見出し画像

新卒でWeb広告代理店を選んで4年が経ちそうだ

このnoteを書き始めたのは2022年の12月12日で、この日に26歳になりました。

「社会人としての20代」という区切り方をすると、ちょうど折り返し地点ではないでしょうか。

自分のやってきたことの整理も兼ねて、今大学生で就職先としてWeb広告代理店を検討している人に向けて、ある種のライフヒストリーとして参考になるものを書きたいなと思いました。

筆者の経歴

  • 出身:神奈川県藤沢市

  • 好きな音楽:Tool、マイブラ、Oasis、At the Drive-In、Arctic Monkeys、Kendrick Lamar、Tyler, the Creator、Mac Miller、Fivio Foreign、など

  • 学歴:桐光学園高等学校→東京大学(文3→文学部社学)

  • 職歴:アナグラム(Web広告代理店)→yutori(アパレル)→アナグラム(出戻り)→シッピーノ(出向)

  • 好きなスポーツチーム:横浜F・マリノス

ダメすぎる就活生

新卒-2年目

新卒でWeb広告の話をする前に、時計の針を2017年の夏に戻します。
そのころ私は都内某所、というか汐留にそびえ立つ電通の本社ビルにいました。

私くらいの年代だと、大学3年生の夏から職業体験的なサマーインターンに参加するようになります。東大生に人気の外資コンサルだとインターンが実質的な本選考だったりします。

(※19卒にあたる私の世代では、3年次の夏のインターンが本選考になるケースは日系企業では少なかったです。今は日系大手企業の選考も、もっと早いんですよね…?)

大学3年時点で人生を振り返っても、周りから認められた体験が個性的な作文くらいしかない気がしたので、とりあえず文章で人を笑かせる職業が良いだろうと、電通さんが毎年開催している「アイデアの学校」というサマーインターンに参加させてもらいました。

実際には、ビジコンだったりで色々と経験を積んでいる学生が、日本を代表する広告クリエイターに自分をアピールする場であって、「職業体験」みたいなぬるい目的ではない場だったのですが、私はそんなことも知らず「みんなすげー、超面白いな・・・」などと呑気にすごしていました。

今思うと全然、箸にも棒にも掛かってなかったのですが、箸にも棒にも掛かっていないことに気づけないくらいにその場の意味を分かっていなかったので、なんとなく広告業界が良いなという感想を持ったまま夏を終えちゃうのでした。

新卒-1年目

「なんとなく広告業界が良いな」から特に何もアップデートせずに就活本番シーズンを迎えた私は、大手の数社を受けて普通に落ちるなどをしていました。

気が付いたら6月になって他の友達はみんな(総合商社とか外資コンサルとかに)内定が出ている状態になりました。

東大生とはいっても自分の適性を読めなかったり、間口が狭い業界に絞りすぎたりして就職留年を選ぶ人は毎年います。さほど珍しいことでもないです。就職留年の道を選んだ人もたいてい、1年間考えなおして、世間的に成功と言われるような道に進む方がほとんどです。

ただ自分に関しては家が江ノ島電鉄の沿線と、東京までのアクセスが2時間くらいかかってしまっており、これ以上この遠距離通学生活を続けたくないという思いが強くありました。(だったら最初から就活に力入れろよ、と思うかもしれません。私もそう思います)

このような状況で、消去法的に「真面目に就職先を考えるぞ」とエンジンがかかったのでした。

元々広告を面白がれていたことは間違いないですし、また実はデータから仮説を立てることが好きであるということに社会学の講義を通じて気づいていたので、データ×クリエイティブっぽいことができそうな業界を探しました。

そこで無い知恵を絞った結果、Web広告と出会いました。

アナグラムとの出会い

Web広告で、かつ7月の時点でも採用していそうなベンチャー系の企業を探しはじめました。
ただ、これはめちゃくちゃ失礼なんですが、結構怪しそうな匂いがする会社も多いように感じたというか・・・。
(例えば、社員インタビューで社員さんが「お金持ちになりたい」という話を延々としている会社とか……「そういうインタビューってもっと意義とか、思ってなくても話すもんじゃないの?!」と世間を知らないながらに思ってました。)

