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脳構造マクロモデルで読み解く人間行動選択#10 エマニュエル・トッド(1)「家族構造とイデオロギー・システム」

ーー「家族構造」に埋め込まれている「自由と権威」、「平等と不平等」の価値観が、人間の意識と無意識に働きかけて、近代のイデオロギーシステムや成長を生み出してきたーー

フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドは、「近現代の世界の多様性と文化的成長」を生み出した構造が「家族構造」にあることを、人口統計に基づく様々なFACTの時系列データから、独自のマクロ的視点で見出した。

本稿では、1951年生まれのトッドが三十代の時に記した初期の著作にして原点である、『第三惑星~家族構造とイデオロギーシステム』(1983年)、『世界の幼少期~家族構造と成長』(1984年)を2回に分けて読み解いていく(この2作は『世界の多様性~家族構造と近代性』(1999年、日本語版2008年初版)として纏められている)

今回の読解も、人間の行動選択や振舞いを決定づける脳構造、本稿シリーズの核である豊田・北島の脳構造マクロモデルを適用して、人間の集団としての行動の「構造」を見つめていく。

脳構造マクロモデルMHP/RT概説

本稿での脳構造マクロモデルの理論は、cognitive2021でも論文採択されるなど世界で評価されている、豊田・北島の脳構造マクロモデルMHP/RT(Model Human Processor with Real Time constraints)に基づいている。

MHP/RTの詳細は、北島のWebサイトを参照されたい。その国際的な評価やこれまで日本で全く知られていない背景については、本稿シリーズの#0に記載しているが、本稿で初めて目にする方に少しだけ解説をしておきたい。

豊田・北島の脳構造マクロモデルMHP/RTは、1978年ノーベル経済学賞のH.サイモンの限定合理性、 GOMSの創始者であるA.ニューウエルのMHP(Model Human Processor)、2002年ノーベル経済学賞受賞者で行動経済学の祖として知られるD.カーネマンの2minds(システム1、システム2)を体系的、理論的に結び付けるものである。

脳のマクロでの振舞いは、処理速度帯域の速い小脳系の自律自動処理を行うシステム1系、処理速度帯域の遅い大脳系の思考・論理処理系のシステム2系がデュアルに動作する。豊田・北島のMHP/RTは、同じく多階層構造となっている記憶領域も併せてモデル化し、システム1・システム2と記憶領域の連携も含めて、脳での情報処理構造はマクロ的に観れば並列分散に動作する非線形モデルであることを統合的に理論化したものである。これがMHP/RTを脳構造マクロモデルと呼ぶ理由である。

つまり、人間の行動を生み出す、脳の振る舞いとその構造は、少なくともマクロ的に解明されている。欧米では、脳の情報処理プロセスはデュアルプロセスであり、脳構造は並列分散処理の非線形モデルであること、を前提とした科学的アプローチが、政治、経済、教育などのあらゆる分野で進もうとしている。

トッドの”近代の政治現象(イデオロギー・システム)、経済現象(経済成長の基となる文化的成長)が家族構造にある”という発見は、脳構造とは直接リンクしない、人口統計関連の近代の時系列データからマクロ史観に基づいて導きだされたものである。しかし、家族構造の分類による地域毎の集団としての特性を描いているトッドの見出した構造は、人間が集団性を持つことを踏まえ(例えば、本稿のヘンリック『文化がヒトを進化させた』(2)や(3))、個人としての行動選択は集団が形作る環境的要因に拠る影響が大きいことを説明する、脳構造マクロモデルを適用して捉えることで、その背景がより理解しやすいものになる。

ユニークなマクロ史観が見通す近代の構造
~『第三惑星-家族構造とイデオロギーシステム』

エマニュエル・トッドは、ソビエト連邦の崩壊、イギリスのEU離脱、アメリカシステムの衰退を予言したことで知られ、現代最高の知性の一人とも称されている。過去の出来事を解析的に振り返るだけの従来の政治学や経済学では読み取れなかった世界の多様性と変化を、様々な人口関連統計データから客観的に分類可能な「家族構造」によって、説明・予見しうることを見出したトッドの知性は、他に無い、極めてユニークなものである。

