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女優を目指したがために (5)シティカレッジ編

2年間のクイーンズカレッジにピリオドを打ってイーストビレッジに引越し、大学もマンハッタンのハーレムにあるシティカレッジに転校した。
最初は同じNY市立大学のグループのハンターに転校が決まっていたんだが、なんか街のど真ん中にあるハンターカレッジにはキャンパスと呼べるものもなくしっくり来ないというか自分のそこでの大学生活がイメージ出来なかった。

そんな時シティカレッジに通っていた友達が偶然にもシティのキャンパスを案内してくれた。まさかのハーレムのあんな位置に歴史ある素敵なキャンパスを構える大学があったなんて知らなかったので初めて足を踏み入れた時正直感動した。あれから30年近く経った現在も全く外観は変わらず。

友達の案内で真っ直ぐに演劇学部のある建物に進むと、その歴史を感じさせる外観でもうすでにテンション高し。。。中に入ると緩やかな縁になっている廊下がずーっと続き、クラスルームの中の雰囲気もその重厚な木で作られた机や椅子も全てに歴史と建築の品の良さが感じられて非常に良かった。。ここに通いたいと思わせるのにもう十分、、、、

2階の廊下の突き当たりに演劇学部のオフィスがあった。受付の人の説明では
演劇学科は二つのコースに別れていてアカデミックな演劇全般を学ぶコースと
アクティング専科のコースがあると言う。それぞれに与えられる学位自体も違っていた、、うーーん、 アクティングを勉強しながら大学の学位が取れるなんて夢の様な話だと思って、専科入学に必須のオーディションに申し込んだ。それから何週間か後にオーディションも無事終え、秋から専科への編入が決まっていたのだが、夏の間に色々考えてやはりアカデミックな演劇全般の学科に変更した。

理由はアクティングはプロを目指す人たちが通う学校がNYには沢山あったし、自分もすでにメソードアクティングのクラスを取っていて忙しい。

大学では演劇学部であれもっとアカデミックな事を勉強した方が賢明だと思ったのだ。

そして9月。ここでの通学が始まった。

そこで私はハーレムという土地柄、クイーンズとは比べものにならないくらいの人種の坩堝の中でやっと ”アジア人” という自分の人種を意識する事なくみんなの中に馴染み、受け入れたれたと感じる事が出来、シティカレッジ初日から意気揚々とクラスを受け始めたのだ。

クイーンズカレッジに続き、演劇全般の事を学んだが、一番役に立ったし面白かったのがディレクティングのクラスだった。
実際に卒業のプロジェクトも卒論などの代わりに自分のプロダクションを披露しなければ行けなく、これは本当に本当に大変だった。自分で脚本を選び、オーディションを行いキャスティングをやり、スケジュールを組んでリハーサルを実施する。
同時にコスチュームやテクニカルな舞台装置を担当してる他の生徒となんども打ち合わせをし、ディレクターの私が指揮を取って全てを進めて行く。人数が多い芝居を選ぶとスケジューリングも大変で、途中で役を降りる生徒がいたりでこのジャーニーは難航した。でも2年に渡って二つのプロジェクトを成功させる事が出来、最後の年では自分はディレクターが向いているかもと思い初めて、映画や芝居を見るたびにディレクターの視点から幅広くプロダクションを観る感性が養われた事は大きな成長だったと思う。

シティカレッジの後半の方では演劇以外の必須授業も忙しくなり、メソードアクティングのクラスは段々と行かなくなった。
その代わり、アメリカの大学らしく教授が外で実際に自分のプロジェクトを持っていて現役のディレクターとして活躍していたので、ダウンタウンのオフオフブロードウェイ系のアングラ劇場でやっていた芝居に出させて貰ったり、大学以外の場所でも学べるチャンスがゴロゴロ転がっていたのも流石ニューヨークで学べる醍醐味だと思った。
因みにミュージカルのクラスで当時教えていた先生はカリスマがあり歌が物凄い上手かったと記憶していたが、それから5年後にトニーショーをテレビで見ていたらその先生が賞を取っていた。 それがリリアスホワイトだった事が判明してびっくり!!という事実もなりそう言う恩恵を受ける事も出来たシティカレッジにはとても感謝している。

現役のディレクターや歌手が副業として大学で教えるというパターンが多かった事で生の声、実技を教わる事が出来た。。

大学在学中は色んな恋愛もしたが、対象になるのはみんな役者とか脚本家とかで
同じ業界の人なら分かってくれるかもしれないが非常に複雑なのだ。
今思い出しても胸が痛くなる様な大失恋もしたし、激しい感情に振り回され私自身がセラピーにお世話になった事もあるし正直精神的にかなりキツイ事も沢山あったし、大学を続けられないくらい乱れていた時期もあった。心のバランスを崩した時期もあり、バイトもやっていたし、色々あり私は大学を卒業するのに5年も掛かってしまった。

あの大学で学んだ事は沢山あると思う反面、最近思い返すともっと違うアプローチもあったのにと思って止まない。

あの20代の若かった頃に”演劇”だけを大学での専攻にした事が悔やまれる。もう一度戻れるなら、別の学部をメジャーにしてシアターはマイナーにすれば良かった、とも思う。
とにかくナイーブで真っ直ぐだった私は本当に自分がやりたい事をやるのが正しいと信じていた。

今も間違っていたとは思わないし、やりたい事を勿論やれば良いと思う。
しかし、若い頃はもっと広い視野を持って将来的に色んな方面への進路変更も可能な道を選べば良かったなーと思う事も多かった。

続く


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