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脳構造マクロモデルで読み解く人間の行動選択#5『社会はなぜ左と右に分かれるのか』(2)

<シリーズ2> ジョナサン・ハイト
『社会はなぜ左と右に分かれるのか?』
~The Righteous Mind~
(2)<象>の一歩に<乗り手>は追従する

『The Righteous Mind』読解の第2回は、ハイトが訴える人間の<正義心>が生み出す道徳的な判断の基本原理「まず直観、それから戦略的な思考」についてより理解を深めたい。<象>と<乗り手>とハイトが喩える、人間の直観と、論理的な思考のそれぞれの特性を、ハイトが企図したように、本書の第3章、第4章に挙げられている事例を通じて、読者の理性<乗り手>に訴えかけてみたい。

まず、簡単に前回第1回の骨子を振り返っておこう。道徳的な判断は、人間はより良いことを行うべきという理想主義的な考え方からは、合理的な思考による選択と思われがちである。しかし、長い集団的社会環境、文化環境と一体となった進化と適応の結果、人間の心の動きはそのような合理主義的な構造には全くなっていないことが90年代以降、心理学だけでなく、神経科学、社会学、進化生物学などの最新の研究の結果明らかになってきた。
すなわち、人間の道徳的な判断は、情動と一体となった直観に導かれ、論理的な思考は<戦略的に>自分が選択した理由を後付けで付け足す、という構造となっているのである。このような道徳に関わる心の動きを称して、ハイトは、偏狭な<正義心>と呼び、合理主義ではなく直観主義によって、人の道徳的な判断はより適切に説明できることを示した。また、このような心の動きは、脳構造マクロモデルやそこから導かれる人間の行動選択の観点からも非常に納得性や適合性の高いものである。豊田・北島の脳構造マクロモデルMHP/RT(Model Human Processor with RealTime Constraints)を適用すると、動作時間帯域の速い小脳の自律自動処理系のシステム1に対して、大脳の論理的思考系のシステム2はゆっくり作動することなどから、「まず直観、それから戦略的思考」というハイトの基本原理はよく理解が出来ることを眺めた。

今回は、直観と論理的な思考の特性をもう少し詳細に眺める。直観は原理的に情動に左右され、論理的な思考は独善的=自分を正当化しようとする、それぞれの特質を持つことをハイトの取り上げている研究事例からピックアップして眺めてみたい。直観と論理的な思考の特性をより詳細に理解することで、次回以降にお伝えするハイトが提唱した道徳基盤の構造やその違いや、意見・主張が異なる場合にどうすればより建設的な議論が可能になるか、というハイトの本書の核心がより理解しやすくなると思う。
では、まず、ハイトが<象>と表現する直観について3つの研究を紹介する。

<象>の特質・1:
感情プライミングの社会心理実験が物語ること
~0.25秒で感情は起動する。
 潜在的で無意識的なバイアスの存在~

プライミング効果(priming effect)とは、先に行った何らかの処理が、次に行う処理に影響を与えることをいう。先行して表示を行うものをプライム、後続処理をターゲットといい、この用語からこの仕組みをプライミング効果と称する。効果という言葉を使っているが、後続処理に対して促進的な影響もあるが、抑制的な場合もある。
感情プライミングは、感情に関わるプライミング効果で、例えば、最初に「憎しみ」という単語を表示して、次に「日光」という単語を表示させてポジティブなものかネガティブなものかを評価させると、0.25秒ほど「憎しみ」という単語が表示されなかった場合より反応が遅れる。つまり、最初の「憎しみ」という言葉からの感情の突発により、ネガティブになろうとする傾向を打ち消す必要があるためだ。このような感情の突発は、心には必ず発生する感情の突発は0.2秒以内に生じ、それを補強する何らかの刺激が与えられない限り1秒ほどで消える
この感情プライミングに着目して、社会心理学者たちが社会集団を対象にして実験を始めると、様々なことが明らかになってきた。例えば、プライミングに白人や黒人の写真を用い、その後のターゲットへの反応速度が変わるかを観察する。人種的な偏見が無ければ、論理的にはプライミングの影響はないはず=反応は変わらないはずだが、人を見て「無意識のうちに自動的に予断を下す傾向」があれば、反応は異なる。このような潜在的な傾向を測定するために広く用いられている方法が、グリーンウォルド、バナジ、ノセックが開発した潜在的連合テスト(IAT)と呼ばれるものである(このテストは、ProjectImplicit.orgで受けられる)。このテストは、次々に画面に現れる黒人か白人の顔を見て、よい意味悪い意味の単語を判断するというようなものだ。