ユニークであるが故に、家族構造がイデオロギーシステムを生み出した、というロジックに対して、直観的に、すぐに賛同出来る人はどの程度いるだろうか。実際、『第三惑星』(1983年)の発表当時、フランスのマスコミや知識人も、トッドの主張に対して、厳しい批判を浴びせたという。

本稿の第5回のジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右に分かれるのか』(2)「まず直観、それから戦略的思考」などでも触れたが、直観は、脳構造から捉えると、カーネマンのいう「速い思考」のシステム1系によってもたらされる一種のバイアスである。

直観的な判断を注意深く回避しながら、まず、トッドが見出した家族構造とイデオロギーの関係を、『第三惑星』に記載された地図を眺めて、視覚的に確かめよう。

家族構造の分布図が示すもの

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(図1:世界の家族類型分布、『世界の多様性』の巻末掲載地図より)

上の地図は、トッドが示した世界の家族構造の分布である。赤い色で示された家族構造は「外婚制共同体家族」で、「外婚制共同体家族」が主である国は、ロシア、中国、キューバ、ベトナムなどとなっているが、これらの国々は共産主義である。

トッドは歴史人口学者で、人口統計データの研究から、外婚制共同体家族と共産主義の分布の一致に気がついた。この発見から、人口統計データに基づいて分類可能な家族構造により、イデオロギー・システムの世界的な多様性を説明しうるという仮説を着想した。この仮説を検証するべく、世界各地に共通に適用できるシンプルな家族類型の分類を定義し、世界各地の家族類型とイデオロギー・システムとの関係を紐解いたのが『第三惑星-家族構造とイデオロギー・システム』である。

家族構造の分類軸が投影する価値観

トッドが世界各地のイデオロギー・システムの分布を見通すために用いた、家族構造の分類軸は「子供が結婚後も親と同居するかどうか?」「親の遺産を子供がただ一人で独占するか、分配されるか?」および「婚姻の際近親婚を緩和するかどうか?」の3軸である。

これら3つの観点は、原則として、人口統計データさえあれば、主観的判断を挟まずに、客観的にデータから分類することが可能である。

なぜ、この3つの観点に基づく家族の分類が、イデオロギー・システムの違いを生み出す価値観の基になるのか。そこに「家族構造」の秘密と影響力がある。

結婚後も親と同居するかどうかは、親子関係における権威主義的なモデルに適応しているか、自由主義的なモデルに適応しているかを示すものとなる。
遺産の相続は、兄弟(姉妹)間での平等の概念を受け入れているか不平等の概念を受け入れているかを示すものとなる。

トッドは、家族構造に埋め込まれているイデオロギー・システム(と文化的成長)の差異と多様性を説明する価値観の構造として、フランスの社会学者フレデリック・ル=プレ(1806-1882)の分類を基に、権威と自由平等と不平等の2つをまず基底に置いた。

父親と息子たちとの関係が自由あるいは自由の否定を定義するのである。そして兄弟たちの関係が平等あるいは不平等の理念を定義するのである。
 自由。仮に子供が結婚後も親たちとともに生活を続け、拡張された家族集団のなかで縦の繋がりを形成しているとすれば、その子は家族関係の権威主義的なモデルのひとつに適応しているのである。逆に、仮に子供が思春期を終えたところで結婚というかたちで独立した家族を築くために元の家を出るとしたら、彼は、個人の独立を重んじる自由主義的なモデルを実行していることになる。
 平等。相続は二つのやり方で行われ得る。仮に親の財産が分割されるようであれば、その相続は兄弟間の平等な関係を示している。だがもし相続のシステムが財産の分割不可能性を前提にし、ひとりを残してその他が相続から排除されるとしたなら、その相続は不平等理念を受け入れていることになる。」(第三惑星 第1章7つの家族類型, p.42、太字は本稿筆者)

ル=プレの分類を基にした自由-権威(データ上の分類観点は結婚後の親との同居有無)と、平等ー不平等(同じく分類観点は財産相続の分割有無)の2軸で分類することにより、権威×平等の「共同体家族」、権威×不平等の「権威主義家族」、自由×平等の「平等主義核家族」、自由×不平等の「絶対核家族」の4つの家族類型に分けることができる。この4分類で、ヨーロッパの家族類型はカバーすることが出来る。即ち、ヨーロッパの家族類型はこの4つのいずれかに属する。この4分類を示したものが下図である。