その中で唯一「なんとなく怪しくなさそう」という直感が走った企業が、のちの就職先となるアナグラム株式会社でした。

アナグラムに落ちたら潔く就活留年することにしました。
普段は超受け身で面接を受けていたのに、アナグラムの面接のときだけは自分で紹介資料を作って持って行ったのを覚えています。

アピールの甲斐あって、長期インターンとして拾ってもらえることになりました。


変化と更生のアナグラム時代(第一期)

インターン編

大学4年生のお盆明けの時期から、長期インターンとしてアナグラムで働きはじめました。

当時のアナグラムは基本的にチームリーダーが採用したいと思った人を自らのチームに入れる前提で採用します。(形式は変わりましたが、今も根っこの考え方は同じ仕組みで回っています)

そのためか、入社時点ではほぼ漏れなくリーダーが新人に期待しまくっていいて、ピグマリオン効果ブリブリ効いている状態でスタートします。

最近だとピグマリオン効果は実験の手続きから再現性が無いのではないかとも言われてますが、今はそういうことはいいんだよ。

初めて私の上司になった方は、当時で新卒2年目にあたる人でした。
彼の身長が高かったので等身大に感じることは(物理的に)なかったですが、自分から見て2歳しか違わないのに、クライアントさんと対等に意見を交わしていて衝撃を受けたのを覚えています。

先述の通り、正直に言うと、私はあまり仕事に大きな希望を持つタイプの学生ではありませんでした。それが就職活動の身の入らなさに繋がっていたと思います。

しかし、たった2歳差の人が、自分の裁量で施策を提案し、さらにクライアントの信用を勝ち取っているところを目の当たりにしたことは、少なからず意識を変え、1年後には自分もその域に達していないといけないんだ、と認識するようになりました。

また、そうした姿に「楽しそう」と心から思うことができました。
元々、かなり不甲斐ない就活生をやってしまった反省の念があったので、その反動で「同じように、早く一人前になりたいし、チームリーダーにもなりたい」という念も生まれるようになりました。

考えた広告文の成果が良いと嬉しかったですしね。

気が付いたら内定も出ていました。


新卒1年目4月~9月

インターンを通じて一応は一通りの媒体(※)知識が身についたので、新卒入社した4月からいきなり3つのクライアントを担当することになりました。

※広告の配信先になるメディアのこと。Google広告とかFacebook広告とか。ここでの「媒体知識」とは、それぞれのメディアが提供するターゲティングの種類やその設定方法、特徴や実際に広告が出る面の傾向など。

媒体に関する個別の知識が身についていたとしても、任されている「運用型広告」という集客セグメント全体の成果を上げるには、まずは「適切な予算配分」ができていることが前提になります。

この感覚を身に着ける方法は、きっと色々あるんだと思いますが、私に関しては「筋が通った報告資料」を作成することで身に着けるという指導方針を受けることになりました。

しかし、そもそもパワポで資料を作る経験がまるで無かったため、メッセージのロジックから体裁まで、とにかく修正が多かったのを覚えています。

あの時は「なんでこんなに直されるんだ・・・?」と思っていたのですが、フィードバックをすることが増えてきた今になって思い返すと、よくあんなに修正をさせてくれたなぁという気持ちです。

2~3回ほど指摘を入れて良い資料が上がってこなかったら、マネジメントサイドにとっては、自分である程度作っちゃった方が早いですし楽なはずです。それでも、何度も直させることにしたのは、自分で考えるプロセスを踏むことに意味があるからだったのだと思います。


