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ロックとは利他

 昨日は東海道新幹線が運休し、復旧の見込みが立たず、その日の夜に京都で収録があった私はまず、「これは無理やな」と悟り、「かくかくしかじかで今日の収録いけまへんねん、リスケできまっか」と関係各位にLINEした。もちろん「リスケ」などというぺらっぺらなカタカナ言葉は使っていない。カタカナを使うのがカッコいい時代は過ぎた。というかこれまでにもなかったしこれからもない。

 無事Re Scheduleを完了し、カタカナで略するくらいならこうしてちゃんと英語で書くほうがカッコいいと思う。スペルが合ってるかは知らない。ともかく当日夜の仕事はなくなったので、続いて東海道新幹線以外の手段でいかに帰るかを考える。
 まず、旅慣れている友人知人の意見が聞けるかもしれないと思い各種SNSに投稿してみたところ、北陸新幹線を使う、サンライズ出雲、羽田から飛行機、深夜バスなどのアイデアをいただく。私は私で幸い青春18きっぷを持っているため、とりあえず、「こだま」で浜松まで行き(運休していたのは浜松〜名古屋間であった)浜松から鈍行で京都へ向かうことも考えたが、時間がかかりすぎるし、浜松までの「こだま」も満席らしかった。

 サンライズ出雲はちょっとよくわからないし、飛行機は高校の修学旅行以来乗っていないため乗り方がわからない。この緊急時に自分に余計なストレスをかけたくないし、どうやらこちらも満席のご様子。みんな切り替えが早い。私の頭は鈍い。こんな鈍い頭してるくせに普通列車のことを鈍行なんて言って申し訳ない。 
 というわけで、いちばん現実的な北陸新幹線で敦賀まで行くという方法を選ぶことにした。幸い私の実家は滋賀県北部にあり、敦賀から近い。おととい、母と亡き父の夢を見たばかりで、この夢については昨日のnoteにも書いたのだが、とても泣ける夢であったので、東海道新幹線運休にかこつけて母に会いに行こうかと考えたのだが、北陸新幹線も満席であった。切り替えが早い人が多すぎる。もっと今あるシチュエーションに粘着するべきだ。

 途方に暮れた私は最後の手段で、いつもお世話になっているH社長に連絡をした。「かくかくしかじかで東京に足止めを食らっておりますゆえ、もしよろしければ・・・」LINEをすると数分後に電話がかかってき、「ほんなら東京、もう一泊していきいな!」と豪快におっしゃられる。月に二度の東京出張はH社長の案件であり、いつもホテルを手配してくださるゆえ、前日入りができている。毎度毎度そのご厚意に甘えておるゆえ、なかなか、こちらからお願いするのは躊躇われたのだが、いよいよどうにもならぬことになったため、それでも躊躇い躊躇い躊躇ってから連絡してみたところ、前述の通り、「ほんなら東京、もう一泊していきいな!」と実にあっさりと私の求めていた返事を返してくださったので惚れてしまった。こういう大人に私はなりたい。

 ご厚意my love so sweetなどというフレーズが浮かぶ。もちろんサザンの「いとしのエリー」のサビの歌詞のエリーをご厚意に変換しただけであるが、エリーとご厚意が別に何も掛かっていないところに私の疲労感が見受けられるではないか。誰も笑ってくれないbaby。ただ、この時ばかりは何も掛かっていなくてもいいから、最後に桑田佳祐が「え〜〜〜り〜〜〜」と叫ぶ感じで「H〜〜〜社長〜〜〜」と叫びたいほどの愛に溢れていただけの話である。

 無事、新宿にてもう一泊した私は今朝4時に起き、4時43分新宿駅発の山手線で品川へ向かう。新宿駅へと歩く途中の歌舞伎町にはまだ朝は来ておらず、客引きはいるし、酔っ払いはいるし、相変わらずこの町は人の欲望が剥き出しになっており、それは恐ろしくもあり、そんなに出してもいいんや!という妙な安心感もあるのだ。私はなかなか出せないけれど、出しているあの町の住人に抱くのは確かに恐怖だけではないのだ。

