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【大長編読解】プルースト『失われた時を求めて』第1部 コンブレーを読解する part2

さて、今回もプルースト『失われた時を求めて』を読み解いていく。退屈かもしれないが、この記事を書くことで、私はこの作品を深く理解できるだろうし、読者の皆さんにもこの作品の良さを伝えることができると思っている。じっくり読んでいこう。


1.脱線と豊富な比喩表現~混乱の原因~

前回は、夢現(ゆめうつつ)を彷徨う作者の混乱に関する描写を見てきた。
今回のテーマは「脱線」「比喩」だ。
プルーストの文章は比喩が多く、さらに比喩に対しても比喩を用いて別の説明が加えられることがある。豊富な比喩表現を読んでいくのは読者の楽しみではあるが、あまりに多用されると読者は混乱する。
第1回目の記事でも語ったが、プルーストの文章を読むときは比喩表現が出てきたときに、
「現実の世界では何の話をしているか」
ということを確認しておくことが大切である。そうすれば、混乱を抑えることができるし、ストーリーだけ追いたい場合は比喩を飛ばしても構わない。
むしろ、初めて読む場合、分からない箇所は読み飛ばした方が効率的である。研究者ですら意味不明な箇所があるので、素人にすべてが理解できるとは思えない。まずは理解できるところから読んでいこう。比喩による脱線は長く続くため、比喩が終わる前後で話のつながりが不明になることがある。
この小説は記憶を扱った小説であり、記憶は錯綜するものであるから、作中の描写も時系列が揃っていない。主人公が今何歳なのか、なぜいきなり話題が変わるのか、わからない箇所が多い。
しかし、そんな場合でも、文章を味わうことを意識しながら読み進めていくことが大切である。


2.本文読解(快い闇とは?)

さて、前回、直前に読んだ本のことを考え続けながら眠った作者だが、今回、その考えが変化することから始まる。

ただし、その考えは少々特殊なものになりかわっている。自分自身が、本に出てきたもの、つまり教会や、四重奏曲や、フランソワ1世とカルル5世の抗争であるような気がしてしまうのだ。
こうした気持は、目がさめてからも数秒のあいだつづいている。それは私の理性に反するものではないけれども、まるで鱗のように目の上にかぶさり、蝋燭がもう消えているということも忘れさせてしまう。
ついでそれはわけの分からないものになり始めるー転生のあとでは前世で考えたことが分からなくなるように。本の主題は私から離れてゆき、もうそれに心を向けても向けなくてもよいことになる。と、たちまち私は視力をとり戻し、まわりが真っ暗なのに気づいてすっかり驚くのだった。

夢の中で作者は、本の中に出てきた者と自分を同一視する錯覚に陥る。そして、それはしばらく続く。夢現の状態で目覚めたあと(転生)では就寝前(前世)で考えたことはわからないのである。だが、いつまでもその状態が続くわけではない。
本の主題が頭から離れ、周囲が暗くなっているのに気づいた作者は、再び現実の世界に戻ってくるのだ。

目に快く穏やかな闇、だがおそらく精神にとってはいっそう快く穏やかな闇ーというのもこの闇は精神にとって、原因もなしにできたわけの分からないもの、本当にあいまいな何かに見えるからだ。

闇が快く穏やかだと書かれている。幼少期や不安がちな状態では、闇はおそらく不快であり、心をざわつかせるイメージがある。にもかかわらず、穏やかだというのは、作者の落ち着いた、あるいは落ち込みすぎて何も感じなくなっている、そんな様子を感じさせる。

※この闇の穏やかさについては第1部の後半である人物が口にするが、もしかしたらこれはその伏線を兼ねているのかもしれない。
ここの読解は難しい。精神にとって闇が穏やかな理由を、作者は
「闇が原因なしにあらわれた、わけが分からずあいまいなものに見えるから」
だと述べている。直感的には、原因が分からないと不安であり、したがって穏やかではないと思うのだが、作者にとってはそうではないようだ。
たしかに、精神の役割の一つである「思考」は静かな闇の中でこそより深く行うことができる、という主張なら理解できなくはない。過去を思い出すとき、目を閉じた方がその情景をより鮮明に思い出すことができるように、思考はその妨げになるものを除去することで深化するためだ。
しかし、原因不明であいまいな闇でも穏やかだというのはいったいどういうことなのか?逆に考えれば、
「原因がはっきりしていて、かつよくわかる明確な闇=不穏」ということになるが、かなり解釈が難しい。
ここでいう原因とは、陽が落ちたとか明かりを消したからとかいうことを指すのだと(素直に読めば)思うが、どういう意味か?
無理やりな解釈であるが、今、作者の意識はまだはっきりしていない、不安定な状態である。ここから回復していく必要があるわけだが、その際、原因がはっきり明確に示されるよりも、徐々にその姿を浮かび上がらせていく方が、精神に大きな動揺を生じさせずに思考を深め、夢から現実世界に帰ってこれるためかもしれない。
しっかり認識すれば、精神にとって闇の正体が不明でも怖いものではない、ということだろうか。


3.終わりに

今回のパートもかなり難解な表現があった。わからない所は独自の解釈で済ませるしかない。それは「わかったつもり」にすぎないけれど、ひとまずそれは仕方がない。
なぜなら、理解を助ける要素が少なすぎるからである。意味不明で、混乱した意識でいるよりは、間違いでも一つの結論を出して納得させておいた方がいい。そうしないと、プルーストの文章は頭に入らなくなる。
という私なりの結論を出して、今回の記事は終わりです。

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