。
Ⅵ 天の野原

「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」
カムパネルラが、窓の外を指して云いました。線路のへりになったみじかい芝草の中に、月長石ででも刻まれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いていました。
銀河鉄道の旅中、時々現れるりんどうの花。「悲しんでいるあなたを愛する」という花言葉は、なんとなくこの物語を象徴しているようにも思えます。
Ⅶ 白鳥の停車場

その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架がたって、それはもう凍った北極の雲で鋳たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。
「ハルレヤ、ハルレヤ。」
前からもうしろからも声が起りました。
銀河鉄道が巡るのはいくつかの星座駅。車窓から見えるのは具体的な表現ながらもかなり抽象的な景色。天文学に基づきながらも賢治が連れ出してくれるのは想像という旅。
Ⅷ プリオシン海岸

向う岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火のように思われました。
車窓から眺めた地に降りたち、その描写は細部へと。遠景と近景を揺り動かされながら夢の中を歩くように続くジョバンニとカムパネルラの道程。
Ⅸ アルビレオの観測所

黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸レンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環とができました。
白鳥座の二重星にあるその建物を現すために、賢治はいくつもの読点を重ねます。字面とともに黄・青・緑と色にも惑わされる表現。それは水の速さを測る場所でした。
Ⅹ 蝎の火

まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔ったようになってその火は燃えているのでした。
「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」
オリオンを追いかけるように天を進む蝎。でも「銀河鉄道の夜」の中では命を奪うことへの懺悔の物語として描かれます。後悔の色を纏い静かに燃える紅の色。
Ⅺ そらの孔

「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」
「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄に窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。
南十字の方角にある暗黒星雲・石炭袋(コールサック)。その宇宙に空いた穴に畏れを抱きながらも「一緒に行こう」と奮うジョバンニ。でもその先にある野原が見えるのはカムパネルラだけでした。銀河鉄道の旅の終わり、ふたりが交わした最後の会話。
Ⅻ マジェランの星雲

ジョバンニは唇を噛んで、そのいちばん幸福なそのひとのために、そのマジェランの星雲をのぞんで立ちました。
「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道ではなしに本当の世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐ歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つのほんとうのその切符を決してお前はなくしてはいけない。」
ここまで物語に沿ってその景色を器に映してきました。最後の器は、最終稿ではなく賢治の第三次稿よりブルカニロ博士の言葉から。広くそして深いこの景色を見てジョバンニは佇みます。
この物語の中に何度も現れる「ほんとうの幸せ」という言葉。この禍の中で自分たち自身も何度か向き合った言葉かもしれません。カムパネルラがその旅程を伴してくれ、彷徨いつつもジョバンニの意志へと道はつながりました。この現実の世界で、ジョバンニの旅はたぶん今も続いています。








