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本当に難しいのか多様性

 仕事で最も大切にしていることは何ですか、という問いに対して私は「締切」と答えます。締切を守れない人はどれだけ能力が高くてもダメだと思います。そういう思考で仕事をしておりますと締切を守らない人が本当に腹が立ちます。自分が締切を守れそうにないときにイヤな汗が出ます。大袈裟に言うと死にたくなります。ここぞとばかりに周りが揚げ足をとります。君は普段から締切を守らない人が嫌いだと言っている割に自分のこととなると棚に上げてしまうのかね、と叱責されているような気がします。変な言い方ですが私は締切に対して熱い想いを抱いています。

 いっぽうで締切を締切と思っていない人もいます。締切を守らないことの何が悪いのかわからないという人がいます。いま、そういう人と仕事をしていて激しく気分が悪いんですが、締切を守らないことの何が悪いのかわからない人に締切の大切さを説くことが本当に正しいことなのかについては疑問があります。それは所詮、私の主義を押しつけているだけなのではないかとも思います。締切を守らないことの何が悪いのかわからない人にとっては普段から異常なまでに締切に執着する私のことが滑稽であり、ひょっとすると侮蔑だったり憤怒だったりの対象になっているかもしれません。

 締切に異常に執着する私と締切に見事なまでに無頓着な人、そのどちらもが気持ちよく仕事できる環境を整えるのが多様性社会です。私は締切に異常に執着するいっぽうで、多様性社会も大切にしたいと思っています。私が異常な執着さえ消してしまえば物事はスムーズに進みます。現に締切は過ぎましたが無事に案件は進んでおります。実際、たいしたことではなかったりします。そのたいしたことではなかったことに執着する私の執着も認めてほしいですが、自分でも異常なまでの執着と認めているんだから、そこは折れられるなら折れればいいとも思います。折れるときに不本意なのは所詮、あいつは折れてないのになんでオレばっかり!という実にくだらない感情によるものです。しかし、そのくだらない感情や異常なまでの執着について切り捨てるのではなく、考慮に入れるのが多様性社会です。

 実に多様性社会というのは実現が難しい。しかし、ここで根本のところを考え直さねばなりません。多様性社会が難しいというのは思い込みにすぎません。多様性社会を認めない社会のほうが楽なだけです。今、偉い人たちはみんな、楽を手放したくないから何かと理由をつけて多様性社会の実現に難色を示しているだけです。自分の都合ってやつを捨てさえすれば、そんなに難しいことではないはずです。とも言い切れなかったりする私、でも無責任に発言はしたい。そんな時の魔法の言葉、「知らんけど」が流行りすぎてしまったからもう使いたくない。使えないから、使えた頃より、少しばかり発する言葉に責任を持つことについて、状況を鑑みつつ、検討させていただきたい。

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