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映画鑑賞の記録『ヒトラーのための虐殺会議』

 1942年1月20日の正午、ドイツ・ベルリンのヴァンゼー湖畔にある大邸宅で、ナチス親衛隊と各事務次官が国家保安部代表のラインハルト・ハイドリヒに招かれ、高官15名と秘書1名による会議が開かれました。

 議題は「ユダヤ人問題の最終的解決」。
 「最終的解決」というのは、ユダヤ人を抹殺することです。ぼかしとるわけです。
 移送して、強制収容して働かせて、計画的に殺害して。これ、人が人に対してですからね。こんな恐ろしいことが現実にあったわけです。

 会議は出席者が、それこそ現代の会社の会議のようにビジネスライクにユダヤ人問題を話し合います。ユダヤ人の定義について、「ドイツ人との混血の場合は?」「先の大戦で功績のあった者もいる」などと主張する法務次官がまともに見えてしまう異常な空間で、どのやり方が最も「人道的か」が話し合われます。

 「当たり前」が歪んでいけば極限、こんなところにまで辿り着いてしまうのか。いや、自分の「当たり前」というのが所詮、井の中の蛙的なものなのか。とにかく異常な会議風景なんですが、しかし、先ほど書いたように、これは現代の会社の会議のようでもあります。現代においても、偉い人が決めた「流れ」に沿った話し合いが形式上行われ、その流れには誰も逆らうことなく、仮に逆らう人があったとしても些細なこととして揉み消され、結局、偉い人の決めた通りにする「ため」の会議が全国各地至るところで開かれていることでしょう。

 ひとたび権力が集中してしまうと、こんな風に「当たり前」が歪んでいく。「あんた、ちょっと最近やばいで」などと言おうものなら、会議に出席する権利さえ剥奪されかねない。

 会議が終わったあとに出席者が「意義のある会議だった」「面白かった」などとタバコを吸いながらすっきりした表情で語り合っている姿が、今もよくある風景に見えてしまい、暗い気分になってしまいました。

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