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イタリアにおけるデザインの定義(詳細決定;永久保存版)

前のnoteでイタリア人が考えるデザインの定義について簡単に記しましたが、より詳細に説明してみましょう(拙著の第1章に基づく。なお、本noteは、群盲象を撫でる状態であったデザインとは何か?という問いに対する最終的な定義を与えるものです)。世界No.1デザイン先進国であるイタリアのデザイン理論の全体像がようやく日本に知られるようになりました。官能的かつ魅惑的、そしてかっこよい製品をデザインするための秘訣がここにあります。かっこよい製品をデザインし、上海や北京の国際見本市に出展して外貨を稼ぐことが、日本経済の進むべき道です(自分たち自身も、金融やITで儲けたとしても、結局マネーは回りまわって衣食住に支出されますので、それだったら最初から衣食住のレベルを上げよう、ということです。)。

1.1 デザイン=昇華


デザイナーのM.ベッリーニによると、デザインの起源は、イギリス(ウィリアム・モリス)やドイツ(バウハウス/ウルム造形大学などの取り組み)ではなく、17世紀のイタリア(バロック時代)にあるということである。ベッリーニは次のように述べている。
「デザインの原理はバロックの時代に確立された。当時の芸術家は建築と美術を統合し、当時の建物は(室外の)浮き彫り・彫刻・絵画・象眼細工で装飾されていた。…バウハウスでさえ、劇場・美術・彫刻・建築を統合しようとしたし、ウルムのデザイン学校では、建築がデザインの一部門である、とさえ考える学派もあった。」
バロックの意味は、永遠不変の神の秩序が反映されたような、ルネッサンス的な均整の取れた静態的な自然美を模倣するのではなく、言い換えれば模倣に終始したマニエリスムの行き詰まりを乗り越え、(ガリレオ・コペルニクスによる、有限から無限への世界像の刷新を経て)神ではなく人間が創造主となって、美の法則までも自ら制定し(バロックでは、醜こそ美であるという法則まで立てている)、既存の世界秩序を再設計(創造)するということである。コペルニクス的転回によって宇宙の完全性の古典的象徴であった円の特権的地位がなくなり、楕円に取って代わられたわけだが、このことは、特権的な視点がなくなり、脱中心化されたバロック建築の多視点性に象徴されるような開かれた空間、言い換えれば創造的行為を要求する動的世界へと人間が投げ出された、ということを意味している(ルネッサンスの静的な世界を模倣することから、人間は解放された)。
A.コイレが述べるように、バロックの空間は開かれたものであり、ルネッサンス的な静的で閉じた宇宙の観念からの解放を意味している。「バロックの詩学とはつまるところ、コペルニクス的転回によって導入された新たな宇宙観に対する反応であった」のである。ルネッサンスの古典形式が静的である一方で、バロックの形式は動的である。バロックの美学についてU.エーコは次のように述べている。
「(充実と空虚との、明と暗との戯れにおいて、その曲線と折れ線、より多様な角度からの視点によって)効果の不確定性へと向かい、空間の漸次的膨張を暗示する。…バロックの造形群は、一定の特権的な正面視を許容せず、観者が絶えず動いて、あたかも作品が絶えず変貌するかのように、作品を常に新たな相の下に視るように誘うことになる。…(バロックにおいて)はじめて人間が典則(カノン)の慣例を抜け出て(その慣例は、宇宙の秩序と本質の安定性とによって保証されていたのであるが)、芸術においても科学においても、人間に創造的行為を要求する動的世界に直面するからである。驚異(メラヴィーリア)の、才知(インジェーニョ)の、隠喩(メターフォラ)の詩学は、…新しい人間のこの創造的課題を見極めようとするものであり、この新しい人間は、芸術作品の中に、明確な諸関係に基づく、美として享受すべき対象を見るのではなく、探求すべき課題、想像力の生動性への刺激を見るのである。」
要するに典則(カノン)の慣例を備えたルネサンスから無限に開かれた空間に投げ出された人類には、自らの才知をもって隠喩を駆使し、驚異に満ちたダイナミックな新世界を創造(設計)していくことが使命として課せられる。驚異(meraviglia)には、「見るものにめくらましをあたえ、現実の外へ連れ出す効果」があったと田之倉(1987)は指摘しており、そういった驚異を強く意識したデザイナーとして、デニス・サンタキアーラ(Denis Santachiara)を挙げることができよう。
新たに定立した美の法則に基づき、ファンタジー溢れる夢のような世界を創造するというバロック(=デザイン)の原理は、別様に言えば、精神分析的な意味での昇華であると言える―というのも、昇華とは、既存の法秩序(去勢の法=父なるもの)を排除(精神病者の戦略)・否認(倒錯者の戦略)・抑圧(神経症者の戦略)するのではなく、一旦受け入れた後に、自ら新たな法秩序を創造し、それに基づいて夢のような美しい新世界を設計(=デザイン)するということなので。昇華は、所与の自然環境を否定せず、それと調和するようなライフスタイルを日本人のように志向するのではなく、あたかも第二の自然を人為的に(人工的に)創造するかのように、ファンタジー溢れる美しい生活環境をゼロから創り出すことだと言い換えられよう。そして、その創造された生活世界は、流行などには左右されない簡単には廃れない美で溢れている。模倣に終始したルネッサンスから解放された人類がバロックにおいて昇華を達成した以上、人類の歴史は17世紀で一度終了している。人類に残されたことと言えば、バロックの栄光を演劇的に反復・上演することくらいしかない。デザインの実践とはバロックの衝撃(心的外傷)を反復して新世界を創造し、その中で癒されることであるとも言える。