家族類型4分類

トッドは、世界の家族構造の分布を俯瞰するにあたり、ヨーロッパを前提としたこの4分類に、婚姻に対する規範・習慣を加味して7分類とし、データも少なく一様な分類が行い難いアフリカを加えた8分類として、世界の家族構造の分類と分布を纏め上げた。『第三惑星』に記載された8分類の定義と人口規模の比率を纏めた表が以下である。

第三惑星-家族類型8分類表

各家族類型のもつ特徴の詳細やその考察については、『第三惑星』やトッドのその後の著作『新ヨーロッパ大全』(1990年)、『経済幻想』(1998年)、『家族システムの起源』(2011年)などを参照されたい。

ヨーロッパにおける4類型の特徴と差異

ヨーロッパを網羅する4類型外婚制共同体家族、権威主義家族、絶対核家族、平等主義核家族について、『第三惑星』の第2章、第3章、第4章から、4類型の特徴を本稿筆者が纏めたのが下記の表である。

第三惑星-欧州4類型表

以下では、それぞれの4類型を代表する事例であるロシア、ドイツ、フランス、イギリスを対象に、「自由-権威」、「平等-不平等」の2軸で特徴を語りうる4類型について、トッドのエスプリの効いた機微のある記述を抜粋して眺めながら、トッドの思考と発見の持つエッセンスを確認していこう。

外婚制共同体家族
~普遍性を希求する同胞意識
~内在する不安定さがもたらす「父殺し」

親世代との同居を行い相続を平等に行う権威×平等の外婚制共同体家族は、父の権威と兄弟の連帯を同時に指向するが故に、常に不安定さを内在する。不安定さを生み出す直接的な要因として、大きな共同体家族に女性が嫁いで来たら、姑、舅、夫の兄弟姉妹という、核家族の場合に比べ、極めて多くの関係を新たに構築しなければならないことをトッドは挙げている。

外婚制共同体家族では、相続にあたり、一人のみではなく分割が行われる。拠って、兄弟(姉妹)の間では連帯意識が高まりやすく、兄弟による同朋意識、同胞意識を起点とした自らの価値観の普遍性が希求される。そして、同時に父的権威・縦型権威の継承、対立、軋轢という矛盾を抱える。このような不安定と対立が家族構造のなかに内在するイメージを理解するには、ロシアの文豪ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を思い起こしてもらうことが分かりやすい。

ロシアは、夫婦間の年齢差が他の同じ外婚制共同体家族の国々と比較して少ないということなどからくる男女間の平等意識の強さという特徴もあり、外婚制共同体家族の典型とはいえない面もある。しかし、ロシア革命が家父長制家族の規制廃止を行ったことに象徴される、まず権威の源泉を亡き者にしようとする破壊的衝動「父殺し=父に象徴される権威殺し」の特徴は、外婚制共同体家族の抱える集団としての特徴を雄弁に表すものである。『カラマーゾフの兄弟』の物語は、単なる家族間の愛憎の物語ではなく、外婚制共同体家族の社会に宿命的に内在する物語の表出なのである。そして、共産主義では、共産党が父の代わりに権威を発揮する役割を果たそうとすることになる。

権威主義家族
~存在しない差異を見出す自民族主義
~矛盾と緊張がもたらす文化的活力

権威主義家族は、親世代との同居があり、遺産相続が一子のみに行われる権威×不平等の価値観を投影した家族分類である。権威主義を志向し、不平等を認めるが故に、自己の正統性を見出すために、実際には存在しない他との差異を見出す能力に長けている、とトッドは特にエスプリの効いた描写を行っている。この特質が究極まで高まったのがナチズムである。

しかし、一方で、遺産相続の継承性から、私的財産権の継承を承認し、国有化を許容しない点が、同じ権威主義の価値観を反映して共産主義を生み出した外婚制共同体家族とは大きく異なる。

絶対的な縦型組織を継承することは、強い社会的行動規範を継承することを意味する。例えば、暴力を用いないことが規範化されると、暴力を用いないやり方は教育という形で規範として強化されて継承されるようになる。
また、権威主義家族は、婚姻としては双系であり、「女性の権威」(※この言葉は誤解を生みやすいが、本稿ではトッドの表現をそのまま引用する。詳細は次回原稿に譲る)が家族類型の他タイプと比較して相対的に高い。

