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全盛期は常に未来にある

近頃お寺の標語が色気づいていて腹が立つことがあります。あわよくばSNSで話題になることを狙っている下心ありありありありありありーゔぇでるち!!な標語にはさよならしたいと思っています。いや、昔は確かに面白いと思ったこともありましたがね、今はなんだか「もういいよ」っていう気分。勝手だなんて思わないでね。でも、彼氏のことを好きで好きで好きでたまらなかったのにお付き合いが長くなるにつれ、「こいつ、ほんまになんにもしよらへんし、働きもせんと家でゲームしてるだけのくせに何バンドマン気どっとんねん!?武道館!?はぁ?おまえが?おまえみたいなインポテンツが気安く武道館の名前を出してんなよ、このビチグソがっ!」となってしまうことはあるわけです。彼女が日々成長しているのに彼氏はそれに気付かず胡座をかいているうちに愛想尽かされるというのはバンド界隈ではよくある話なのではないかと思います。もちろん、男と女の役柄を逆にしたバージョンもあると思います。

人は成長するものです。つまり「変わる」ということです。有名人なんかは割と「前と言ってることが矛盾してる!」と突っ込まれることが多いですが、(例えばM1グランプリ2年目、ますだおかだがラストイヤーだから入れたという審査員に対して「そんな笑いに関係ないところで票を入れるなんてことは死んでもしない」と言っていた松本人志が、笑い飯のラストイヤーに笑い飯に票を入れて「笑い飯に取らせたかった」というような主旨の発言をしたことなど)私は言ってることがずっと変わらない大人のほうが気持ち悪いと思う。

だから、というわけでもないですが、私が昔は面白いと思っていたお寺の狙った感じの標語のことを今は冷めた目で見てしまうのも、私自身、日々成長していることの証拠と言えないこともないでしょう。人は日々、成長し、変わっていくものなのだ。

ということを割と日常、よく考えるわけでありますが、そんななか、先日お寺の標語で「全盛期は常に未来にある」と書いてあり、ああ、変に狙ってない標語は今なお、輝きを放っているのだな〜と思ったのでありました。全盛期が常に未来にあるということは、俺たちのピークは死ぬ間際ですよ。最後の最後まで未完成のまま俺たちはくたばっていくのだとすれば、日々、勉強に励まなければ、自分という人生を損したことになる気がします。

こういう言葉に感銘を受けたのが数日前なんですが、面白いもので、なんか、自分の感じていることって立て続けに自分の視界に入ってくるよな〜と思うわけで。今日の朝日新聞『天声人語』には『メジャーリーグの書かれざるルール』という本の中の言葉として「昨日のプレーがすごかったとまだ感じているなら、今日は全力でやっていないということだ」ってのが紹介されていまして、まさにこれは「全盛期は常に未来にある」に繋がるではないか!とやけに興奮してしまい、あやうくおちんちんが大きくなりそうなくらいであったのでした。

同じく数日前に見つけたお寺の標語には「今が一番若い」みたいなことが書かれていました。欲しがってるものって本当に欲しがってたら向こうから転がってくるって本当ですね。今日の奈良新聞『国原譜』によると、日本初の実測日本地図を作った伊能忠敬が測量を始めたのは隠居後、50歳を過ぎてからなんだそうです。当時としては「老人」、じじいですわ。じじいになっても、伊能忠敬はそん時が一番若かったわけですよね。

勇気と元気をもらえますよね。
好きなものを好きと思えば寄ってくるし、いまが一番若いし、全盛期はいつも未来やし、明日に向けて俺たち、希望しかなくないかしら?

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