1.2 デザイン=官能的であるがゆえの見世物(スペクタクル)


丹生谷(1987)によれば、上述の世界像革命(コペルニクス的転回)が起きる前、世界は、内(有限で静的な此岸)と外(無限に開かれた彼岸)に分かれていた。原罪が存する此岸(現世)に生きる人間は、教会という門(境界)を通じて外部の彼岸へ至り、そこで救済が為されるという意味での二分法があったという(9)。しかし、コペルニクス的転回によって、世界に中心がなくなれば、内と外を区別する境界(門)の役割を果たす教会も不要となる。こういった教会の存在意義を問われるような事態に加えて、ルターによる宗教改革にも対抗すべく―プロテスタントに惹かれる信者を呼び戻さなければならない―、カトリック教会が採用した戦略は、世界を祝祭空間としての見世物(スペクタクル)にすることであった。スペクタクルには、無限に増殖・膨張するイメージが相応しく、生の喜びと死への憧憬、皮膚とそれを覆う肉体、美と醜、宮殿と廃墟、(カラヴァッジョの絵画のような)光と闇、真理とそれを映す鏡(仮象)、といった様々な対立するものが緊張感を孕んで拮抗し、これらが無限に増殖していくような(見世物としての)世界を創造するというのがカトリック側の戦略である。その結果、内と外との大きな対立(マクロコスモスの二分法)が消滅した代わりに、内と外との境界は、上述の皮膚とそれを覆う肉体などの様々なミクロコスモスに偏在する事態になったということである。反宗教改革の側に立ったバチカンは、大衆を惹きつけるため、五感に訴えるような肉感的な作品を通じて、苦悩・恍惚・官能を訴えた。「プロセルピナの略奪」という彫刻作品における臀部の肉感的な表現や、「聖テレジアの法悦」および「福者ルドヴィカ・アルベルトーニ」などにおけるエクスタシーの表現はその事例であるが、死を強調すればするほど、生の官能性がクローズアップされるような劇的な効果がもたらされる。
要するに見世物(スペクタクル)は、官能的でなければ観客を惹きつけられないという意味で、バロックは現代のスペクタクル社会の起源であり、イタリアのデザインに官能的な側面があるのもそのためである。
デザインされた空間が、スペクタクルな舞台ショーであるという性質は、イタリア料理や定期的に開かれるミラノの国際見本市(展覧会)で表現されている。ロマーノは、イタリア料理の性格について次のように述べている。
「音楽や舞踏、歌や演劇、ゲームや会話を楽しむ場としての食事の席という観念。イタリア料理のあらゆる特徴のなかでもっとも重要なのが、このショーとしての要素だろう。…食事の合間には、やはり意図的に、さまざまな種類の出し物がはさまれる。…一本の喜劇が通して上演されることもあるし、「愉快な出し物を披露しながらベルガモやベネツィア風の道化役者がテーブルのあいだをまわ」ったり、「鎌で庭の雑草を刈り取る」真似をしたりといった余興で、テーブルサービスにめりはりをつけるのだ。」