「このテストによって、被験者の多くは、黒人、移民、肥満者、年長者など、特定の社会集団をネガティブなもの(プライミングで反応を遅らせるもの)とみなす潜在傾向を持つことが分かった」(p.108)太字は本稿筆者

ご理解いただける通り、この結果は、論理的な思考の産物ではない。自分自身には偏見はない、差別主義者ではない、と標ぼうしている人でも、直観には、潜在的で無意識の偏向傾向があることを物語っている。

年長者など通常は道徳的に非難される余地の少ないグループを<象>がネガティブなものとして無意識的に避けようとする傾向があるのなら、政治的な対立意見などについては、心の中に何等かの偏り(予断)が生じても何ら不思議はない、とハイトは考える。
ジェイミー・モリスにより、感情プライミングは、政治的な言葉を読ませるテストでも同様に起こることが確認されている。アメリカでリベラルと保守主義者を被験者として、政治的な言葉を読ませるテストで、「クリントン」「ブッシュ」「国旗」「税」などの単語を示し反応を見た結果、党派心の強い被験者がこれらの単語を見た後に、誰もがよいものとみなす日光や、誰もが悪いものとみなす癌などの単語を目にしたときに、脳波は葛藤の存在を示した
政治的な判断の直観的な性質については、私たちがどのように他人の性質を形成するのかを研究しているアレックス・トドロフにより更にはっきりと確認されている。たとえば、ハンサムな人や美人など、魅力的な人をより有徳的な人だと見なす傾向が確認されている。<正義心>には、無意識に避けがたくまず生じる直観の偏りがあるのである。

「動物と同様、人間の心は知覚の対象となるすべての事象に直観的に反応し、それを基に行動する。誰かを見かけると、あるいは誰かの声を聞くと、ただちに<象>は、それに引きつけられたり反発したりし始めるが、この傾向は私たちの思考や行動に影響を及ぼす。要するに「まず直観」なのだ。」(p.110)(太字は本稿筆者)

では、直観についての2つ目の研究事例を見てみよう。

<象>の特質・2:
嗅覚、そして、手洗い。身体も判断を導く

<象>が動き出すのは、視覚情報からだけではない。嗅覚も判断に影響を持つ。嗅神経は、かつて味覚野と呼ばれていた脳の前部の底面にある島皮質に嗅覚信号を伝達する。哺乳類とって、この脳の領域は鼻と舌から得られた情報を処理し、この食物は摂取してよいか、避けるべきかを本能的に判断する役割を果たしている。人間の場合、島皮質は嗜好を導く器官になっているという。たとえば、道徳に反する行為やごくありふれた不正、とりわけ嫌悪を催す何かを見たときに活性化する
この構造を利用して、スタンフォード大学のアレックス・ジョーダンは、おならスプレーを使って、判断に影響があるかどうかの実験を行った。普通に調査票を回答した被験者と比較して、おならスプレーによる悪臭を嗅ぎながら回答した被験者は、より厳しい回答をするようになったという。更に、苦い飲み物と甘い飲み物を飲んだあとに質問票に答えてもらう実験でも、同様の結果が出ているという。

私たちは、何かについての考えを決める際、内面を観察して、どう感じているかを確かめる。そして、よい気分がすれば「それが好きに違いない」と考え、不快であれば「嫌いに違いない」と思う」(p.112)(太字は本稿筆者)

