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当たり前の質

 京都では8月16日に五山送り火が行われ、これが終わると夏も終わりという感覚があり、ラジオでもこのくらいのタイミングで井上陽水「少年時代」山下達郎「さよなら夏の日」フジファブリック「若者のすべて」あたりの夏の終わりソングが集中的にオンエアされることになります。「若者のすべて」あたりはもはや晩夏の季語にしてもいいのではないかと思いますが、しかし俳句の世界では今は既に「秋」です。少し俳句をかじってしまうと、そのあたりの季節のズレが妙に気持ち悪くなります。

 さて。
 五山送り火については、彼岸にご先祖様の霊を送る「送り火」であり、「大文字焼き」ではないから、京都では絶対に「大文字焼き」なんて言ってはいけないんだよ、ということを教えられてきましたが、最近は私、その「京都」ってどこからどこまでのことなんだろう?と思うようになりました。京都の人のなかにも送り火のことを大文字焼きという人もけっこう多いんです。「京都では送り火のことを絶対に大文字焼きと言ってはいけない」と言ってしまうのは、大文字焼きと言っている人たちのことを京都から排除してしまっているのかもしれません。

 噂によると、広島でお好み焼きのことを「広島焼き」と言うとめちゃくちゃ怒られるというのも、実はみんながみんなそういうわけではないらしく、もしそうなのだとすれば「お好み焼きのことを広島焼きと言うと広島の人はめちゃくちゃ怒る」と言ってしまうのは、広島焼きと言われても別段なんとも思わない人たちのことを広島から排除してしまっているのかもしれません。

 いっぽうで、私は前にもここに書いたように思いますが、先月、祇園祭期間中の京都のラジオ局で「◯◯座の今日のラッキー屋台フードは冷やしきゅうりです」と放送していたとき、「いやいや祇園祭期間中の京都でラッキーフード冷やしきゅうりはあかんやろ」と思ったりもしました。輪切りにしたきゅうりの断面が八坂神社の神紋に似ているため、祇園祭期間中に氏子さんたちはきゅうりを口にしないことになっています。そういう習わしがあるというのに、みんながみんな八坂神社の氏子さんでは無いにしても、京都のラジオ局が祇園祭期間にラッキーフードに冷やしきゅうりを持ってきたらあかんやろ!と思ったわけです。

 しかし、それに倣うのであれば、やっぱり送り火は大文字焼きと言ってはならないだろうし、広島ではお好み焼きを広島焼きと言ってはならないことになりやしないだろうか。わかりませんが、こういうことに私が疑問を持ち始めたということは、私のなかで今、当たり前が揺らいでいるということなので、悪くない傾向であります。

 先日、最近使っている英語学習アプリのなかにこんな例文が出てきました。

●Does Hinata call his husband every day?
●Does his husband work at a school?
●Her wife is Japanese.

 当たり前のようにこんな例文が出てきて私の当たり前は激しく揺らぎました。私の当たり前は今の時代、普通に当たり前なのだろうか、ということに常に疑問を抱き、当たり前の「質」を問うていかなければなりません。

#日記 #コラム #エッセイ
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