この人類学モデルのなかで女性が果たす重要な役割は、権威の継承は暴力的な力の問題ではないことをしっかりと示している。なぜなら奇妙なことに、父と息子の関係が強調されているが、実際には、それによって権威主義家族が女性に重要な場所を提供することにを妨げるものではない。」(『第三惑星』第3章, p.119、太字は本稿筆者)

詳しくは次回の『世界の幼少期』読解で触れるが、「女性の権威」は、文化的な成長・識字率の高さと関係が非常に深い。このことは、ドイツの第二次世界大戦後の復興の相対的な速さを構造的に説明する。

トッドは、権威主義家族は矛盾と緊張に満ちている、という。「権威の原理の実践を欲しながら」つまり「縦型構造の中で個人を創りあげながら」、その一方で、相続の不平等さが故に相続を受けられない「社会の中での位置が定まっていない家族集団から排除された自由な個人」を生み出すような「無秩序」を孕む。
また、相続の不平等を認めながら、実際には平等主義的な農民社会構造を生み出す。更に、男系血縁の継続を主張しながら、女性に大きな役割を与える。

このような矛盾する価値感の並存と矛盾がもたらす緊張が、活性力の高い文化的要因を与えていると、トッドは観察している。

平和主義核家族と絶対核家族
~全体主義に馴染まない構造
~フランスとイングランドの違い

欧州の4つの家族類型の概観の最後に、フランスとイギリスの核家族型を見ていこう。

フランスに代表される平和主義核家族は、結婚を機に独立する核家族と遺産の相続が平等に行われるという価値観の組合せとなる。
一方、イングランド・アングロサクソン系(スコットランドは家族構造のタイプが異なり、権威主義家族に属する)を代表とする絶対核家族は、結婚を機に独立する核家族と遺産の相続が一子に限定されるという不平等の価値観の組合せとなる。

2つは同じ核家族型でも平等と不平等の価値観がもたらす違いがあるが、この2つの核家族型に共通な特徴もある。2つのタイプには、権威ではなく自由を志向する価値観が投影されている
イギリスもフランスも、共産主義の到来を待たず、君主制システムを打倒し、血統性原理を離脱した政治体制を構築し、短期間の独裁制(イギリスはクロムウェル、フランスはロベスピエール、ナポレオン)や内戦を経て、近代の政治体制の構築に至っている。

「革命的な思想は、確かに常に全体主義的な性格を孕んでいる。しかしイングランドでもフランスでも、個人主義的な価値を諦めることができず国家機構へ人々を同一化することを認めることが出来ない核家族構造によってその全体主義的な権力の活性力は打ち砕かれたのである。」(『第三惑星』第4章,p.169、太字は本稿筆者)

権威ー自由の対立軸の価値観の違いがもたらす、労働者・プロレタリアートと組合に関する、権威グループの外婚制共同体家族・権威主義家族と、自由グループの2つの核家族型の違いも興味深い。権威指向になる外婚制共同体家族の共産主義、権威主義家族の社会民主主義の伝統は、組合に対して党が優位性をもつ

理想的には、規律ある労働者階級は、党組織の知識人と官僚たちが体現する政治的頭脳のために経済的な腕としての機能をはたすのである」(『第三惑星』第4章,p.171。太字は本稿筆者)

一方、個人主義の場合、労働者階級は「そう簡単には服従しない」。そして、反秩序につながる規律のなさが表出する。代表的な事例として、トッドは、「自然発生的なストライキへの抗しがたい志向性」を挙げる。「労働組合執行部の同意なしに末端が決定して集団行動を決行する」のである。

個人主義的な精神構造には適さない集団主義的な構造では、人々の無意識を掴むことができないのである」(『第三惑星』第4章,p.171。太字は本稿筆者)

最後に、フランスとイングランド、平等主義核家族の「平等と自由」と絶対核家族の「自由」の価値観の差異は、トッドの次の文章に集約されている。

「自由と平等の概念は、確かに部分的に矛盾し合うものである。個人の自由な成長は、人々の間の差異の出現を前提にしている真の個人主義はこれらの差異を認めることであるとさえ言うことができる平等原理はこの不均質性を拒否するのである。」(『第三惑星』第4章,p.177。太字は本稿筆者)

