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ヘイ「私利」

 ガソリン補助金の上限が来月から引き下げられ、9月には終了するというニュースの見出しを見た。内容については読んでいない。なぜかといえば、我が家に車が無いからである。もちろん間接的にいろいろ影響はあるんだろうけど、直接の影響はないから見出しで「ふーん」と確認するだけで十分なのだ。我が家とは無縁だから、どうせならマイカー増税でもなんでもすればいいのにと思う。酒税もタバコ税も僕がやらないうちはどんどん増やせばいい。

 自分のことばっかり考えやがって最低なやつだな、と言われればそれまでだけど、一般人なんてそんなものではないか。いかに自分と身の回りが損をしないか、いかに自分と身の回りが得をするか、というのが一般人の一般的な思考だと思うんだけど違うだろうか。悪い癖でまた僕は主語を大きくしてしまっているのだろうか。それなら少なくとも僕はそういう人間であり、きっと僕みたいな人間はけっこう多いんじゃないかと思っている。

 僕は自民党も維新のことも支持していないけど、あっちはそういう「人間ってそんなもんだろう」っていうのをよくわかっているんだと思う。支持者にしっかり「実利」がある。立憲民主や共産党は、僕はどちらかというとこちらに頑張ってほしいと思うんですけど、いかんせん、「味方してくれたらこんなにいいことがありますよ」っていう「実利」が想像しにくい。そこが弱点なんじゃないのかしら。

 ところで、最近の政治家の先生たちが残念なのは、一般人と同じ感覚で政治をやっちゃってるところな気がする。一般人的感覚を持っていなくてはならない仕事であるいっぽうで、絶対にそうであってはならなかったりもするのが政治家で、特に我々一般人のように「自分の近くから順番に大切に」していてはいけないのが政治家ではないのかしら。そういう「私利」を捨て去り、国民全員がいかに豊かな暮らしを送れるかを考えなければならないのが政治家であり、そのためには身内の実利を犠牲にするのも厭わないくらいの覚悟が必要なのが政治家ではないのかしら。最近の政治家の先生方は、そういった高邁な精神のほうを捨て去り、「私利」ばかりを追いかけていて、その姿勢を恥じるどころか前面に押し出し、「ご覧ください。ワタクシは市井の皆皆様と同じ感覚をもって政治に勤しんでおりますぞ、ワタクシは皆様と感覚が同じの市民に近い政治家ですぞ」と開き直ってしまっている気がしてなりません。

 こっちと感覚が同じであってほしいのはそこじゃないねん。あなたたちの近くはもう既に十分な恩恵を受けとるんやから、今こそ外に目を向けてみてくれ。あなたたちの政治のおかげで貧したり窮したり困したり難したりしてる人がたくさんいる。この人たちを「いないもの」として政治するのをそろそろやめてはいただけませんか。どうすればいいかわからないなら「私利」ではなく、せめてSiriに聞いてほしい。

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