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短編小説 消えた雨ガッパ

 四条烏丸にある職場を出たらどしゃ降りの雨であった。

どしゃ降りの雨の日には
思い出すあなたのこと
恋心燃やしていた
六月のある日のこと

 男が二十年以上前、情熱を費やしていたバンドの「雨の烏丸」という曲の一節である。
 男には詩心というものがない。
 詩が拙かったからなのか、歌が下手だったからなのか、バンドの演奏がよくなかったからなのか、その全部があてはまったのか、わからないが男のバンドは鳴かず飛ばずのまま活動休止してしまった。

 「雨の烏丸」という曲のことは好きであったから、いまも烏丸近辺で雨に遭うとふと思い出してしまう。
 男以外にもそういう人が数多いるならバンドはもう少し売れていただろう。

 男は天気予報を見ない。
 それによって何度も失敗してきているにもかかわらず、天気予報を見ることがどうしても習慣にならない。
 だから男は自転車に乗るとき、荷籠に雨ガッパを入れておくことにしている。そうすれば急な雨(といってもそれは男にとって急な雨であるだけで、天気予報さえ見ておけば予想できる雨なのであるが)に降られても、濡れることなく帰宅することができる。

 バケツをひっくり返したような雨である。
 雨足が弱まるのを待ちたいところだが、早く帰らないと今日は小学二年の次男が一人で留守番をしている。
 このような大雨ならなおのこと早く帰宅して安心させてやらなければならない。おそらく夕立であろうからしばらく待てば止むにちがいないが、手持ち無沙汰に雨宿りするのも性には合わない。いくらバケツをひっくり返されようがこっちは雨ガッパがある。別に構わない。

 しかし、自転車置き場へ行ってみたら驚いた。荷籠に入れていたはずの雨ガッパが無い。自転車置き場の屋根のうえは学生の夜遊びみたいにやかましい。渋谷のハロウィンはこんな感じなのかもしれない。屋根の外に目をやると雪でもないのにあたりが真っ白に見える。ゲリラ豪雨という言葉は好きではないが、ゲリラと表現したくなる豪雨であるのは間違いない。

 男は舌打ちをした。
 周りに誰もいないことを確認してから大声で怒鳴り散らかした。
 視界が白くなるほどの大雨である。
 ここに男より先に到着した誰かが男の雨ガッパを盗んでいったのだ。許し難い蛮行である。

 男が幼かった昭和の時代、人々はあたたかかった。このような豪雨も滅多に降らなかったが、仮に降ったとして、札付きの不良でも男の雨ガッパを盗み取っていくような輩はいなかったように思う。
 最近は烏丸界隈にも外国人が増えた。
 韓国人か中国人か、それとも欧米人か中東の人たちなのか、わからないが、男は咄嗟にこれは最近増えた外国人の仕業に違いないと思った。ほとんど決めつけたといっていいだろう。
 普段は温厚で、職場の同僚たちから声を荒げたり怒ったりしているところを想像できないとさえ言われているが、自分では気が短いほうだと思っている。
 パソコンの起動が遅いだけでパソコンに向かって怒声をあげることもある。
 桃太郎電鉄では息子にキングボンビーをつけられ腹が立ち、コントローラーを投げ捨てて泣かせてしまったこともあった。外面がいいというわけではないのだが、普段外では見せない面のほうこそが男の本性であると男自身理解している。
 殺人事件を起こした少年に対し、近所の人たちが「いつも優しい子だったから信じられない」などと言うのを聞くたびにそんなことは当たり前だと思うし、性加害疑惑が取り沙汰されている男性タレントのことを関係が近い後輩たちがこぞって「そんなことをする人ではない」と擁護するのにも印象操作以上の意味はないと思う。
 他人が思っているよりも男は精神的に幼稚であり、底辺であり、ごみくずのような男なのである。
 故に、雨ガッパが無いことを外国人の仕業だと安直に決めつけてしまったのは、むしろ彼らしいといえた。

 英語でもフランス語でも韓国語でも中国語でもその他の外国語でもなく、日本語ですらない喚き声を豪雨で打ち消し、意を決して男は自転車置き場の屋根の下を飛び出した。
 瞬間に男は全身ずぶ濡れになり、雨と一体化した。男が雨と一体化したにもかかわらず、男の着用しているシャツもパンツも靴下も靴も全てそのもののままであった。
 肌に触れる衣服の違和感が気持ち悪い。どうしてこんな仕打ちを受けなければならないのか、男の頭の中ではもう外国人が増えたからだという正解ができあがっていた。
 雨が上がるまで少しの間、雨宿りをすることを選ばなかったからでもなく、台風が近づいているからでもなく、ツバメが低く飛んだからでもなく、テリーマンの靴紐がほどけたからでもなく、外国人が増えたからなのであった。

 雨をたっぷり浸らせ、目方が五キロは増えただろうか、男は二十分ほどかけて自宅に帰ってきた。男はずぶ濡れで自転車を漕ぎながら、腹いせに放尿していたため、股間のあたりだけ生温かった。これも全て外国人が増えたせいだった。

 自宅マンションの駐輪場に自転車を停める。隣にはいつも妻が使っている電動自転車が停まっている。どうやら妻は地下鉄で出勤をしたらしい。この豪雨を予想して、普段は自転車で行くところを地下鉄に変えたのだろう。ひとこと、雨が降るということを言ってくれればよかったのに。
 妻のことを恨めしく思っていたらあれよあれよという間に曇天が霧散し、お日様が顔をのぞかせた。男が自転車を運転している間だけ、綺麗に雨が降っていた。男はそういう巡り合わせを生きていた。

 ふと、妻の電動自転車の荷籠に目を遣ると、水色の雨ガッパが神経質に畳んで置かれていた。男の雨ガッパはずっとここに置いてあった。

 そのことについて、男は外国人が増えたからだとは思わなかった。全て自分のせいだと思い直した。

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