見出し画像

【連作短編】いつ見ても、綺麗だね。翔琉1

片手に乳白色のごみ袋を持ち、部屋に置いていった彼女のものを入れていく。泊まっていった日の翌日に使った化粧品の類、よい香りのする石鹸、彼女が使っていた歯ブラシ、パジャマ代わりにしていた室内着・・。
思っていたより数はなかった。

「あぁ、しんどい。」
ごみ袋を放り投げると、床に敷いてあるラグの上に寝転ぶ。毛足が長く、そのまま寝そべっていると、また寝てしまいそうだ。
普段はまだ寝ている時間なのに、何故か早くに目が覚めてしまった。以前、休みの日は大抵彼女と過ごしていたから、その癖で、目が覚めてしまったのだろう。

もう彼女がこちらを振り向いて、優しい笑顔を見せることも、寝転んでいる俺の髪を撫でる感触も、二度と得ることはできないというのに。
そんなことを考えながら、壁に立てかけられたものを見上げる。

これは・・捨てられない。
そもそも彼女のものではなく、俺のものだ。
俺はぼんやりとそれを眺めた。彼女と会うきっかけになったもの。
美しく優しい色彩。手に入れてからは、毎日見つめてきたもの。
そして、今は唯一持っている、彼女と同じもの。

俺はシフト勤務の仕事をしているためか、友達が少なかった。
休みの日はたいてい一人で過ごしていた。
自宅が駅に近かったので、電車であちこち出かけることが多かったのだが、ある時、駅ビルの中にギャラリーがあるのを見つけた。
駅ビルのフロアの一角が、黒いパーティションで区切られていて、そこにいくつもの絵が飾られていた。

飾られていた絵は、油絵とかではなく、シルクスクリーンと言われる版画の一種だ。有名どころで言うと、アンディー・ウォーホルとか、ラッセンとか。
俺はその内の一枚に心惹かれた。

美しく優しい色彩。見ていると心が和む風景。正直、個人で買うには高い買い物だが、お金のかかる趣味もなく、前述したように、仲のいい友達がいるわけでもなく、交際費もかからない俺からすると、十分手の届く範囲の金額だった。

俺は結局、その一枚を買った。

その後も、時間があれば、そのギャラリーに足を運んだ。手に入れた絵を描いた画家の他の作品も展示されていたし、ただ絵を見ているだけの時間というのも贅沢なものだった。他に絵を買うつもりはなかったし、店員にもそのことは告げていたが、それでも足を運んで、お茶を飲みながら、時間をつぶすことに、いなとは言われなかった。たぶん、今は買わないと言ってはいても、将来的に買ってくれるかもしれないという潜在顧客であったのだろう。

そのギャラリーで、俺は彼女を店員に紹介されたのだった。

彼女も、自分が気に入って購入したあの絵を、購入して自宅の部屋に飾っているという。
自分が気に入ったものを、同じように気に入った人物というだけで、俺の中の好感度は上がった。しかも絵なんて、普通は見るだけで満足して、買うという発想には、あまり至らないと思う。

今思えば、彼女は俺にとって貴重な存在だったのだ。同じ感性を持つ人として、もっと付き合い方を考えればよかった。その場の雰囲気に流されず、ひと時ひと時を大切にしていれば、俺は彼女と価値観の合う友達として、今も付き合っていけたと思うのに。

自宅に飾ってある絵が見たいという彼女を、家に招き、好きな作家も同じと知って、話が盛り上がり、甘くて飲みやすいお酒の力に溺れ、体を重ねてしまったから、彼女とは友達ではいられなくなった。

友達と、彼女に、求めるものは、どうしても違ってくる。
一緒にいるときの安心できる感じとか、ほんのり甘く漂う雰囲気とか、居心地の良さとか、共通する好きなものに関して語れる時間とか、友達であれば、上等に感じるそれらは、その時の俺にとっては、刺激のなさや、マンネリ感になってしまった。

それに彼女はあまり感情を表に出さない人だった。爆笑することも、大泣きすることも、怒りを見せることもない。いつも、寂しさというか、不安をにじませた色を含んだ目をしていた。また、自分より2歳上だったからか、とても落ち着いているように見えた。

自分だけが、彼女の事を考え、心乱されているように思えた。
自分には、彼女の瞳に映る、寂しさや不安を、払拭ふっしょくできなかった。

だから、俺は相手がいないにもかかわらず、好きな人ができたと嘘を付き、別れを切り出した。彼女と一緒にいることは、俺にとっての逃げのようにも思えたし、常に自分の至らなさを突き付けられるようでもあったから。
彼女は、泣くこともなく、微笑んで、「そっか。今までありがとう。」と返した。

続けて、「友達でいることはできないか?」と聞いた時だけ、彼女は微笑んだまま、その瞳を滲ませて、「そんな残酷なことは言わないで。」と返した。泣き出しはしなかった。自分でも都合のいいことを言っていると分かっていた。だから、それ以上言葉を続けることはできなかった。

彼女が嫌いになったわけじゃない。
だから、別れて大分経っているのに、彼女の物は捨てられていなかったし、休みの日に早く起きてしまうし、彼女が玄関ドアを開けて入ってくることを期待してしまう。スマホが音を鳴らす度、もしかしたら彼女から連絡があったのかもと、思ってしまう。
そんなことはもう二度とないと、分かっているのに。

自分は、何かを間違えたのだ。

絵を見ている俺の視界がぼやけていく。
窓から入る陽の光が、視界を更に乱反射させる。
その視界越しに見る絵は、とても綺麗だ。

「いつ見ても、綺麗だね。」
そう言って笑う君の声が、聞こえてくるようだった。

「それは、俺にとっての君だった。」
と言ったら、彼女はまた困ったように笑っただろうか。

続きに当たる関連短編を書いています。

私の創作物を読んでくださったり、スキやコメントをくだされば嬉しいです。