このように矛盾する自由主義の願望と平等主義への願望が同時に存在していることにより、19世紀のフランスは、不安定性を抱えることになった。機会の均等というフランスに刻まれた刻印は、平等主義核家族の抱える、初期条件として平等性の確保となる教育の整備、均等な遺産分割後の格差の容認という平等主義核家族がもたらす人類学的な基底の反映だ、とトッドは描写している。

一方、イングランド(およびアングロサクソン系)については、絶対核家族が持つ、不均質性を是認する不安定さ故にもたらされるせめぎ合いを政治、経済の各所で抱えることになる。「ある意味で国家との闘いが歴史的伝統であるアメリカ合衆国とイギリス」(p.176)では、資本主義の官僚化による統治それがもたらした60年代から70年代の経済的不調、サッチャー(およびレーガン)による官僚化した国家機構の破壊という、共通した推移を観ることが出来る、とトッドは指摘する。

次回の文化的成長と近代性というテーマにも繋がっていく「工業化・都市化が核家族化をもたらしたのではない」というトッドの指摘を記載して、欧州と対象とした4つの家族類型の特徴に対するクイックな概観を締め括ろう。

1960年代に、ケンブリッジ大学のピーター・ラスレット、および、アラン・マクファーレンがそれぞれ行った、イギリスの家族システムを検証する調査研究により、歴史的な資料を遡ることの出来る、即ち、ファクトとしての根拠が存在する13世紀まで遡っても、イングランドには、複合的家族構造は存在しなかった、ことが確認された都市部に限らず、工業化のための人材を都市に排出してきたとされる農村においても、イングランドは少なくとも中世から核家族形態であったのである。
(『第三惑星』第4章, p.166を本稿筆者が要約。太字も本稿筆者)

核家族は、近代化、すなわち、工業化や都市化によって生み出された結果ではなく、近代化を生み出した構造的源泉であった、のである。
この点を観ても、「家族構造」が近代における政治イデオロギーや成長の源泉になっている構造が現れている。

脳構造モデルで紐解く、意識と無意識の影響力

なぜ、家族類型の構造で分類した価値観に拠って、このような地域によって異なる集団的な差異と特徴を説明できるのだろうか。トッドは『第三惑星』の序章で次のように述べている。

家族とは定義上、人と価値を再生産するメカニズムである。それぞれの世代は親たちと子供たち、兄と弟、兄(弟)と姉(妹)、姉と妹、夫と妻といった基本的な人間関係を定義する親たちの諸価値を、無意識のうちに深く内在化するのである。この再生産メカニズムの強みは、意識的な言葉によるいかなる公理化も必要としないという点である。このメカニズムは自動的に働き、論理以前のところで機能する」(『第三惑星』序章, p.49~50、太字は本稿筆者)

「家族」は、人が属する集団としての社会規範を、人の意識と無意識に影響して形作る、最も身近にある「集団を特徴づける環境要因」なのである。
集団としての環境要因の影響力の大きさは、脳構造マクロモデルを適用して考察することで、より容易に理解できる。

これまでの本稿のヘンリック、ハイト、グリーンの読解で眺めてきたように、ヒトの発達段階および成人時において、所属する集団の持つ社会規範や価値観は最も身近にある環境情報であり、意識・無意識に記憶として刷り込まれる。
接触機会の多い環境情報は、
発達のより早い段階で機能する「直観的な速いシステム1系」でも、段階的には遅れて学習等により磨かれる「論理的な思考を司る遅いシステム2系」でも、多大な影響を持つ繰り返しパターンとして記憶領域に引き出されやすい形で記録されるのである

この仕組みを、MHP/RTを使って少し紐解いてみよう。

MHPRT-2つ

上の図は、制約時間下における、システム1、システム2、記憶領域の情報処理とその構造を示す概念図である(左と右の図の背景は同じもの)。右の図がポイントになる。左側にある紫の円で示された環境情報に対するパターン知覚に対して、黄緑の三角で示されたシステム1の自律自動制御系の処理と、黄の三角で示されたシステム2の意識系の処理が、下部の青い円で示された記憶領域とのレゾナンス反応をしながら、並列で処理を行うプロセスを示している。

環境情報をパターンとして知覚する処理プロセスは以下のようになる。

オブジェクト認識

外部からの情報は、環境空間にあるオブジェクトとして知覚される。知覚されたオブジェクトは、特徴点の組合せを近似したパターンとして記憶される。パターンとして知覚されたオブジェクトは、言葉やものとして、固有化されたり、抽象化されたりしてシンボル化されて記憶される。

