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大人になるって何かしら

 4月1日から改正民法が施行され、成人年齢が18歳に引き下げられました。3月30日の「毎日新聞」の記事によると、1896(明治29)年制定の民法が満20歳を「成年」と定めて以来、20歳になればみな精神的に成熟した大人になるかのように考えられてきました。ただ、成年制度は法的擬制とでもいうべきもので、成人年齢に達すれば誰でも精神的に成熟するわけでも大人の自覚が生まれるわけでもありません。ここまで記事参照。

僕が成人になったのは今から22年前。確かまだ成人の日は1月15日で固定だったんじゃないかしら。調べるのめんどくさいから調べませんが。その時に大人になった自覚があったかといえば、そんな感慨はなく、もう大学に入学もしていましたし、一人暮らしもしていましたし、今更大人の仲間入りと言われても「え?まだ子供扱いしてたん?」って感じやったような気がする。成人式にも出席しませんでしたし。だからあの頃はもう大人になってたつもりでいたわけですが、今思い返してみると、そういう感じが子供じみていたな〜と思います。今の子供たちはもっとしっかりしているのでしょうか。たぶん、昔も今も、しっかりしてる子はしっかりしてるし、しっかりしてない子はしっかりしてないんですよね。僕はしっかりしてない子だったんだと思います。

しっかりしてる子ばかりなら何も問題は起こらないでしょうし、なんなら15歳くらいまで引き下げてもいいんじゃないかと思いますが、そうじゃない子のほうがたぶん多いと思うから、そこはちゃんとケアしてあげないといけないでしょう。僕が大学生になり一人暮らしをして大人になったつもりでいた時みたいにテキトーに泳がせてくれる状態、手のひらの孫悟空状態にしておいてくれる期間がしばらく必要だと思う。

そしたら泳がされてるうちになんとなく様子がおかしいことに気づいていくはずです。あれ?なんかオレ調子乗ってたけど実はめっちゃカッコ悪ない?っていう、あの瞬間が大人の入口で、そこから自分自身の言動についての責任や自覚が芽生えていくのではないかしら。

あの泳がされてる感覚は思い出すたびに恥ずかしいものですが、あの感覚があったればこそ、40歳を過ぎた今、まだまだ謙虚に学びの姿勢を保っていられるのだと思います。しかし、逆にあの泳がされてる感覚に陥らず、若かりし頃から大人であることに自覚的で将来のために努力をして種を撒いていた人たちもいるわけで、僕は泳がされた分、ずいぶん周回遅れでようやく40歳を過ぎて世の中のあれやこれやに思いを巡らせるようになっただけかもしれません。

なんにせよ18歳で法的に大人と見做されるというのが、即消費者トラブル増加の懸念に繋がるというのは、つまり18歳はまだまだ大人ではないということであり、それならどうして引き下げちゃったのかしら?とは思うんですよね。さて大人になるって何かしら。

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