見出し画像

映画鑑賞の記録『WOMEN TALKING』

 実話を基にしたベストセラー小説を映画化した作品。先月あたりからこの映画の予告動画を何回も観ておりまして、観るたびに本編を観に行かないとと思っていたんですが、本日ようやく観ることができました。

 2010年、自給自足で生活するキリスト教の村で連続レイプ事件が起こりました。女性たちはこの事件を「悪魔の仕業」だとか、「作り話」だとか、男性たちによって否定されてきましたが、ある日、実際に起きた犯罪であることが明らかになります。

 女性たちは男どもが街へ出掛けて留守にしている間に集会を開き、今後の身の処し方について話し合います。男たちを赦すのか、村に残り闘うのか、それとも去るのか。ほとんどが女性たちの話し合いのシーンです。難しいのが、この村がキリスト教の村やというところで、キリスト教のことがよくわからない私は、おそらく聖書か何かを引用しているであろう箇所の意味がわからなかったり、「どういう思考回路でその結論を導き出すの?」という部分があったり、たぶん、キリスト教のことを知っていたらもっとすっと入ってくるんだろうなと思いました。
 
 いま、今井むつみさんの『英語独習法』という本を読んでいるんですが、日本語を母語としている人にとって英語学習が難しいのは、英語の構造、英語の考え方、英語の決まり、そのほか英語のあれこれが日本語と違うにも拘らず、日本語の構造や考え方、決まりに当てはめて理解しようとするから理解が深まらない。まさにこの映画についてもキリスト教のことをふわっとしかわかっていないが故に理解しきれないところがありました。きっと、この「理解しきれなさ」はキリスト教だけのせいではなく、無論、言語の違いによるものもありますし、おそらく私が男性であるがゆえに理解の及ばない部分もあったのだろうと思います。

 一つ、そんな私にでも理解し得たことが「徹底的に話し合うこと」の必要性。村を出ようという女性も、村に残って闘うという女性もいて、その間で揺れ動く女性もいる。全く同じスタンスの女性というのはおらず、誰もがどこかで対立しているという状況で、時には激しく罵り合いながらも、それでも根気よく話し合いを続けて、全員が納得して、とまでいかずとも、誰もが多かれ少なかれ歩み寄り譲り合いながら答えを見つけ出していくそのプロセスが美しかった。それは先日、入管法の改正をなんら深い議論のなされぬまま強行した国の体たらくを目の当たりにした分、余計に美しく見えました。

 そしてまた、当初、議論の足枷になっているように思えた「信仰心」というものが、最終的に全員の拠り所となっており、宗教というものの本質を観たような気がしました。

 正論を振り翳して論破ごっこするような、しょうもない議論ではなく、子供たちの未来を見据えた「対話」という女性たちの真剣勝負。キリスト教のことを勉強してからもう一回観たい。

#映画 #映画鑑賞 #映画鑑賞記録
#映画感想文 #ミニシアター #京都シネマ
#womentalking
#ウーマントーキング私たちの選択

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?