システム2に比べてシステム1の方が、処理時間帯域が短く、処理速度が速い(生物として生き延びていくには、危険の察知などシステム2の意識を介在させている余裕はない)。拠って、システム1の方が、システム2より、記憶からのパターン想起も早い。
拠って、システム2の意識系が想起するパターンは、先にシステム1で想起されたパターンに類似したパターンが想起されやすくなる。

この構造をもう少し紐解いてみよう。
システム1、システム2、記憶領域の並行処理プロセスに、オブジェクトとパターン認識処理を組み合わせたものが下図になる。

MHP日本語

この図では、3層の下部側にある脳内情報流の層がシステム1の自律自動系、上部側の意識機構のところがシステム2の意識処理系を表す。
知覚されたオブジェクト集合は、システム1系で処理されながら、並行してシステム2系の利用可能な記憶領域に2通りの方法で「写像」される。
制約時間が緩く(=つまり処理時間に余裕がある)、意識機構が働くことができる場合には、意識のフィードバック系の思考のインプットとしても働く。
つまり、システム1系で知覚されたオブジェクト集合、認知パターンが、システム2系の複合的なインプットになっていることが理解いただけるかと思う。

即ち、無意識・自動自律のシステム1系で想起されたオブジェクトとそのパターンに、写像的に近似して想起されるものが、システム2系でも取り扱われやすくい。更に、意識の関心のあり方に応じて、記憶として取り出されやすい形でレゾナンス反応を含めて、フィードバック機構により、繰り返しパターンとして記憶に残りやすい。
意識として関心の高いパターンが記憶に残りやすいことは、脳の構造上、不可避な仕組みなのである。

このように脳構造マクロモデルから理解できる脳の振る舞いからも、意識と無意識に刷り込まれた集団として最も身近にある環境情報としての記憶、即ち家族構造の持つ価値観の影響力を確認することが出来る。

ある地域のヒトの集団的な行動特徴は、「家族構造」の分類軸で象徴される「自由-権威」、「平等-不平等」の組合せを反映したものになることは、脳構造上からも極めて納得性の高い結論なのである。

独自性に敬意を添えて

本稿では、『第三惑星』の主張の骨子をマクロ史観としての近現代のイデオロギーシステムの差異を生み出す構造が「家族構造」にあるという、若きトッドの知性と思考の独自性がもたらした成果を、トッドが明示的には利用していない認知行動科学の知見、即ち、脳構造マクロモデルを使った読解を添えて眺めて来た。

トッドは、歴史人口学者であるが、直前の序章の引用箇所のように、意識・無意識の作用と効用については、『第三惑星』の中でも、精神構造に関わる内容をフロイトを引用して、多数言及している。トッドの意識と無意識に関わる言及箇所は、「家族構造」が「精神分析」と通じていること、即ち、「家族構造」と「脳構造マクロモデルによって記述される人間の行動選択原理」を核にしてより深く解釈しえることを想起するのに十分である。

トッドの発見は、発表当時、トッドの母国であるフランスでさえ、多数の批判を集めたという。理論の基となっているのは人口統計という極めて客観的なファクトデータであること目を向けず、トッドの結論に対して「政治やイデオロギーのような崇高な概念が、家族のようなありふれた考え方で説明できるわけがない!」とフランスの学会や知識人は猛烈な批判を浴びせた。

このような激しい批判にひるまず、独自の思考を続けたトッドの独創性を感じ取っていただき、世の中の常識と直観の限界、その突破方法に改めて思いを馳せたい。2021年の現在から観れば、1980年代のトッドの思索は、脳構造から捉え直しても妥当であることを支える内容に本稿がなっていれば本望である。

一方で、マクロ史観には限界もある。次回は、近代から現代の成長、特に経済的成長に先立つ文化的成長を識字率に置き換え、家族構造との関係を展望しているトッドの1984年の著書『世界の幼少期』を読解していくことで、世界のこれまでの成長とこれからの変化を展望してみよう。
近現代を見通すトッドのマクロ史観の有効性と、変化が加速する世界への適応について、再び、脳構造マクロモデルを適用して思索を深めてみたい。

(the Photo at the top by @Photohiro1)




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