更には、嫌悪感を引き起こす必要すらなく、手を洗うだけで、清潔さや潔癖さに対する判断の厳格さが上がることも、トロント大学のチェンボ・ソンにより確認されている。

道徳的な判断は、危害、権利、正義などに対する関心の度合いを判定するなどといった、純粋に理性的な働きではない。それは、動物が草原を移動し、さまざまな事象に引き寄せられたり、それから遠ざかったりする際に下す判断に似た、突発的で無意識的なプロセスである。つまり、道徳的な判断のほとんどは、<象>が下すのだ」(p.113)(太字は本稿筆者)

<象>の特質・3:
感情反応は脳の中で即時的に起こっている
~トロッコ問題に関するfMRIを使った研究~

直観の特性についての研究事例として、最後に、社会実験による被験者の回答に基づく研究だけでなく、脳内の反応としても確かめられていることを紹介する。本稿の次シリーズでレビューを予定している『モラル・トライブス』を著したハーバード大心理学科教授のジョシュア・グリーンの有名なトロッコ問題の研究である。グリーンは、プリンストン大学で哲学の博士課程に在籍していたとき、神経科学の大家ジョナサン・コーエンと出会い、共同で1999年に、人が道徳的な判断を下すときに脳内で何が起こっているのかを調査した。
コーエンは、ほとんど日本では知られていないが、2マインズを提唱し行動経済学の祖として知られる2002年ノーベル経済学賞受賞の心理学者ダニエル・カーネマンの研究パートナーである。つまり、カーネマンのヒューリスティックスと認知バイアスや2マインズの心理学としての研究、行動経済学の知見は、机上の理論として編み出された成果ではなく、コーエンらによる神経科学による研究や検証が表裏一体となって進められた成果なのである。

トロッコ問題とは、例えば、暴走しているトロッコの先に5人の作業員がいるが、ポイントを切り替えれば、今度はポイントの先にいる1人の作業員は救えないが、先の5人は救えるというような道徳的なジレンマである。
少し長くなるが、本シリーズや次シリーズの焦点でもあるので、トロッコ問題を巡る1999年時点でのグリーンの推察について、ハイトの文章を借りて要約しておきたい(グリーン自身は功利主義を拡大して新しい道徳的課題を解決するための人類共通の新しい道徳問題への基盤になりうる考え方として捉えており、以下のハイトの表現による功利主義と、グリーンの功利主義の捉え方の間には差異がある)。(太字は本稿筆者)

「たとえ誰かが傷ついたとしても、つねに個人の利益の合計が最大になるようにふるまうべき」と考える功利主義者は、他に手段が無ければ、5人を救うために1人を犠牲にしても構わないと主張する。その一方、(中略)、人の命を救うという道徳的な目的が別にあっても、そのために無関係の人間を傷つけてはならない、と考える義務論(deontology。義務の語源のギリシア語に由来する)者もいる。義務論者は、この理由を説明するにあたり、注意深い思考を通じて獲得された高度な道徳原理を語ろうとするが、それがあとから直観を理由づけるものにすぎないとは決して認めないだろう。これに対しグリーンは「直観は人を義務論的な判断に駆り立てることが多いが、功利主義的な判断はもっと冷静で計算高い」のではないかと推察した。(第3章、p.119)

この推察による仮説を検証するため、グリーンは、トロッコ問題と同じ構図のストーリー(5人を救うためには1人が犠牲になるという構造はみな同じ)2種類のストーリーをそれぞれ20程度ずつ用意した。2種類の違いは、次のようなものである。
片方の種類のストーリーは、5人を助けるためには、1人に対して直接手を掛ける(5人で救命ボートに乗っていて、沈むことを防ぐためには1人を海に投げ込むなど)のに対し、もう1種のタイプのストーリーは、5人を助けるために、犠牲になる1人に対し、トロッコでポイントを切り替えるなど、直接的な危害を及ぼさず、個人の感情には直接関わらないタイプの危害になっているものである。5人対1人は同じなので、この2種類は同等だと考える人もいるかもしれないが、「直観主義」すなわち状況を認知した瞬間に自動的に湧き起こる感情(この場合は人を直接殺害することに対する嫌悪感)の影響力をよく理解出来れば、この2種類には、「天と地ほどの違いがある」ことが分かっていただけるかと思う。
グリーンは、18人の被験者をfMRI装置に掛けて、2種類のストーリーによる反応の際に、脳内の部位にどのような違いが生じるかを観察し、2001年にサイエンス誌に発表した。その結果は、直観主義が適切に道徳的判断を説明できることを裏付けるものであった。