1.3 デザイン=生活世界の劇場化


創意工夫をもって設計(=デザイン)された新世界ではバロック期のローマのパレードに代表されるようなスペクタクルな舞台ショーが繰り広げられる。現在でもローマ人やナポリ人の身振りがいちいち芝居がかっているのは、ローマやナポリがバロックの演劇空間に属する街だからであり、生活世界が劇場として捉えられると、一人一人の人間は、消費者でもなく、市民でもなく、俳優・女優として振る舞うことになる。死を意識してドラマチックに振る舞うということは、演技を通じて叶えられなかった希望(あり得たかもしれない別の人生)に対する喪を上演することにほかならない―このことは、複数の人生を演じることを通じて人生を豊かにするための一つの方法である。
永遠の都ローマは、スペクタクルな劇場として街全体が映画の舞台セットのようであり、言い換えれば劇場都市である。劇場として(再)創造された世界の具体例が、昇華された芸術作品という意味でのバロック都市ローマであり、かつてのパレードの際には、皇帝・肉屋・医者・軍人・富裕な商人・床屋といった職種や社会階層を問わず、一人一人が俳優・女優として自分の人生に与えられた配役を演じきり、観客もこの新世界の創造に参加するよう誘われたのであった。
日常生活において、いちいち芝居がかった身振りを呈する人々のために、デザイナーは舞台装置をデザインする必要がある。日常生活を劇場化すべく、デザイナーは、人間工学・照明・素材の性質に加えて、舞台装飾の技法(シェノグラフィア;scenografia)まで学ぶ。舞台装置や衣装をデザインすることを通じて経験を積んだ有能なデザイナーは、通常の生活世界を舞台として眺めることができるようになり、その結果、単調で刺激を欠いた日常生活が劇場化され、生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)を上昇させることができる―デザイナーが創造(設計)する夢のように美しい新世界は、舞台装置としての世界・劇場都市という性質を帯びる。
この生活世界の劇場化という点で、オペラの舞台装置をデザインする機会に恵まれたデザイナーのG.アウレンティは、次のように証言している。
「建築ではドア(扉)は、二つの空間を分けるか、繋ぐか、ということに限られるけれども、劇場ではドアは、単なる扉ではなく、役者が入退場する出入り口(la commune)であり、隠喩的な通路である。…ロッシーニの『ランスへの旅』というオペラでは、黄金の百合という名のホテルに風呂釜(vasca)を設置する際、自宅にあるような(何の変哲のない)見慣れた風呂釜を置くことで、観客に能動的な態度を引き受けさせた―(オペラのホテルに相応しい)装飾的な風呂釜を上演したら、そういった前のめりの態度は観客において引き起こされなかっただろう。」
要するに、通常の生活世界の中にある家具・壁・ドアなどが、演劇の舞台装置であるかのように思われる視点を持てば、普段の生活世界を舞台(劇場)と切り離して考えないようにすることができるというわけである。舞台(劇場)での経験は、アウレンティが、オルセーやポンピドゥーセンターといった美術館の展示を行う際にも活かされ、ベネチアのグラッシ館で絵画を展示する際には、天井から垂らされたチェーンに絵画を引っ掛けて、同じ高さに吊り下げられた絵画を見学者に受動的に鑑賞させるのではなく、絵画が展示される高さや位置をバラバラにしたということである―こうすることで、見学者は、あたかも演劇の第一幕から第二幕へと移る際にテーマ(主題)が変わったことを観客として感じ取れるかのように、ある絵画の鑑賞から次の絵画の鑑賞へと進むことができるのである。
オペラやバレエの衣装を手掛けた経験を持つデザイナーのG.ベルサーチェにとっても、レストラン・街路・空港は舞台であり、そういった舞台としての生活世界でベルサーチェの衣装を纏うことで女性は女優のグレタ・ガルボ、男性はジェームズ・ディーンのように振る舞うことができる。古代ギリシャやローマの彫刻から隠れた立居振舞いを研究したベルサーチェは、ギリシャ神話から出てきた女神のようなモデルをプールサイドに寝そべらせたりして、単調な生活世界の中にヴィーナスを闖入させ、舞台の一場面として日常生活を眺めることができるような工夫を行っている。言い換えれば、「ありきたりではない<<生>>…日常は凡庸なものの繰り返しではなく、日々新しい出し物が提供されて人目を楽しませる、祝祭の連続」であるように世界を眺めることが大切である。
さらに、建築家のカスティリオーニが企画(デザイン)した展覧会(mostra)の様子は、以下のようであった。
「鳥かごの中に便器や洗面台をダダ的あるいはレディ・メイドにぶら下げるとき、庭園用ベンチ「アルナッジョ」の土台を斜面にすることで、緑色のベンチを巨大な足長の昆虫のように見せるとき、そしてリクライニングチェア「インペリアーレ」を風車のように組み立てて地元名物の観覧車を想起させるときに、カスティリオーニは、…日常のオブジェが通常持っている、あるいはそうと信じられている意味とは異なる意味が発生するような仕掛けを持った展覧会を構成(した)。」
要するに、カスティリオーニもまた、単調で刺激を欠いた日常生活を劇場化すべく、日常のオブジェが通常持っている意味作用を変化させ、夢のような舞台としての新世界の創造に観客も参加するように呼び掛けているのである。

