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拾得のお姉さん、大好きでした

令和3年5月9日の日記
知り合いの野村麻紀さんがお亡くなりになりました。野村麻紀さんは私にとっては、ずっと「拾得のお姉さん」。お店辞めはってからもずっとそれがしっくりくる。「お笑い好きな」とか「いつも呑んでる」とか「浅野忠信似の」とか「プロレス好きな」とか、いろいろ修飾語はありますけど、すべてが行き着く場所が「拾得のお姉さん」です。

もう20年以上前でしょうかね。
大学入学して音楽サークルに入りまして。
当時はバンドの音源を入れたカセットテープをライブハウスに送って審査が通ったらライブをさせてもらえる、というシステムのところが多く、そんななかで拾得はサークル員にとって、「学外でライブをするならまずは拾得で」って感じの、登竜門のような存在でした。いま思えば、現存する国内最古ともいわれる老舗がそんなポジションであったことには驚くばかりですが。

野村さんは、その当時から拾得のお姉さんでした。私のバンドが最初に拾得でライブした日に野村さんが働いていたかは覚えていないのですが、それから何度となく拾得ではライブをしまして、そのたびに野村さんに会うのが楽しみでありました。ノーライブデーに野村さんがいるからという理由で呑みにいったこともあります。

野村さんは「拾得のお姉さん」であり、「認められると嬉しい人」でもありました。私は「涌井大宴会」という、通常の音楽ライブとはちょっと違うやり方のライブをすることがあるのですが、こういう変わったことについて、野村さんは非常に寛容で、例えばお客さんの反応がいまひとつやった時にでも「私は好きでしたよ」とライブ後の打ち上げで囁いてくれたりする。それがただ励ましてくれているのではなく、本当にそう思ってくれているようなところがあり、私のような表現者にとって、それはとんでもなく有難いことなのでした。私のやっていたザ☆マジシャンズというバンドのことも気に入ってくれていたし、その昔ほんの少しの期間だけ三条ラジオカフェで私がやっていた3分間のラジオ番組のことも面白いと言ってくれていました。

人間が好きだったんだろうと思う。
私以外にも、野村さんは俺のことを好きやった、いや、わしのことかてな〜、あほ言うな、僕かて麻紀ちゃんとはな〜!なんていう人だらけなんじゃないかと思う。男も女も、かかわったことのある人はみんな野村さんのことが好きだったと思います。知らんけど。知らんし、たぶん、俺のほうが好きやったけど。いや、それは言い過ぎか。しかし、俺のこと好きやったで。俺も好きやったしな。

ここ数年は、そんなにお会いする機会はなく、会うのはだいたい西院の呑み屋だったりライブハウスだったり。2年ほど前だったか、西院のライブハウスで外国人の男性客に対してちんぽちんぽと言いまくって困惑させていて、ひょっとしたらこの外国人、キレるんとちがうかな、そしたら野村さん、ちゃんと逃げられるかな、なんて心配したのを覚えていますが、結局、その外国人といつのまにか意気投合しちゃうんですよね。あんな風にして、野村さんを真ん中にして、濃い〜濃い〜輪ができあがっているんだと思う。

最後に会ったのは「こころ」っていう西院の居酒屋さんでした。「こころ」に行ったら5回に3回くらいは会いました。「こころ」行ってお会計済まして家路を歩く頃に「そういえば今日は麻紀ちゃん来んかったな」って、これから毎回思うのでしょうね。

今日は訃報を知ったお昼3時頃から、自分でもびっくりするくらいに泣いている。拾得のお姉さんに「私は好きでしたよ」って言うてもらえる面白いことを続けていきたい。自分の話ばっかりでごめんなさい。

と、ここまでを書いてから、今日は野村さんに別れの言葉を告げたい人たちのために拾得を開放してくれるということなので向かいました。私なんかよりも付き合いが長いか深いかそのどちらともか、という人たちばかりが集まり、野村さんの話しかしませんでした。私はあんなに人に好かれる人はおらんと思っていましたが、皆さんが言うには、野村さんはめちゃくちゃ人に嫌われるか好かれるかのどちらかやったそうです。ああ、確かにそんな気もするな〜と思いながら、そっちの方面の野村さんのことを私は知らないままであったな〜と、そちらの方面の野村さんのことを知っている皆様に少し嫉妬したのでした。こんなにしんみり悲しい拾得ははじめてです。今日は拾得が泣いていました。空も雨。

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