 ちゃんと数えてはいないが駅にたどり着くまでに十五人くらい道端に倒れ込んで寝ているのを見て、「紙一重やないか」と思った。私だってH社長の厚意がなければ、そうでなくとも何か一つ歯車がうまく作動しないせいで、道端で寝ることになってしまうかもしれない。自業自得と突き放す社会よりも、寄り添ってくれる社会のほうが私は好きだ。いま、ちゃんと寄り添ってくれる政治家って誰なんだろう。

 新宿駅の山手線のホームには既に大勢の人が並んでおり、当たり前のようにビジネススーツの人もいて、この人たちには朝が来ているのだと思う。
 
 品川で降りて小田原行きの列車に乗る。この際だから時間をかけて青春18きっぷで帰ることにした。この際ってどの際やねんとは思うがこの際はこの際やねん。
 小田原駅を降り、向かいのホームの熱海行き列車に乗り換えたところで小便をしておこうと思い立ち、トイレのある車両へ向かうとトイレの前にはスキンヘッドで目力の強いおっさんが並んでおり、その横には明らかにスキンヘッドのおっさんよりも危機的状況にある若者がうずくまっていた。トイレは「使用中」のまま無情にも静謐を保っており、ひょっとして誰も入っていないのに間違って鍵がかかってしまっているんじゃないかというくらい長時間誰も出てこない。「使用中」のまま三駅分は熱海へ近づいたところで、スキンヘッドさんが私の方へ振り向き、「催促してみましょうか」とおっしゃるので、「そうですね」と答えるとスキンヘッドさんはトイレの扉を三度ほどノックしたが返事はない。昨晩、東野圭吾の小説を読んだせいか、ひょっとして中には死体が放置されているのではないか、などと考えを巡らせていたらトイレを流す音が聞こえ、ガチャっと扉が開き、出てきた男は左手にタピオカミルクティーを持っていた。私はタピオカミルクティーを飲みながら大便する人(正しくは「した人」)をはじめて見た。バツが悪そうにそそくさと去っていった。

「にいちゃん、先入りなさい」とスキンヘッドさんに導かれ、うずくまる青年がトイレに入る。さっきからこのスキンヘッドさんの振る舞いがかっこよすぎる。
 
 思いのほか早く出てきた青年は憑き物がとれたような顔をしており、スキンヘッドさんに礼を言うと、「君、鍵が掛かっていなかったよ。僕がここにいなかったら誰かが入ってきたかもしれない」と言って青年に一通り鍵の掛け方をレクチャーしたあと、私のほうを振り返り、「先にどうぞ」とおっしゃっていただいたのでご厚意に甘え、先に用を足し、出たところに待ち構えていたスキンヘッドさんは私に微笑みかけてくれた。おそらくもう二度と会うことはないと思うが実にカッコいいおっさんであった。
振り返るとおっさんはまだトイレに入っていなかった。
 昔はこうして赤の他人同士が緩やかに繋がり、緩やかに気を遣い合いながら暮らしていたように思う。見ず知らずのおっさんのちょっとした優しさに触れ、私ももっと他人を利するということを考えて生きねばならぬと思った。利他ってやつ。エリーではなくリタと叫びたい。そういえば少し前に松重豊が「自分の行動指針となるのはロックかロックじゃないかってことで、ロックじゃないって思ったことはやらない」と書いていてカッコいいと思ったんだが、昨日のH社長もさっきのスキンヘッドのおっさんもみんなロックだよなと思う。ロックとは利他なのだ。

 それではお聴きください。浜田麻里「リターントゥマイセルフ〜しない、しない、ナツ〜」ロックじゃないことは、しない、しない、ナツ。


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