1.4 デザイナーの特徴


1.4.1 デザイナー=かたち(フォルム)の専門家


デザイナーのA.ブランジィによれば、世界を形成するモノのかたち(フォルム)のクオリティは、「私たちの工業システムがかたちとしてより良い世界を創るのか、あるいは失敗する運命にあるのかという事柄にかかわる政治的な大問題」(17)なのであり、身の周りにあるモノのかたち(フォルム)―面積・体積・角度・曲がり具合・部分と全体との関係―が、狂ってないように(不格好でないように)コンセプトに対してかたちを与えるのがデザイナーである―デザイナーとは、検討の結果、モノがどうしてそのようなかたちをしているのか、その理由を説明できるという意味で“かたちの専門家”であり、コンセプトに対して「かたちを与える人(=a form giver)」である。デザイナーがコンセプトに対してかたちを与える場合、部分と全体との関係が、調和が取れて均整なものとなるように常に注意を払う必要がある―人間の周りにあるものは、色や音というよりもまずはかたちであり、人間は様々なかたちを通じて世界を認識しているのだが、個々のかたちが空間(世界)全体を構成する以上、遠近法の消失点からデザインした個々のモノを眺め、全体との整合性が取れるようにすることが望まれる。たとえば、椅子を一つデザインする場合でも、ロココ調様式の部屋と調和するのか、アールヌーボー様式の部屋と調和するのか考えなければならず、また、椅子のビス部品一つと脚全体とのつなぎ目がスムーズかどうかも検討しなければならない。
世界(空間)はただ一つのモノ(製品)から構成されているのではなく、ある一定のかたち(フォルム)の集合から構成されている(かたちの集合が人為的な環境場を形成している)。インテリアなどの空間(場)全体を美しく刷新・更新することを目標とする場合でも、人間の周りに存在するものは、まずは任意のある一つのかたち(フォルム)であり、椅子一脚のかたち(フォルム)でさえ美しく決められないようではデザイナー失格である。製品単体(椅子一脚等)であれ、そのかたち(フォルム)は、冒頭の図1で示されるようなイタリアンデザインの基本図式に従って、つまり、a)表現(フォルム;かたち)にかかわる人文学的側面(美術や彫刻など)、b)社会経済的な側面(職人の手仕事など)、c)技術工学的な側面(自然科学)という三つの側面を勘案して(三つの要素を鼎立させて)、簡単には廃れないような仕方でモノのかたち(フォルム)が美的に定められる。A.ブランジィによれば、デザイナーがコンセプトに付与するかたち(フォルム)は、デザインの原理が確立されたイタリアのバロックの伝統を踏まえ、抽象的で脱物質化されたものである場合があり、自動車のボディなどは抽象彫刻作品とみなされる。イタリアでデザインされたモノのかたちが、抽象的であるがゆえに神秘的あるいは神話的な解釈を許し、結果として興趣に富んだものとなるのは、バロックの伝統を踏まえているからである。つまり、宗教改革の時代になって、神から理性と知が自律していくことを認めざるを得なくなった16世紀のローマ・カトリック教会は、完全な神とは異なり不完全な人間の理性と知で現実を把握する以上、把握する対象としての現実は、雲を掴むように曖昧で発散するような現実、隙間だらけで非合理的な現実となり、そういった実体のない現実(視点が多数あって不連続な現実)に対して与えられたかたち(フォルム)も、抽象的で脱物質化されたものとなるというわけである―そういった抽象的で脱物質化された製品の例として、第6章で述べる照明器具のティタニアやロラなどがある。ロラの場合、視点が多数あって不連続な現実を表すべく、無数の小さな穴(microforellatura)が開けられている。
なお、実体がないものに対して強引にかたちが与えられた結果、抽象的で脱物質化されたものとなったかたち(フォルム)は、神秘的で超越的な別の次元(ユートピア)を予感させる ―要するにそういったかたちには、「具象物を何か抽象概念の代理として用いる美学上の技法」としてのアレゴリーの次元があり、様々な情緒をユーザーに喚起させる。
なお、デザイナーが、あるモノのかたち(フォルム)―そして最終的にはかたち(フォルム)の集合としての空間(場)全体―を、更新・刷新する理由として、1954年の第10回ミラノトリエンナーレにおける現象学者E.パーチの発表内容を挙げることができる。パーチによれば、詩人による新たな言語活動を通じて、使い古され、消尽され、生気を失った言葉の世界を刷新すべく、新たな美的言語を詩人が創り出す活動にデザイナーらの実践がなぞらえられるという。詩人が言葉の非論理的な使い方や隠喩表現を用いて言語システム全体を再活性化するのと同じように、言い換えれば、主語に対して通常あり得ないような述語づけを行い、使い古された言語体系に新たな息吹を吹き込むことを通じて言語システム全体を再活性化するのと同じように、デザイナーも今までに存在しなかった詩情に溢れた美的なかたちを創り出して、生気を失ったモノの世界を刷新し得る。というのも、人間の身体はモノのかたちを常時知覚・消費している一方で、商品世界では凡庸なかたちが過剰に氾濫しており、衆人の眼を引いて「情報(information)」となるような「屹立したかたち」を作ってモノの世界を再活性化する必要があるからである(言い換えれば、コンセプトに対して付与された「傑出した(目立つ)かたち」以外の要素は、背景に退いて目立たなくなる。)。