月々の定例会が来るたびに、何度も資料を直されながら、もちろん施策のロジックも見直されながら、徐々に勘所を身に着けていきました。

また、週次の社内勉強会である「グロースハック」は、他のチームの人を含めた複数の視点で自分のアウトプットにフィードバックを受ける機会があり、非常に勉強になるものでした。

"今"のレベルが低いことに対してはプライドが無かったので、思いついた施策は必ず書いて、ダメ出しを受けるようにしていました。
また、マネージャー陣やリーダー陣のアウトプットは即考え方を真似して、翌週、翌々週のグロースハックでは着眼点をパクるようにしていました。

新卒1年目10月~1月

アナグラムの面々の指導を受けて、徐々に定例会で一人で喋れるようになってきました。

次のチャレンジとして、他の代理店さんからアナグラムにリプレイスするお客さんのアカウント構築をイチから実施することになりました。

アカウントの初期構築には大まかに次の要素があります。

  • (予算に応じた)媒体・ターゲティング選定

  • 広告文の作成

  • 画像を含むクリエイティブの制作ディレクション

  • タグなどの計測周りの設定

  • 入札価格の決定

1か月くらいで準備をするのですが、既存のクライアントの改善施策を回しながら実施するので、それなりに大変です。(ちなみに、この初期構築のお客さんで、掛け持つ案件としては5案件目でした)

予算も大きいお客さんだったので、必然的に媒体・ターゲティングの数も多く、その広告枠に合わせた広告文の作成も多くなりました。


まだ働き方改革関連法が中小企業に施行される前でしたし、自分としても「これは腕試しのチャンスだ!」と前向きに捉えられてモチベーションが高かったので、それなりにハードワークをして乗り切りました。これは、良くも悪くも今は難しいアプローチですが、個人の感想というミクロ視点においてはやって良かったです。


張り切ってアカウントの構築が終わり、いざ配信スタートとなったのですが、なんとCPAが高騰…!

張り切っていただけにショックでしたし、プライベートでは(CPA高騰とは関係なく)自分の誕生日に彼女に振られたのでそれなりに辛かったです。毎日サウナに行くことで心身のバランスを保ちました。

ただ、CPA高騰に関しては「実は配信開始の月が閑散期だった」ということがわかり、月が替わるとCVRが回復し、その月にクライアントさんの過去最高のCV数を、前代理店さん時代に最高のCV数を出した月の半分ほどのCPAで達成することができました

クライアントさんの信頼も回復することができました。(※彼女との関係は回復しませんでした)

この結果を受けて、自分も一人の運用型広告プレイヤーとして自信が付きましたし、来期でチームリーダーに昇格できるかも…という展望が出てきました。

さらにこのころ、新卒1年目の4月から担当していたお客さんからサシのご飯に誘われて、ここまでの成果に対する感謝を伝えられることがありました。

上司を始めとしたアナグラム社内のメンバーはもちろん、"アナグラム"という看板を信用していただいているクライアント様にも育てられ、結果としてほんの1年前には想像できなかったようなところに来れたんだなぁと実感しました。

この頃にサウナでキマることを覚えてしまう
キマりすぎてピントが合っていない

荒波に身を投げた2年目

新卒1年目2月~新卒2年目4月

次は良いチームリーダーになるぞ!という新たな目標が生まれ、採用面接にも参加するようになりました。

採用面接のなかで、この人はすごいぞ…!という学生がいたので、インターンとして採用を決めて、当時マネージャーに昇格していた上司に猛プッシュしました。

すべてはアナグラムの次のステップに向けて良い歯車が回ったように見えたのですが―――。


ひょんなことから付き合いがあったyutoriに一人目のマーケティング担当者として誘われて悩むことになります。
だいたいは以下のような論点で迷っていたと思います

<yutoriに行きたい理由>

  • 今しか無さそうな誘いだから(yutoriがオリジナルブランドにシフトする時期。また、自分がアナグラムでチームリーダーになってしまうと、部下の成長に責任が生じるため、今後しばらくの間は他の会社に行ってみるみたいな動きはできなさそう。)