「個人が直接手を下して誰かに危害を加えるタイプのストーリーを被験者が読んだときには、情動の処理に関わるいくつかの脳領域に大きな活動が検出された。(このタイプの)多くのストーリーにおいて比較的強い情動反応が検出され、そのことから通常の道徳的な判断が生じていたと考えられる」(p.120-121)(太字は本稿筆者)

このグリーンの2001年の論文(Greene, J. D., Sommerville, R. B., Nystrom, L. E., Darley, J. M., & Cohen, J. D. (2001). An fMRI Investigation of Emotional Engagement in Moral Judgment. Science, Vol. 293, 2105-2108)は、今では欧米では非常によく知られており、多くの他の研究者が、様々な道徳関連のシナリオについての反応をfMRIを使って神経科学による検証するようになった。
こうした神経科学のアプローチによる脳内の活動の観察からも、道徳的な判断は直観による情動と紐ついた自動的で即時的な判断である、即ち、道徳的判断の特性について「合理主義」より「直観主義」を用いることで適切に説明が出来る、というハイトの主張が相応しいことが確認されている。

<乗り手>にも避けがたい特質がある:
グラウコンがソクラテスに問いかけたこと
~ギュゲスの指輪を手に入れたらどう振る舞うか? 

これまでの内容で、道徳的な判断は、論理的な思考による選択ではなく、認知に紐づく情動に拠る自動的な反応に過ぎないことが、より深く理解いただけたと思う。では、次に論理的な思考の特性を見ていこう。
「直観が判断を下すことは分かった。しかし、直観で下した判断も後から理性が論理的、合理的に修正できるはずだ!」と、合理主義的思考に慣れ親しんだ方は思うかもしれない。そうであったら美しいとは思うが、残念ながら現実はそれほど理想的ではない。<乗り手>である理性、論理的思考は、常に真実を探し続ける研究者ではなく、1票でも多く票を集めようと自分の正当性を主張し続ける政治家に近い
ハイトはこの理性の特質を第4章「私に清き1票を[Vote for me(Here’s Why)]」に纏めている。4章の冒頭のプラトンの『国家』に登場するグラウコンの話から紹介しよう。グラウコンはプラトンの兄で、「ギュゲスの指輪」という身に着けると透明なれる指輪を手にした男はどのように振る舞うかについてソクラテスに次のように問いかける。

「神のごとくやりたい放題何でもできるというのに、正義の道をひたすら歩み、他人の持ち物に手出しすらしないほど清廉潔白でいられる人などこの世にいないだろう。きっと彼は、正義のかけらも持ち合わせていない人たちと同じように行動し、同じ道を歩むことになろう。」(第4章 p.130、プラトンの『国家』からの引用)

ソクラテスは、これに対して都市(ポリス)の公正さとの類推から弁明をするが、ハイトは第4章において、合理主義者の理想的主張を退け、この問答におけるグラウコンの主張を支持する。

道徳的な思考の機能とはいったい何だろう?それは正しい行動について理解し、不正を行う人々を非難する基準になる真理を見出すために、(自然選択によって)形作られ、調整されてきたものなのだろうか?そう考えるのなら、その人はプラトン、ソクラテス、コールバーグと同様、合理主義者だ。それともそれは、「自分の評判を守る」、あるいは「議論をするにあたって自分や自グループの弁護を他の人々に納得させる」などの、社会的な目標を戦略的に追及するためのものなのだろうか?そう考えるとすれば、その人はグラウコン主義者である。(p.132)

