零シリーズを楽しめなかった人のための零シリーズ入門
PS2の和風ホラーゲーム「零」シリーズ三部作。
背筋が凍るような不気味さと悲しげなストーリーが魅力的なシリーズですが、実際にプレイしてみて馴染めなかった方も多かったのではないでしょうか?
何を隠そう、私もその一人で、初めてクリアしたときは感動よりも「やっと終わった」という解放感や「もうやりたくないなあ」といった倦怠感の方が大きかったのです。
しかし、先日初代「零-ZERO-」をクリアすると、操作に慣れたらしく、ストーリーを味わう余裕が出てきました。
初代は4周程度、紅い蝶も今は3周目に入っています(刺青のみまだ1周+@)。
そこで、この記事では私がプレイ当時、なぜ零を楽しめなかったのか、及びどのようにして楽しめるようになったのかを明らかにすることで、これから零シリーズを遊ぶ方の参考や、一度遊んだけどつまらなかった方のために再プレイの指針になることを目的にしていこうと思います。
1.楽しめなかった原因と対策について
(0)操作に慣れていなかったから
結論から言いましょう。零シリーズを楽しむコツはなんといっても、初代をしっかりとやり込むこと、これに尽きると思います。なぜそうする必要があるかといえば、操作や世界観に慣れるためです。
PS2三部作の中では紅い蝶が最も簡単で、初代が最も難しいと言われることがあります(人による)。ということは、紅い蝶が入門に最適のように見えます。
しかし、難易度の話はあくまで三部作すべてをプレイした上での印象だと思います。初代はザコ敵の攻撃力が高く、回復アイテムも少ないので難しいことは難しいのですが、フィルムの装填時間がないために攻撃を連発でき、ゴリ押しで攻略することも可能です。
それと、基本的に初代ドラクエと同じく1対1の戦闘が原則です。複数体との戦闘もありますが、それは少数に留まります。しかし、紅い蝶以降は複数体戦闘がむしろメインになります。
零の戦闘は慣れるまで結構時間がかかるので、複数体戦闘はなかなか辛いです(自分は今でも苦手です)。
よって、少々難易度が高くても基本的に1対1で戦える初代で腕を磨くのが入門になると思います。
※一応、私なりの攻略法としては「鏡石の場所を覚えて、回復は鏡石を優先的に使用し、万葉丸は温存する」ことです。初代はそれなりに鏡石が配置されていますが、1個しか持てません。よって、温存して万葉丸で回復するとどこかで回復手段が枯渇します。刻終わりに鏡石も一部復活するので、基本的には鏡石で回復しましょう。
また、初代は3部作の第1作目でもあることから、これをやっておくと後のシリーズを理解する上での土台ができます。儀式、巫女、民俗学者など物語がどのように構成され、展開されるかがわかります。
『刺青』は完結作に当たるので、全2作をプレイしていないとわからない箇所も出てきます。
また『紅い蝶』は結末が悲惨過ぎて最初にプレイするにはおすすめできません(むしろそれが好きという方にはおすすめできますが)。
まずは初代をある程度やり込んで話の大筋をつかんでから他の作品に挑戦すると良いでしょう。
(1)ホラーゲームの本質を見誤っていたから
ホラーゲームの本質とは何か?それは「プレイヤーが恐怖すること」です。
何を当たり前のことを言ってるんだとツッコまれそうですが、もう少しお付き合いください。では、ホラーゲームにおける「恐怖する」とはどういうことか?ここではそれを、
「慢性的にストレスをかけ続けられている状態」
と定義します。
じゃあそれは具体的にどういう状態を指すのかといえば、
「プレイヤーに対して不親切な状態、たとえば障害物を多くしたり、マップを暗くしたり、目的地を曖昧にしてさまよわせ、プレイヤーを恐怖と不安に陥れている状態」と表現できます。
次に、ではそんな状態が続くとプレイヤーはどうなるか?を考えると
「嫌だ、怖い、だるい、といったマイナス感情が噴出する」ことになります。
これがホラーゲームの特徴です。逆に言えば、これらの特徴がなければ、どんなに優れたゲームでも、それは名作ホラーゲームとは呼べないでしょう。
「次の目的地が矢印で示されている」
「マップは広く、かつ見やすい」
「いつでもセーブできる」
