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チェーン店の功罪を考える(スーパー、コンビニ、ブックオフ、ビジネスホテルなど)


0.はじめに

今回は日本全国津々浦々にある「チェーン店」の光と闇、すなわち功罪について語ります。チェーン店は私たちに何をもたらしたのか、そしてこれからどう向き合っていくべきなのか、考えていきます。
最初に参考文献を挙げておきます。よければご参照ください。

1.チェーン店一般について

(1)メリット

最初にチェーン店のメリットを見ておきましょう。
まず、全国どこでもおおよそ均一のサービスを受けられること、これがまず一つですね。たとえば、セブンイレブンやローソンの商品はどこの店舗でもだいたい同じだし、ビジネスホテルの内装や料金も地域間の差はさほどないでしょう。スーパーとブックオフについては地域性が出るものの、豊富な商品を大量に揃えているという点では共通性があります。
サービスが均一ということは、何を意味するのでしょうか。一つは安心感。「あれがなかったらどうしよう」という心配があまりないですね。コンビニへ行けばパンはあるし、全国チェーンのビジネスホテルなら泊まれるかは別として24時間フロントが開いているから、アポ無しで宿交渉もできます。
もう一つは安さ。業務を効率化、マニュアル化してコストを抑えることで、安価なサービスを提供することができます。

安さ、手軽さ、安心感。こうした要素が業種を問わず、チェーン店一般のメリットではないかと思います。

(2)デメリット

一方で、こうしたメリットはデメリットの裏返しでもあります。
まず、均一性について。たしかに、どこでも同じサービスが受けられるのはありがたいですが、逆に言えばそこには個性、地域性がないということになります。これは旅行の時に顕著で、たとえば東横インなどのビジネスホテルの朝食は郷土料理ではなく、一般的なバイキングの料理であることがほとんどでしょう。そうすると、わざわざ旅先で代わり映えしない料理を食べる必要はあるのか、という疑問が当然出てきます。もちろん、郷土料理が自分の舌に合わない可能性もあるので、「ハズレがない」と評価することもできます。しかし、ハズレを引くことも含めて旅の醍醐味だと考えるならば、わざわざ旅の楽しみを自ら狭めているともいえるでしょう。安心と引き換えに、挑戦、ワクワクを失っているのだと。

もう一つは、無機質性。無駄がない、合理的といえば聞こえはいいですが、それは時として無機質に映ります。ビジネスホテルのフロントやスーパーの会計でいかにもマニュアル対応といわんばかりの対応をされ、辟易した方もいるのではないでしょうか。後で詳しく述べますが、こうしたマニュアル対応も合理化の弊害といえるでしょう。

2.スーパー、コンビニの場合

(1)メリット

ここからは業種別に見ていきます。まずはスーパーとコンビニです。良い点は品数の多さ、売り場の広さ(開放感)、広い駐車場(※郊外店舗の場合)などが挙げられます。個人商店と比較すると、この優位性が際立ちます。個人商店は旧中心街にあることが多く、売り場面積の制限があります。そのため、品数もスーパーよりは少なく、広い駐車場もありません。モータリゼーションが浸透した現在、クルマ利用者にとってはなかなか行きづらいのは否めません。買い物はスーパーの人が大半かと思います。

(2)デメリット

とはいえ、商店街も悪いところばかりではありません。良いところもあります。最大のメリットは、店主とコミュニケーションを取ることができるということ、つまり、買い物に+αして会話ができるということです。スーパーやコンビニではよほど常連で、そこそこローカルな立地にあるのでなければ、店員と会話することはほぼないでしょう。なぜ、スーパー、コンビニと個人商店とでこのような違いが生じるのか?その要因はいくつか考えられます。
まず、スーパーやコンビニはあくまで金と物を交換する場にすぎないが、個人商店はそれに加え、世間話をするなどのコミュニティとしての場でもある、ということでしょう。これは売り場面積が大きく関係しています。スーパー、コンビニの場合、売り場が広く、セルフサービスなので、客と店員との距離は必然的に遠くなります。店員も客と積極的にコミュニケーションを取る動機づけは難しいです。それはマニュアルにないし、やったところで売上が伸びるわけでもない。その結果、会話は事務的・機械的にならざるをえません。

