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気づいたらいつも誰かに救われている

最近思ったより仕事が上手くいかない。
いや、仕事はうまくいっているんだけど、人間関係が悪すぎて自分のいつもの嫌なところが顔を出して嫌気がさしている。

人の嫌な点が気になる時は大体あなたが疲れて幸せにじゃない時というTwitterから流れてくる画像を見てはっとした。

っていうか自分のXのいいねを振り返ると大体おもろいtweetばかりで(死語?)何か楽しいこととか癒やされることを求めているのかもしれない。

最近大学の頃の旧友に会って感じたこと
まさにこの言葉の通り。すごく楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまった。

あと、最近はあちゅうの子育て日記を見るのが好きだ。子育てが大変であることと社会においての幼児のママの生きづらさをフラットに言語化してるnoteは子供がいない私でも目から鱗が多く、自分が子供を産んだ時にちゃんと育てられるのか?と不安になる内容だったが、それを子持ちの友人に話したところ、それも吹っ飛ぶくらい自分の子供は可愛いということを聞いて救われた気分になった。

今はお金さえあればある程度のものは手に入る。
それは今も昔だけれど、不便さは時に絆や出逢いを発見させてくれるものなのかもしれない。

最近彼と同棲を始めて、誕生日だった8月にプロポーズのような言葉を言ってもらった。

けれど、なんだか心にぽかんと穴がいてしまっていて正直に喜んでいいのか、本当に結婚していいのかいまだに迷っている。

最近の自分はとてもストレスフルでいつもイライラしてるから一緒にいるの嫌じゃないかなーとか気を使われてるんじゃないかなーって思うことがあって、洗濯とか掃除とかよく寝付けない時にかけてくれる言葉でいつも感謝が絶えないなぁと思っている。

別にご飯は食べれるけど誰かのご飯を作るほどの体力はなくて、外食で済ませてしまう。

食べる時間も前より遅くなったしご飯を作ってあげる機会も減ったし、いつまで経っても痩せないし、どちらかというとストレスで酒に走ってるからどんどん自分がダメになってる気がして気が引けるのだ。

なんか国内の誰もいない島とかでぼーっと休息したくなる。彼は私といて幸せなのかななんて考えだすほど今の自分は弱っているのだと自覚した。

自分の悔しいという気持ちで人生を切り開いてきたからこそ20代前半から変わらず人にも自分にも厳しい自分をもう少し治したいなと思ったけど、

ありのままのどらみが素敵だよと言ってくれた友達に本当に救われた気がした。

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