  • 服がめっちゃ好きだから

  • 事業会社のマーケティング担当者も気になるから(アナグラムで関わった事業会社側の方が、悉く魅力的な人たちだったことで、ある種の憧れが発生していた。)

  • 働く時間を制限されたくなかったから

<アナグラムに残りたい理由>

  • めっちゃ恩があるから

  • チームリーダーとして、より運用型広告とLP・クリエイティブのディレクション力を身に着けてスペシャリストとして成長した方が、活躍の幅が広そうだから

  • なんとなくアナグラムが好きだから

  • 人が間違いなく良いから

  • フィードフォースにジョインし、今後面白い動きがありそうだから

色々と考えたのですが、迷う時点で「ワクワクしてる」ってことですし、迷うほど失うものが無かったのでyutoriにジョインすることになりました。

新卒2年目~3年目:yutori時代

この時代については、遠い昔に書いたこちらのnoteで詳しく触れています。

複数あるブランドのマーケティング担当と、最終的には新規ブランドPJ×3のMD兼雑務(外部の有名デザイナーさんとブランドを作るプロジェクトだったので、レベシェアの交渉なりも必要でした)と色々やらせてもらいました。

マーケティング担当としては、広告施策やLINE公式の導線設計など、Webマーケっぽいこともやったのですが、主にはインフルエンサーさんやクリエイターの方を起用したキャスティング施策と、他のブランドへのコラボ営業が主な業務になりました。

有名なデザイナーさんだったりと仕事をする機会にも恵まれました。特に、自分が初めて買ったデザイナーブランドを生み出した方と関われたことは大変光栄でした。

また、yutoriでの生活の後半に採用したマーケティング担当者としての仲間や、新規ブランドを立ち上げるPJで一緒になった仲間が、かなりナイスガイ(ズ)だったし、それぞれ服オタクだったりアイドルオタクだったり、一緒に働いていてかなり楽しかったです。

総じて面白い環境だったのですが、1年ほどで退職する意思決定をします。

理由は色々な観点がありますが、自分起因の2点に収束すると振り返っています。

  • 売上へのインパクトが大きいビッグネームとのコラボは、片石さんの人脈で発生するため、自分では貢献できなかった。飛び込み営業で企画にこぎつける中規模なコラボや、キャスティングやCRM施策による凡打で売上の底上げには貢献できても、ホームランは出せなかった。(今思うと、これで悩むっていうのは、自分に期待しすぎな気もしますけどね)

  • 施策が当たっても、心のどこかで「クリエイターの人がすごいのであって、自分は発注しただけ」という感覚があった。これは各々の"ツボ"の違いであり、楽しめる人の方が向いていると思った。

この時代を通じて、服装の方向性がおかしくなります
職質を受けたことが一度も無いことに自分で驚き

阿部さん「起業しろ」

ただyutoriを離れた後に何をしようか決めていなかったので、アナグラムの阿部さんに相談に行きました。

阿部さんからは「起業しろ」とまさかのアドバイス(?)を頂くことになります

人生で起業などということは一度も考えたことが無かったのですが、阿部さんに言われるとやんなきゃいけない気がしてくるので、1か月弱くらい、持っていたアイデアで起業する方法を考えました。

それと同時に、一発でアイデアが当たるわけないので、受託で食いつなぐ方法についても考えていました。

この時はこれまでの人生で一番先のことを考えたので、途中経過を話すと長くなりそうです・・・。

結論として、「マーケ支援系の新規事業だったら絶対フィードフォースグループでやった方が早いし、運用型広告だったらアナグラムでやった方が自分自身も伸びるじゃん…」というところに着地しました。