<乗り手>はグラウコン主義~4つの研究~


1.探求思考説明責任も、弁明の仕組みに過ぎない
理性や論理的な思考のグラウコン主義的な特質を、まず「説明責任」の研究者であるフィル・テトロックの研究と説明から見てみよう。テトロックは人間社会に張り巡らされた説明責任について、人がどう振る舞うのかについて「私たちは、有権者を前に自分がいかに高潔な人物であるかを訴えようと奮闘する、直観的な政治家のごとく行動する」としている。つまり、現実の社会環境に対しては、真実を発見しようとする合理主義者ではなく、見かけを重視するグラウコン主義者になる、という。
テトロックは探求思考確認思考という2つの思考様式を規定している。探求思考とは、「多様な観点からの公平な思考」、確認思考とは「ある特定の見方を合理化しようとする片寄った思考」としている。説明責任を全うするために探求思考がより作動するためには、3つの条件(①意思決定者は、意見形成前に、聞き手の前で説明が必要であると心得ている、②聞き手の考えは不明である、③意思決定者は聞き手が十分な情報を持ち、正確な説明に関心を抱いていると認識している)があるとしているが、現実にはこの3つの条件が満たされることはほとんどなく、テトロックは「意識的な思考は、発見よりもおもに説得のために遂行される」と結論付け、さらに「私たちは自分自身をも説得しようとする」と付け加える。つまり、説明責任が求められる場合ですら、論理的な思考は探求思考として作動するより、確認思考として作動するのだ。

「思考の中心的な役割は、他人に対して説得的な理由や言い訳を提示するための準備を整えて、振る舞えるようにすることだ。事実、自分がした選択を正当化しようとするプロセスは極めて強力なので、意志決定者は、何かを決めるに際して、他人の説得のみならず、正しい選択をしたと自分を納得させるためにも有力な理由を探そうとする」(第4章、p.135、テトロックの研究論文の引用)(太字は本稿筆者)

この論理的思考の自分を正当化しようとする特質、グラウコン主義の特質を示す研究を、更に3つ紹介する。

2.確証バイアス~ピーター・ウエィソンの「2-4-6」問題の研究
1960年にピーター・ウェイソンは「確証バイアス」と呼ぶ、人間の「自分の考えを確証する方向で、新しい証拠を探し、解釈しようとする傾向」を「2-4-6」問題を通じて発見、発表した(p.139-141)。「2-4-6」問題とは、ある特定のルールに従って並んだ3つの数を被験者に示し、そのルールを推測して、それに従う新たな3つの数を考え提示してもらい、実験者がその提示した数がルールに適合しているかどうかを答えるというやりとりを何度か繰り返し、被験者は自分の考えているルールが正しいと確信した時点で、そのルールを言葉によって説明する、というものである。
この実験では、最後に回答するルールについて誤りを指摘されることには困難を感じず、複雑なルールをひねり出す被験者すらいるが、一方で、自分の仮説に従わない例を提示することによって、自分の仮説を検証しようとする被験者は皆無に等しかった、という事象をウエィソンは見出している。
つまり、自分の考えが間違っているかもしれないと思っても、間違っていることを証拠を示して確認しようとする行動はとらない。これが確証バイアスである。