こんな親切な要素が含まれていたら、恐怖は生じないと思います。
はい、勘の良い方はお気づきだと思います。
私はこのゲームをやる時点で、「親切なゲームがやりたい」
と思っていたのです。
しかし、当然ホラーゲームは親切なゲームではない。だから、ミスマッチが生じ、楽しめなかった。これは、私が先述したホラーゲームの本質、すなわち「慢性的な恐怖を体感しなければならない」ということを見誤っていたからこその感想だと思います。
つまり、解決方法は簡単ですね。慣れてしまえばいい。
零シリーズをやり込むのでも良いし、バイオハザードシリーズを遊ぶのでも良い。とにかく、
「ホラーゲームというジャンルに慣れること」
これが非常に重要です。
慣れてしまえば慢性的なストレスにも耐えられるようになります。
というより、ゲームを早くクリアできるようになるため、結果としてストレスに曝される時間が減ります。ストレスが減るとゲームに集中しやすくなり、結果としてゲームクリアもまた早くなります。
好循環ですね。
また、ストレスが減るということは、ゲームをクリアするのに精一杯だった気持ちにゆとりが生まれるということでもあります。したがって、次に提示する「ストーリーの理解」も深まります。
ゲームに慣れることがいかに重要かということがよくわかりますね。
ホラーゲームは不親切なゲームです。でも、そこが良いんです。
それを踏まえてもう一度プレイしてみましょう!
※特に「刺青」は複数主人公制の上に資料が多く、初回時は恐怖も相まってストーリーを追いかける余裕がありませんでした。
(2)資料の読み込みと想像力による補完が不足していたから
次にストーリーについてです。私の個人的意見ですが、零シリーズの物語は基本的に難しいと思います。難しさの原因は、
「ストーリーの理解に必要なものが文献中心であり、ムービーを観て直感的に把握することが難しいため。しかもその文献もただ読むだけではなく、想像力による補完がないと理解しづらいこと」
にあると思います。
メタルギアソリッドやバイオハザードにおいては、ムービーがストーリー把握の中心です。もちろん、前者は無線、後者には日記などのストーリー補完要素はあるものの、あくまで補助的な役割です。
しかし、零においては、まさにそれら補助的な役割の文献資料こそが重要な資料となります。これは零の物語の主題が現在進行系ではなく、
「過去起きたことの追体験、及びその体験による現在への影響」
にあるからだと考えます。
過去の出来事を扱う場合、基本的には文献資料が最も重要になります(映像資料が乏しい時代であることも原因ですが)。
このように見ていくと、零シリーズはジャンルとしてはサバイバルホラーに該当するものの、ストーリー把握の局面においては「ノベルゲームの要素が色濃い」と言えるかと思います。『かまいたちの夜』をプレイするような感覚、つまり文章をよく読んで犯人を見つけるような感覚で、ゲーム上の文献資料をじっくりと読んでいくのが良いと言えるでしょう。
2.終わりに
というわけで、以上が零シリーズを楽しめなかった原因と、その解決策です。零は人を選ぶ作品ですが、完成度は高く、今回述べた不安要素を取り除くことができれば、楽しめるのではないかと思います。
ちなみに私は零を通じて民俗学に興味を持ちました。零をやらなければ民俗学に柳田國男という学者がいる、程度のことしかわからなかったと思います。ゲーム中には他にも掛け軸や能面などの日本美術・日本文化も登場します。ゲームを通じてこうした文化に触れることができるのも、零シリーズの
魅力ですね。
次回、零について記事を書くとしたら「紅い蝶のストーリー考察」について書きたいと思っています。紅い蝶は最も賛否が分かれる作品であり、ストーリーも一筋縄ではいかない作品なので、詳しく考察したいんですよね。
かなり詳細な考察になりそうなので、1回で終わらないかもしれませんが、時間を見つけて書いていきたいですね(その前に刺青をもう一度クリアしなければ!)。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
本記事を読んで零シリーズに興味を持った方・再プレイをしてみたくなった方、ぜひゲームを遊んでみてくださいね!
それでは!