昭和のビール・ジュースと言えば

昭和40年代生まれなら分かって貰えるかもだけど、、
私の10代の頃は親が飲んでいたビールと言えばまずキリンラガーの瓶ビールだった。缶ビールなんてなかったと思う。
それもスーパーで買ってきた物じゃなく、定期的に近所の酒屋がケースで配達してくれてた。お米も。
あの頃はそう言う物は配達と言った形で家に運ばれるもんだと思ってた。

ジュースと言えばキリンオレンジかバヤリース。(果汁10パーセント)
果汁100%と言えばポンジュースのみ。
お中元やお歳暮で貰うカルピスは多分どの家庭でも常備だったと思う。
しかもプラスチック容器ではなくしっかり瓶。

ソーダ類は日本の定番は三ツ矢サイダーかキリンレモン。
アメリカの物ではコーラかファンタってとこだったかな。
あ、私が小学校の頃は牛乳配達もしてもらっていて牛乳やコーヒー牛乳やフルーツ牛乳なんてのもあったし、ヤクルトも配達だったな。
どうしても余ってしまう瓶牛乳をはかせる為に母親がよくハウスのプリンを作っていた。(私はゼリーエースが好きだったけど)

日本酒と言えば基本熱燗、、冷酒なんてのが出てきたのはもっと後の事。

ビールと言えば瓶のキリンラガー、それは84歳の母は今でも変わらずそう思っている。

昭和43年生まれの私はちょうど80年代後半のバブルの頃、大型寿司チェーン店でバイトしまくっていた。
その頃に ”アサヒスーパードライ”と言うビールがじゃじゃーーんと登場。そのお店ではビールはそれのみを出していた。スーパードライ大瓶のみ!!
今の様にメニューにキリンがあったりサントリーがあったりしないし、中瓶や小瓶もない。
お客さんの注文は ”ビール下さい” と言えばアサヒ。
”ジュースください” でバヤリース。
なんて分かりやすい時代だったんだ。
あのバブルの時代死ぬほど忙しかったあのお店で一体何本のアサヒスーパードライの大瓶の栓を抜いた事か、、、しっかりと重い栓抜きで”シュポッ” といい音を立てて開ける技術を身につけた私は(何のために??)宴会などで ”ビール30本!!”とオーダーが入ると喜んで ”シュポッ!!!” を連発して栓抜きをしていたものだ。

夏はアサヒ生の樽も数えきれなくらい変えたなー。重いだんだな、あれが。。。

最近はアサヒだけでも色々出てる昭和のあの頃に比べると商品がどんどん複雑化している。
移り変わる時代にいよいよ付いていけなくなった母は、近所のスーパーに行くと店員さんに聞かないと物が買えない。ビールだけでもゼロやらアルコールフリーやら季節限定やらややこしい。

『すいません、あの〜〜普通のキリンビールはどこですか?』
『普通のコーラはどれですか?』

やっぱり普通がええわ、、、って言う事です。
普通というのは元祖、オリジナルという事です。

その意味は良く分かる。懐かしさが手伝ってるのもあるかもしれないけど
私はアメリカ生活が長くなってもビールはアサヒスーパードライが好きだし、スプライトなんかより三ツ矢サイダーはやっぱり美味しい!!と思う。

因みにこれ、関西の話。
80年代、関東もこういう感じだったのかな?
もし良ければ教えてください。




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