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門前日誌 -見る、言う、聞く-

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NPO法人日光門前まちづくりnote部が運営する「門前日誌」です。日光門前にまつわる「暮らし」について、各々の視点で綴ります。
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#NIKKO

祭りのあと

ふぅ。 今年も春の大祭が終わった。 「日光弥生祭」という。 個人的には3回目の筆頭頭役を仰せつかって、なんとか“乗り切った”という感がある。 おかげさまで、という言葉が全てについてまわるようなものなのだが、その辺については長くなるのでまた別の機会にでも。 さて、 祭が終わってすぐ、用事があって東京と横浜へ。 この時に感じたことをtwitterにこう書いた。 前にも同じようなことを感じたと思う。 日光弥生祭。 様々なサイトの説明や、紹介されている書籍などには これと似

歴史から生まれたアイデンティティー

日光は江戸幕府の繁栄と共に栄えた徳川家康が霊廟として日光に東照宮を建設したことで有名ですが、その後の明治の時代にも、日光の気候風土が避暑地に向いていることから、多くの来訪者や外交官が訪れ、ホテルや別荘が建設されました。 駅を降りて東照宮に向かうルートにもその面影がのこされており、「和洋折衷」な建物が多いことも一つの町の特徴であります。 今思うと高校生の時に毎日、通学で使っていたJR日光線、駅の外観や電車の内装、アナウンスや広告が英語だったり。 町の歴史を紐解くと、景色の

密教型の都市・日光-「日本の都市空間」より

「日本の都市空間」という本が彰国社から出ている。1968年初出なので約50年も前のものだが、現在も刷られているロングセラーなのだという。 伊藤ていじ氏を筆頭とする、「都市デザイン研究体」によるもの。 タイトルの通り、日本の都市空間の特徴を読み解いているのだが、序文で丹下健三氏は「都市化は爆発的に進行した。」として、本書は当時日本の都市デザイン関する新しい創造的な挑戦と提案を行っていたいくつかのもののうち、世界で指導的な役割をもった「創造的な活動の一つ」と紹介している。 空間

まちの魅力を掴む建築

 本日は日光の私の一番好きな建築について書こうと思います。 それは奥日光にある小さな建築です。 「イタリア大使館別荘」 設計はアントニン・レーモンド。後に名立たる日本の建築家となる吉村順三や前川國男など多くの建築家の師となった人物です。  この建物は日光の一つを印象づける杉の素材を一松模様に組み合わせ・地元の職人さんたちと一緒に作り上げたと言われています。また白根山と中禅寺湖の眺望を存分に眺めるために、あるべき気持ちのいい場所に窓を思いっきり設けた縁側は堪らなく心地よ

マガジン「門前日誌」の創刊にあたって

日光門前のまちづくりの現場に、新たな若い仲間が増えました。 NPO法人日光門前まちづくりは、世界遺産「日光の社寺」の門前町をエリアにこれまで15年間活動をしてきた、市民活動団体であり、エリアマネジメント組織です。 15年の活動の中では、活動を続けていく難しさも、団体を運営してく大変さも様々経験してきました。 今回のような、大いなる“興味”と“主体性”を持った若い世代の参加は嬉しいものです。 …とカタイ書き出しになってしまいましたが、つまりは、嬉しさが隠せない、と言うことで

【自己紹介】故郷の原風景に彩りを。-門前日誌-

自己紹介-宮崎千遥 はじめまして、宮崎千遥と申します。 日光の稲荷町という場所で生まれ、現在は仙台の工務店で住宅に携わる生業をしています。  よくよく名前の響きから女の子に間違えられて昔はこの名が嫌いでしたが、いまは「視野を狭めず遥か遠くを見渡すことのできるような人間」にと名付けてくれた両親に感謝して、故郷を離れ仙台で修行?している身になります。  私の祖父は日光が大好きでした。「金谷ホテル」という日光を代表する歴史あるホテルに勤めながら、外国人観光客に案内ツアーをしたり