図5-1-246問題

3.IQが高い人の論理的思考は優れているのか?
  ~デヴィッド・パーキンスの実験

日常生活における思考の研究者デヴィッド・パーキンスは1991年に、IQの高い人も、相手側の理由を見出すという点ではIQが高くない人と大差はなく、自分側の理由の数を多くあげられる能力が高いに過ぎない、ということを見出している。
彼の実験はこのようなものだ。様々な年齢と教育程度の被験者を対象に、学校にもっと補助金を与えれば教育の質が上がるか否かなどの社会的な問題を尋ね、まず、この問いに対する判断を書かせた。次に、この自分の最初の判断とは関係なく、その問いに対する「はい」とする理由、「いいえ」とする理由を書かせた。最終的にパーキンスは、この理由の数を、「自分側」(自分が書いた判断に関する側)と「相手側」に分けて数を数えた。
この結果、被験者は「相手側」より「自分側」の理由を数多く挙げた。教育程度の高い被験者ほどより多くの理由を挙げた。そして、この結果は、高校、大学、大学院生で、1年生と最高学年生を比較しても差異が殆ど見られなかった。つまり、教育機関では、思考方法をテトロックのいう確認思考の強い志願者を選別しているだけで、探求思考が在席中に能力として鍛えられ向上するわけではない、ということを示している。IQが高いということは、このような思考の特性の観点からみれば、自分の選択についてのたくさんの理由を挙げられる、ということに過ぎない
つまり、「人々は、議論を包括的かつ公平に検討することより、自分の主張を補強するためにIQを使う」(p.143)

心理学者で行動経済学者のダン・アリエリーもその著書『予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』で、数学の問題を解いた数で対価が受領できるという一連の研究において、正直な人々でも、その多くは、機会があればズルをする、ということを見出している。

4.「それは信じなければならないものなのか?」という問いの立て方
社会心理学者のトム・ギロヴィッチの信念メカニズムの研究からはこんなことも明らかになっている。信じるときの心理構造と信じないときの心理構造は同様ではないのである。

私たちは何かを信じたいとき、「それは信じられるものか?」と自分自身に問う。そして、パーキンスの研究に見られるように、それを支持する証拠を探し、一つでもそれらしきものが見つかるとそこで思考を停止してしまう。それを信じる許可が下りたからだ。誰かが質問しても、理由を答えられる。
それに対し、何かを信じたくない場合には「それは信じなければならないものなのか?」と尋ねる。それから反証を探し、たった一つでもそれが見つかれば、信じたくないものを放棄する。「しなければならない」の手錠をはずすには、たった一本のカギで十分なのだ。(第4章、p.147)


読者の方の直観<象>と理性<乗り手>は、これらの4つ研究成果をどのように理解しただろうか。理性は常に真実を追い求める合理的な善性を発揮するということは妄想に過ぎないことを、もし、あなたの直観が否定していたとしても、理性的に理解いただけただろうか。「まず直観、それから戦略的な思考」というハイトの端的な表現に込められた、人間の意思決定のメカニズムの基本原理をニュアンスを含めて理解いただけていれば幸いである。

<象>がほんのわずかでも足を特定の方向に踏み出すと、<乗り手>はそれを支持する証拠をただちに探し始めるのだ
(中略)
中立的で単純なケースですら、思考は確証バイアスに影響されるのなら、自己の都合やアイデンティティの維持、あるいは強い感情などのために、ある特定の結論に至りたい、もしくはその必要があると思っているとき、人は心を開いて客観的に考えられるのだろうか?(p.143)

脳構造マクロモデルMHP/RTによる読解

本稿の最後に、今回の内容について、いつものように、豊田・北島の脳構造マクロモデルMHP/RT(Model Human Processor with RealTime constraints)を用いて理解を深めておこう。
今回の主要テーマである、ハイトのいう道徳判断における特性「まず直観、それから戦略的思考」については、<象>が主導する「まず直観」と、<乗り手>の特性である「それから戦略的思考」の2つの内容に分解される。
「まず直観」については、これまで何度か解説してきた通り、脳構造マクロモデルのMHP/RTが理解出来ていれば、より容易に脳の特性からも妥当であることが理解できると思う。このシリーズで何度も掲載しているが、もう一度、A.ニューウェルの人間の動作の時間帯域に、豊田・北島が記載したシステム1、システム2の動作時間帯域を分けた以下の図(緑がシステム1の作動帯域、黄色がシステム2の作動帯域)を使って、この特性を理解してみよう。