そういう結論が自分の中で出てしまったので、アナグラム時代の上司にスラムダンクの名シーンの画像を緑のメッセージアプリで送り「運用型広告がしたいです」と伝えました。


本当に送りました。
湘南育ちなのでスラムダンクは義務教育です。

2021年の7月からアナグラム初の出戻り社員になります。

阿部さんは不思議がっていました。

「恥ずかしながら帰って参りました」新卒3年目


トレードマーク?の天パとアンカバの革ジャン

チームリーダー兼新規事業担当として戻ることになりました。

超優秀でポテンシャルがすごい若手2名のマネジメントをしながら、阿部さんのアイデアを形にするような事業の進行を担っていました。

ステークホルダーが多いことで大変でしたし、パートナー企業さんにもご迷惑をおかけしてしまいましたが、アナグラムの知見とパートナーさんの知見を結集し、何とかリリースできる成果に繋げることができました…!

また、2021年の10月にシッピーノ株式会社がフィードフォースグループにジョインします。

これに伴い、少しずつアナグラムの仕事を他の人に引き継ぎながら、シッピーノ事業のテコ入れ要員としての仕事を増やしていくことになります。

引継ぎは最終的に2022年2月に終わり、本格的にテコ入れ要員としてのコミットメントを求められるようになります。
あまりにもダイナミックな形で・・・。


鉄砲玉と化した新卒4年目

2022年の4月より、シッピーノ株式会社の代表取締役になりました。
会社の新設分割と代表取締役社長交代のプレスリリースが出る日は、やけにソワソワして落ち着かない気持ちで北参道の桜を見て落ち着こうとしていました…。

シッピーノの概況はFFGの決算で発表されています。

https://ssl4.eir-parts.net/doc/7068/tdnet/2185633/00.pdf

これを「何とかする」ことがミッションになりました。

上場企業の子会社にあたるので、何が課題で、どういう方向性のアクションを取るんだというような話は書きにくいですね。

表に出ている情報は問題ないはずですので、ちょっと淡泊になってしまいますが、リリース済みの主要施策を紹介しますね。

  • 連携先の拡大

  • 倉庫紹介ブログ

  • 物流倉庫の選定からサポート


ずっと比較的若い組織で、toCのマーケティングと広告・マーケティング面のBizDevをやってきたため、toBの事業運営を平均年齢が上がった組織で行うのはそれなりにギャップを感じるところですが、FFGやパートナー企業の皆さんの助けを得ながらなんとかやっています。

おわりに

「広告運用」という名前が地味な件

「広告運用」という少し地味な印象を与える名前が付けられているせいで少し過少評価されがちですが、運用型広告を「設定できて、配信できる」というレベルと、「LP・クリエイティブのディレクションまで行って運用型広告の成果向上を目指せる」レベルや「運用型広告に関わる領域を主導することで、クライアントの担当者に新規事業や新規施策を動かす時間と余裕を与えられる」レベルには、非常に大きな隔たりがあり、後者に行くほど奥が深い分野だと思います。

自分はこれまでいくつかの事業会社に転職の誘いを受けることがあったので色々と口説き文句を聞きましたが、印象としては、前者のレベルのままジェネラルなマーケターにシフトした人ほど「広告運用」を低く見積もってしまうように見受けられます。

まぁ成長産業だから前者のレベルでも全然仕事があるというわけで、ある意味良いことなのですが、アナグラムで「できる」とされるには後者が基準になります。

4年間の振り返り

人生はABテストできないので、今まで歩いてきた道が良かったのか悪かったのかわからないのですが、あまり後悔していないのと、過去の失敗も肯定的に捉えられるようになったのは確かです。

この辺りのブログを読んで面白そうだと思ったら、いずれかの会社さんの説明会とか面接、インターンに参加してみると良いと思います。

https://anagrams.jp/blog/not-only-ads-management-but-also-marketing/

https://anagrams.jp/blog/why-hypothesis-thinking-is-important-for-adops/


恩着せがましく置いておくぞ、アナグラムの新卒採用ページ

新卒採用

経験者・中途を含む応募ページ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?