これに対し、個人商店の場合、売り場が狭いので客と店員の距離は近くなり、会話が生じる可能性は必然的に上がります。というか、店員の方から積極的に話しかけてくるケースも多いでしょう。そうすると、金と物の単なる交換だけでなく、会話というおまけがついてくる。これがスーパー、コンビニなどのチェーン店で得られない利点です。
現代の生きづらさ、都市に住む人間の不健康性や孤独は、「会話の少なさ」に一因があると思います。他人に興味がない、早く家に帰って自分(とその家族)の時間を過ごしたいから、買い物はさっさと済ませる。なんでも効率化、合理化。その結果どうなったか。私たちは個人(あるいは家族)という名の殻に閉じこもり、他者、社会への関心を失い、公共心、他者への道徳心をも忘れ去っていった…。
まああくまで私の推察にすぎませんが、スーパーやコンビニが個人商店と比べて無機質で冷たい感じを与えるのは否定できないでしょう。

加えて、個人商店の店主は昔からその地域に住んでいることが多く、話しかけると古老のごとく昔の話を聞かせてくれます。しかし、コンビニやスーパーの従業員の多くはパートタイマー、つまり出稼ぎに来ている人だから、その地域に興味がない、住んですらいない、ということが多々あるわけです。だから、いざそういう話をしようとしたところで、会話の引き出しが少ない、という問題も起こるでしょう。

また、最近はセルフレジが増え、いよいよ店員との会話もなくなってきました。セルフレジそれ自体を否定はしません。店員との会話が煩わしいという客のニーズや、業務効率化という店側の判断もわかるからです。
しかし、セブンイレブンの自動レジは気に入りません。セルフレジではなく、お金だけ機械に入れるというシステムですが、その間店員が無言で目の前に立っているというのがどうも居心地悪い。スーパーのセルフレジなら自分で全部できるからいいですが、セブンの自動レジのように「何もせず、何も言わない人がただ突っ立っている」のに違和感を覚えるのです。
以前は、「500円お預かりします」とか「レシートのお返しです」「ポイントカードはお持ちですか」「いえ、ないです。」などの会話があったからこそ、そこに店員がいることに意味があったわけです。が、もはやそういう会話もなくなってしまいました。
そういうわけで、セブンイレブンの居心地が悪く感じるようになり、セブンは敬遠するようになりました。コンビニ自体あまり行きませんが、行くときはセイコーマートを優先しています。無機質な空間は私の肌に合わないんですよね…。

3.ブックオフの場合

(1)メリット

さて、次はブックオフです。私は飲食のチェーン店は普段も旅先でも避けますが、ブックオフは結構好んで行きます。先述したように店舗ごとの違いが大きいというのもありますが、私の好きなレトロゲームを売っている数少ない店舗であり、スーパー→個人商店のように代替がしにくいため、という事情もあります。
そんなブックオフのメリットですが、100円コーナーが充実していること、とにかく安く、何でもある、ということです。

本は「誠に」残念ながら軽減税率の対象ではないので、新品、とくにハードカバーを買うと財布に結構なダメージが入ります。しかし、ブックオフなら安ければ文庫や新書を100円で買うこともでき、ハードカバーでも200~300円くらいで購入することも可能です。まさに私のような低所得読者にとってはありがたい存在であります。
本以外にもCDやゲーム、DVDが売っています。GEOやTSUTAYAと違い、古いゲーム(ファミコンなど)やCDを買うことができるのも魅力です。

(2)デメリット

さんざん褒めてきましたが、不満がないわけではありません。
まず、立地が郊外に多く、駅から遠い店舗が多いことです。
北海道の場合、南2条、麻生駅前(札幌)、千歳などは駅から比較的近いですが、それ以外は駅から離れている印象です。とくに苫小牧は2店舗あるのですが、どちらも駅からかなり遠いです。クルマで行ったことは何度かありますが、歩いて行ったのは1回だけです。それだけ駅から遠くて面倒な立地にあります…。この前行ってきた青森の石江店も駅から結構距離がありました。商品の多さがアピールポイントなので、広い郊外の方が条件が良いのでしょうね…。