1.4.2 デザイナー=将来ビジョン構想力を備えた人


デザイナーは、潜在トレンド対する鋭い直観から、将来の生活様式を先取りして実現・構想する能力(将来ビジョン構想力)を備えている―言い換えれば、将来実現するであろう生活様式の方向性について、幾つものシナリオを提案し、それに基づいて具体的なサービスや製品に落とし込むことができる。もっぱらマーケティングを介して起業家がトレンド情報を把握するのに対し、狭い企業の内部ではなく、もっと広く“社会”の内部に埋め込まれているデザイナーは、デザインプロジェクトを通じて潜在的な社会トレンドと直接対峙することができ、その結果、将来の生活様式に対するビジョンを直観することができる、とブランジィは述べる。T.マルドナード(*)が率いたウルム造形大学に端を発したドイツ式のデザインマネジメントモデルでは、デザイナーが企業内部に囲い込まれるが、イタリアのデザインマネジメントモデルでは、かつてのオリベッティ社のように企業の外部にいるデザイナーと企業とが協業する―イタリアのデザインマネジメントの起源は、オリベッティ社である。企業の外部にいるがゆえに潜在トレンドに関するイタリアのデザイナーの直観は、マーケッターの直観を凌ぐのである。なお、将来実現するであろう生活様式の方向性を探る際、ビジョナリー/ブルースカイリサーチが用いられることが多い。ビジョナリーリサーチとは、音楽・現代芸術・映画・文学・建築といった分野およびファッションや習俗の分野における社会トレンドや、将来の採用候補となる新たなテクノロジーの動向(技術トレンド)も考慮しつつ、任意の潜在的な社会トレンドが、自由・平等・人権といった人文学領域に現れる(人間にとっての)普遍的価値とすり合わせられ、それらの普遍的価値が任意の社会トレンドを通じて現代風に表現されていないかどうか、言い換えれば、流行に左右されない普遍的な価値が、トレンドにおいて様々なかたちで表現されていないかどうかをチェックし、ライフスタイルの将来ビジョン策定に活かすような非目的的かつ探索的なリサーチである。