NEWEL×帯域

小脳系の自律自動処理系であるシステム1は、1マイクロ秒(1マイクロ秒は10-4秒)レベルから10秒以内の極めて短い時間帯域で作動する。今回の直観の特質として例に挙げた、0.25秒で影響が出る感情プライミングのような現象も、大脳の論理思考系のシステム2は時間帯域的に判断や動作選択に関与できる余地がなく、システム1しか関与できないことから、「まず直観」には、システム1の特性が出ていることをスムーズに理解いただけるかと思う。
次に、「それから戦略的思考」について、MHP/RTを用いて考えてみよう。「それから」の部分、つまり直観の後に論理的思考が作動することについては、上記の表からも、論理的思考を司るシステム2は、システム1より時間帯域が遅れてゆっくりと作動することは、よく理解いただけると思う。繰り返すが、システム1とシステム2は動作する時間帯域が全くことなる。本能・直観のシステム1は早く、意識や論理的な思考のシステム2は極めてゆっくりとしか作動しない。

それでは、ハイトらが政治家のようであると評した、論理的思考の特性であるグラウコン主義、即ち、自分が一度決めた判断の証拠を集めるように論理的思考が作動するという特性については、MHP/RTおよび多階層記憶の関係から、どのように理解できるだろうか。
直観によって示された判断を、どのように評価するかについては、MHP/RTでは、システム2系の事後処理に属する情報処理となる。以下の豊田・北島の図を参照されたい。

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動作等イベントの事後、システム2は、動作を含むシステム1の行動選択結果の信頼性を評価する

以下は、この仕組みに基づく本稿筆者の仮説である。
この事後評価では、過去の経験、すなわち記憶に基づく評価結果との関係性が強くなる。すなわち、よほど意識的に訓練していない限り、現在の状況に類似した過去のパターンが記憶として想起されやすい。
直観、システム1による道徳的な判断がなされた後というのは、自分が下した判断に類似した過去のパターンが想起されやすくなる。逆に言えば、自分が下していない判断については、類似パターンの検索がされにくい。このような連想検索が繰り返されると、自分が下していない判断についてのパターンの記憶の量と比較して、自分が下した判断に類似するパターンの記憶の量が必然的に増加していく。また、判断に対する評価がポジティブであれば、情動による評価とも相まって、より想起されやすい記憶パターンとなる。つまり、このようなフィードバックループによる連想記憶の循環構造は、自身の選択が手ひどい失敗だった、というような経験等によるその再評価が起こらない限り、繰り返されていくことになるだろう。つまり、意図的な検証を強くプロセスに差し込まない限り、自分の判断に沿う記憶のほうが結果的に累積されやすくなる。
(このような「罠」に陥らないためには、どのような対応策が考えられるのかについては、ハイトの議論を交えて、本シリーズの最終回で考察してみたい)
この仮説だけでは、論理的な思考がグラウコン主義を選択する十分な理由にはならないが、先に触れたパーキンスのIQが高い人ほど、自分の判断に沿った理由をたくさん探す能力が高い、という事象を説明する構造として整合性が高いのではないだろうか。

ヘンリックの『文化がヒトを進化させた』の第3回で述べたように、脳構造マクロモデルをよく理解することで、人間の行動選択に関わる構造についての仮説をより論理的に説得力を持って構築できること、このチャレンジを進めることも本稿の狙いの一つである。本稿読者の方にとって、脳構造マクロモデルMHP/RTを理解し援用することで、ご自身の活動分野において、より深い探求を進めていただく契機になれば幸いである。

#5のまとめ

今回は、ハイトの『The Righteous Mind』の核心の一つである「まず直観、それから戦略的思考」について、直観・<象>が人間の生得的特質として避けがたいものであること、戦略的思考・<乗り手>は決して真実の合理的探求者ではなく清き一票を求める政治家とその報道官のような特質を持つことを、ハイトが挙げている研究事例を取り上げて読み解くことで、すなわち既定研究事実に基づき、読者の理性に訴えかけた。読者の理性の理解に届いていることを願う。
次回第6回は、『The Righteous Mind』のもう一つの核心である、邦題にもなっている社会はなぜ右と左に分かれるのか?を、ハイトが提起した道徳基盤の違いを取り上げて、読み解いていきたい。

(the Photo at the top by @Photohiro1)

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