次に、読書人の育成に貢献できているのか?という問題です。
本を安く売ってくれることはありがたいですし、お金がなくて新刊が買えない人たちに中古という形で門戸を開いている点は評価できます。
しかし、買取においては希少価値ではなく状態を重視し、悪いものは引き取ってはくれるものの処分してしまうようです。なので、目利きのある古書店の店員と違い、貴重な本をどんどん市場から消失させてしまっているのでは?という懸念があるのです。
この点に関して正しい評価を下すことは難しいです。現時点では一長一短としか言いようがありません。
ただ、読書人として、

「値段がつかないと言われた場合は処分を依頼せず、持ち帰る。その後、古書店やネットオークションに出す」
「まず古書店で探し、なかったらブックオフで探す」
「資金に余裕がある場合は著者を《買い支える》意味でもなるべく新刊で買う」
といった行動が必要になってくると思います。読書というのは知識の吸収という段階では個人的行為ですが、それを実践・発表する段階には社会的行為となります。今回の記事も、私の今までの読書経験がベースにあり、それを表明することで社会的行為になっているわけです。
当然ですが、どんな意見を表明したところで、社会の側に読書人、つまり読書などの経験を通じて、同じ問題意識を持っている人がいなければ大した意味はありません。だから、読書人口をいかに確保するかというのは結構重要な問題だと言えます。仮にブックオフが本の流通には貢献しても、良質な読者の育成にはあまり貢献していないとしたら、私たち読者の側でなんとかするしかない、というわけです(いささか傲慢な見解かもしれませんが)。

4.ビジネスホテルの場合

(1)メリット

最後に、ビジネスホテルについて見ていきましょう。最初に軽く触れましたが、フロントの開放時間が長い、安い、最低限の設備は整っている、店舗によっては入浴、食事(夜鳴きそばなど)のサービス付き…という風にメリットは多いです。「ビジネス」ホテルとはいうものの、観光でも十分使えますし、普通に家族連れで来る人もいます。無機質という意見もありますが、余計なサービスがなくて良い、ルールがめんどくさい旅館より気楽で良い、という意見もまた無視できない程度に大きいと思います。

(2)デメリット

実は、ビジネスホテルのサービスへの不満はあまり多くありません。強いて言うならシャワーの温度調整が難しいとか、最初に述べたように郷土料理が出ないといったことですが、私の場合は許容範囲に収まっています。
※ただし、他のチェーン店同様、地域資本の会社でないために宿泊料金が泊まった地域に還元されないという問題はあります。

私個人のしょーもない意見を言わせていただくとしたら、ビジネスホテルが新幹線や飛行機と組合わさり、夜行列車を衰退させる原因になったこと、これが不満ですかね。昔は夜行列車がたくさん走っていましたが、今では定期列車はサンライズ出雲・瀬戸だけになりました。速度が上がって現地に早く着けるようになり、しかも安くて機能的なホテルができた。となれば夜行列車の使命は終わったと言われても過言ではないでしょう。
しかし、睡眠を取りながら移動できるのは時間の有効活用であり、旅の幅を広げるものでもあります。ビジネスホテルでは宿泊できても移動はできません。それは素直に残念だと思います。

5.おわりに

というわけで、ここまでチェーン店の功罪について考えてきました。
地域固有の文化や景観はあったほうがその地域の魅力が生まれ、それは良いことだと考えているので、チェーン店だらけになることはあまり感心しません。ただ一方で、こうしたチェーン店の進出等による地方の都市化は前近代的・差別的な村落共同体を解体し、同調圧力に苦しむ人たちを解放する、という側面もあるといえます。つまり、農村の監視的視線から逃れ、イオンで堂々と買い物するなどの「自由」を享受できる可能性をもたらす、ということです。都市に住んでいる人にとっては当たり前のことかもしれません。ですが、伝統的な社会では束縛やしがらみが多く、都市に比べると基本的人権としての自由は制約されているのではないでしょうか。そういう社会で生きる人たちにとっては、多少無機質な空間・時間であっても、それが開放的なものだと感じるのかもしれません。

一方で、都市においては自由になりすぎた人間が孤立化し、自分の殻に引きこもるようになってしまった。そして、その原因の一つに、チェーン店を初めとした均質的な時間と空間がもたらす閉塞性、自閉性、ナルシズムがあるのではないか?もしそうなら、そこから意図的に離れることで、そうしたマイナス要素をある程度対策できるのではないか?そのように思います。

記事は以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
良い一日を。

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