1.5 デザイン=無階級社会(社会統合の理念としてのデザイン)


デザインの持つスペクタクルな舞台的性質は、前述したようにバロック期におけるローマ・カトリックの戦術―社会体が、カトリックとプロテスタントへと分裂した状態を乗り越える―に由来しており、パレードの際には、人々が身分差を乗り越え、皇帝・肉屋・医者・軍人・富裕な商人・床屋として自らの役割を演じた―ここで示唆されていることは、無階級社会というユートピアであり、デザインには、バラバラに分裂した社会を統合する理念(社会統合の理念としてのデザイン)という側面がある。
デザインが理念として無階級社会というユートピアを備えていることは、オリベッティの構想にも表れている。イタリアで経営者のモデルとなっているのは、オリベッティとフィアットであるが、オリベッティは社会主義者として、フォーディズム的な構想と実行の分離をデザインの力で乗り越えるようなコミュニティ経営を実践したため、イタリアでは非常に尊敬されている。オリベッティは、従業員のために居住用のアパートメントを用意するのみならず、小学校・職業訓練学校そしてコンサートホールまで作ったという意味で経営者の鏡であり、高級カシミアと人間主義的経営で有名なブルネロ・クチネロが範としている人物である。オリベッティが、企業の外部にいるデザイナーにデザインを任せるような経営スタイルを発明しなければ、戦後のイタリアンデザインの隆盛は生起しなかったと、デザイナーのソットサスは証言している―ドイツ・モデルは、デザイナーを企業内部に抱え込んでしまい、デザイナーの創造性を殺いでしまう。
なお、イタリアの中世では、自給自足的に農業も営んで経済的ショックに対する抵抗力や商人からの支配を受けにくい交渉力を備えた職人(artigiano)が、もののかたちを決める(構想)と同時に、実際に制作(実行)もしていた。つまり、構想する者が上層階級で実行する者が下層階級であるという構想と実行の社会分離状態が克服されたユートピアが存在していたことも指摘しておきたい。

1.6 デザイン=ファンタジー(≠イマジネーション)


