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【随筆】【短編小説】テーマ:年賀状

【随筆】意識の変わった年賀状

初詣で、社に手を合わせながら、なぜか、去年、ここにいた自分のことを考えてしまう。

去年も同じように、近所の神社・お寺に来て、手を合わせた。その時はこれからの一年が『いい一年になりますように』と願ったはずだ。そして、おみくじを引いて、お守りを買って、既に日が落ちかけて、人通りの少ない道を歩いて帰ったはず。

それまでと同じ、初詣の光景。
だが、私の昨年は、初詣から数ヶ月後に病気が判明し、夏には入院して手術。その後、3か月経過をみて問題なかったので、再就職という怒涛のものだった。

昨年、ここに、初詣に来ていた私は、もちろんそうなることを知らない。手術で出血多量にて死にかけているのだから、もしかしたら、今ここで手を合わせている私はいなかったかもしれない。

そう考えると、人生って本当によく分からないものだと思う。

そんなこともあって、私はこのところ連絡が途絶えていた知り合いにも、昨年年賀状を書いた。今は年賀状を書く人は減っているという。SNSでも気軽に送れるようになっているし。実際、年賀状を何度送っても返事が返ってこなくなったので、迷惑かと思って送るのを止めた人も多い。
年賀状を書くのは確かに煩わしく思うこともある。年末の忙しい時期は特に。

だが、今回、私は考え直した。

年齢を重ねれば重ねるほど、SNSで友人とやり取りをするのは確実に減る。結局、とても細い繋がりを紡いでいくのに、ちょうどいいのは年賀状だと。そこからもっとやり取りを深めたいのであれば、別の手段をとればいいのだし。年賀状くらいなら、それほど関係が深くない人でも、一年に一回のことだからと受け取ってはくれるだろう。正確には一方的に送り付けているが。

なお、連絡が途絶えていた間に、転居して宛先不明で戻ってくることは想定済みだ。元々やり取りしていたかどうかも怪しい薄い繋がり。これで繋がるかどうかは未知数。年賀状には、自分が病気をしたので、懐かしくなって書いたと一筆入れた。元々、友人が少なく、かつ思い出が残らない私からの年賀状は、実は大変レアなのです。

物書きをしている方々は、年賀状を書くのは苦にならないかもしれないが、年賀状はこのところ書いていないな、という人は、来年から手を付けてみては?と思う。

そう思うきっかけが、自分が死にかけた事でも、別にいいでしょう。

説那せつな

【短編小説】唯一繋がるこの絆

家族で近所の初詣に行き、家に戻ったところ、ポストを覗き込んだ娘が私に向かって嬉しそうに年賀状の束を差し出した。

「はい。ママ。郵便。」
「ありがとう。」

夫と息子は、早々に家の中に入っていく。きっとこの後2人で向かい合って、パソコンゲームを始めるのだろう。娘はきっと図書館から借りてきた本を読み始める。私は何をしようかしら?家事は一通りすませたし。

そう思いながら、私は手元の年賀状を束ねた輪ゴムを外し、自分宛のものと夫宛のものに仕分けていく。子どもたちは、年賀状を友達に出していない。娘はその内、学校で住所を尋ねて出し始めそうだが、息子は出さないだろうなと思う。夫だって、毎年、年賀状の作成は私に任せきりだ。今年は時間がなくて、ネット注文で済ませた。これからは、毎年、そうしていくだろう。

なんとなく、年賀状作りを止めてしまいたいとも思うのだが、年賀状でしか、やり取りしていない人もいて、どうしても止められない。いつもきまり文句のように、『今年は会えるといいですね』と書いて、結局会うことがなかったとしても。

私はその内の一枚の表書きを見て、動きを止めた。
ここ数年年賀状が来ていなかった、学生時代の友人からのものだった。相手の名前を見ただけで、心の中が懐かしさで満たされる。

絵柄はよくある既製品のもののようだった。
その脇のスペースに、見覚えのある筆跡で、一筆したためられていた。

『お久しぶりです。突然、年賀状を送ってしまい、すみません。
実は、病気になって、懐かしく思って書きました。
今は、回復しています。
お互い、健康で幸せな一年を過ごせますよう、お祈りいたします。』

『病気』とあったので、一瞬心が揺らいだが、その後の『回復』の文字を見て、安堵する。相手は、あまり周りに弱音を吐かない人だった。それでも、このような文章と共に年賀状を書き送ってきたのだから、病気になって、何か心情に変化があったのだろう。

この気持ちに応えなくては。

私は、はやる気持ちを抑えて、年賀状を返そうと、自宅の階段をやや早めに駆け上がった。

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