F.フルッサーによれば、歴史的に見て、言葉でもなく数式でもなくもっぱらイメージで考えるような、第三番目に登場した思考パターンが、デザイン思考(デザイン・シンキング)であり、言葉も数式も介さず、線と形と色と音と量感の集合を直接操作するような思考が、デザイン思考の特徴であるということである。数のコードから「線と形と色と音と(やがては)容積のコード」への切り替えを内容とするデザイン思考は、ニコラウス・クザーヌスが、15世紀にその著『学識ある無知について』で記した、アルファベットのコードから数のコードへの思考の切り替え(思考の算数化)に続く、第二の思考革命なのである。
デザイナーのパオラ・ナボーネ(Paola Navone)は、佐藤和子氏のインタビューに次のように答えており、フルッサーの指摘を裏付けている。
「今では、デザインとはイメージを生産することなのだと考えています。今日、デザインするということは、30%がアイディア、30%がフォーム(かたち)、30%がコミュニケーションなのです。」
イタリアでデザイン教育を受けたミラノ在住のインテリアデザイナーの竹田克哉氏に対する筆者の調査によると、新たな店舗のインテリアのイメージ図を考案するプロジェクトの場合、(1)最初に新店舗のコンセプトを言葉で表現し、それに合致するイメージ画像を雑誌・カタログ・ネット・写真のアーカイブズ等から探してくる。(2)その後、新たなレストランをイメージする画像が集まってくるにつれて、パースイメージ(スケッチ)や平面図が自然に頭に浮かんでくるということである。新たなレストランの画像イメージを叩き出すまでに大半の付加価値が決定され、パースイメージ(スケッチ)や平面図から立面図を起こす等の訓練を積むことを経て、今度は写真のイメージ画像から、パースイメージ(スケッチ)や平面図を描けるようになるということである。
2次元の写真イメージが決まれば、2次元のものを3次元化するモデリングソフト(主にAutoCAD)を使い、その後、仮想インテリア空間に対してマテリアル(textureやガラスなど;壁の素材及び色の決定)および光沢(光り具合;輝度調整等)を決定すべく、レンダリング(主に3D Studio Maxを用い、一部でV-rayを活用)を実施するということである。日本のインテリアデザインでは、モデリング用のソフトウェアとして、ベクターワークス(Vectorworks)がよく用いられるが、イタリアの標準は、ズームイン・ズームアウトの感覚を前提としたAutoCADの方であり、カーブが多ければライノチェロス(Rhinoceros)が用いられるということである。なお、ラグジュアリーブランド店舗のインテリアデザインを手掛ける場合、最初から3次元で描くRevitが用いられ始めており、これは、ラグジュアリーブランド店舗の場合、同一コンセプトに基づいて世界各国の店舗イメージが統一される結果、天井の高さや壁の調子が違うだけで各店舗の雰囲気が似たようなものとなるため、一つひな型を3Dで作っておけば、断面図を即座に出力して修正が容易であるという事情があるためである。
竹田氏は、新店舗のコンセプトを言葉で表現し、それに合致するイメージを創出すること(コンセプト・デザイン)を常日頃アピールしているが、自分と比べてイタリア人によるインテリアのデザインの仕方は、より一層直観的(intuitivo)あるいは本能的であるという。つまり、イタリア人のインテリアデザイナーは、新店舗のコンセプトを言葉で考えず、画像イメージだけを編集加工(画像処理)して新店舗のイメージ図を出してくる傾向があるということであり、ここでもフルッサーの指摘が裏付けられる―言語情報を介さないため、その画像処理スピードは速く、かくして労働生産性も高くなる(長時間労働の必要がない)。
言葉でも数式でもなくもっぱらイメージで考える思考パターンの代表例としてファンタジーが挙げられる。というのも、美術史家のアルガンによれば、この世に存在しないもの(キマイラ・鳳凰・麒麟・ペガサスなど)を思い浮かべることがファンタジーであるのに対し、イマジネーションはかつて遭遇したもの(記憶しているもの)を再び思い浮かべることであり(模倣に近い)、新たなイメージを捻出するのにかかる負荷は、イマジネーション(想像)よりもファンタジー(気まぐれ/風変りな空想)の方が強いからである。かくして、デザインというカテゴリーに割り振られるのは、イマジネーションではなくファンタジーの方である。イタリアのデザイン思考の文献には、いわゆる現象学的還元の操作と直観的な画像処理とを同一視するものものあるが、直観的であるということがファンタジーと同義であるなら、今後は、ファンタジーと現象学との関係を考察していくべきだろう。1912年に発見された解読不能な謎の文書「ヴォイニッチ手稿」に描かれたこの世には存在しない不思議な植物も、ファンタジー性に溢れており、そのデザイン強度には目を見張るものがある。

こうやってみてくると、英米圏の文献に見られるようにビジネス上の問題を合理的に解決する手法としてデザインを捉えるのではなく、イタリアのようにファンタジー溢れる夢のような生活生活(=舞台)を設計するためのものとしてデザインを捉える方が、急がば回れで、かえってビジネスの成功をもたらしてくれる、ということが分かります。イタリアンデザインは、メード・イン・イタリーとして世界を制したのであり、20世紀のイタリアはデザインの世紀でしたね。なお、イタリアのインテリアデザイン理論というものもあり、それについてはまた紹介します(イタリアらしいインテリア空間の設計原理というものがあります)。

(補足)イタリアのデザイン理論を研究する方は、disegnoの語源を探るよりもprogettoの語源を探った方がよいでしょう。というのもイタリアでデザインを意味する言葉はprogettoですから。progettazioneはプランニングという意味になりますし。英語だとenvisioningがイタリア語のprogettoに相当します。

(*)T.マルドナードは、産業に阿ってアートを切り捨てた合理的なインダストリアルデザインを提唱したため、イタリア人デザイナーらは不快感を呈している(たとえば、E.Fraiteili(1989),Continuita e Trasformazione,Alberto Greco Editore,p.78)。イタリアのインダストリアルデザインは、芸術に基づくもの。

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