【短編小説】冷やしだきしめや、始めました。
「だきしめや」という仕事は、夏の需要が低い。
なぜなら、人の体はどうしても熱いから。
抱き締めあって、冷たくて気持ちいいと思うことは、少ないというか、まずないだろう。あるとすれば、冷房がキンキンに効いていて、それにさらされた女性だったら、あるのかもしれない。
女性の方が、男性より皮下脂肪量が多い。皮下脂肪は、体温を維持するため、外気や他の要因を受け、温かくも冷たくもなりやすい。一度冷たくなった皮下脂肪は、その冷たさを保つ。
だが、「だきしめや」が行われるのは、基本外。
建物の中で行っても、問題はないんだろうけど、外より一目は引く。
そもそも、「だきしめや」ってなんなのか。
客1:浅沼 颯哉(20)の場合
梅雨に入り、じめっとした毎日が続いている。
梅雨なのに、あまり雨は降らないが、降る時は、まるでスコールかのごとく叩きつけるように降る。外に出るのが躊躇われるほどに。
家にいる時は、クーラーをつけないとならないほど、蒸し暑い。どうせ一人暮らしだから、それこそ真っ裸で過ごしても、誰にも咎められることはないのだが、それはそれで落ち着かないし、思ったより涼しいとは感じない。
冷たいものを食べたり、飲んだりしても、暑さがまぎれるのはその時だけで、たくさん飲み食いしたら、腹を下す。それにダルさがいつまでも残っている気がする。
外に出ればいいんだろうけど、バイト先や学校で過ごすにも、限度がある。ショッピングモールや図書館をうろうろするのも飽きる。それに、一緒に過ごす人もいない。友達がいないわけじゃないけど、四六時中一緒にいるわけにもいかないだろう。この気持ちを分け合える彼女でもいれば、まだいいんだろうけど。
どこに行くわけでも、何をするわけでもない、ある日。
SNSで気になるつぶやきを見つけた。
『冷やしだきしめや、始めました。本日20時から21時まで。場所◇◇沿線〇〇駅前大通り△△ビル前。5分1000円。現地現金前払い。先着順。腕の青いネクタイが目印』
明らかに怪しい。そもそも「冷やしだきしめや」ってなんだよ。
と思いつつも、そのつぶやきをじっと眺める。
場所は、自宅から行けないところでもない。投稿されたのが、このつぶやきを見ている今日。つまり、今日の20時から1時間、この指定された場所で「冷やしだきしめや」なるものが、行われるということだ。
「冷やしだきしめや、ねぇ。」
そう、口にしてみるってことは、かなり心惹かれてるってことなのかもしれない。
結局、間もなく20時になろうかという頃、俺は、○○駅前広場に立っていた。夜だというのに、気温はあまり下がらず、蒸し暑い。仕事帰りと思われる人々が、足早に駅の改札へ向かって、歩みを進めている。俺はそれを遮るように立っていたが、皆、視線を送ることなく、素通りしていった。
指定された場所には、ガードレールにもたれるように立っている人物がいた。ひょろっとした体つきが特徴の男だった。学生には見えない。前腕には青いネクタイを巻いている。彼が「冷やしだきしめや」で間違いないだろう。
相手は、自分の視線に気づくと、手をこちらに向けて、ひらひらと振った。
「こんばんは。ご利用ありがとうございます。」
「・・冷やしだきしめやって、なんですか?」
「だきしめや、は初めてですか?」
「はい。初めて聞きました。」
「だきしめや」は、ガードレールに手をついて、体を起こし、自分の隣に立った。背は自分よりも頭一つ分くらい高い。
「SNSに書いた通りなんですけど、5分間抱き締めるだけです。料金は、前払いで1000円。現金のみ受け付けます。まぁ、そういうサービスです。」
「儲かるんですか?」
「リピーターもいますよ。普通のだきしめやは、夏はあまり需要がないですが。」
「だきしめや」はそう言って笑みを浮かべた。
「・・暑いから?」
「ええ、人肌はどう考えても熱いので。」
「で、冷やしというのは?」
「やってみれば分かります。」
やりますか?と問うように、「だきしめや」は首を傾げる。
「・・やります。」
「では、今が20時7分なので、10分から5分間でいいですか?あと、下の名前だけ教えてください。領収書に書きたいんで。」
「・・颯哉です。」
「5分1000円です。現金でお願いします。」
彼は、背負っていたバッグから、領収書や筆記用具を取り出し、領収書の宛名欄に「ソウヤ様」と書き、提供時間と日付、金額を書き込んだ。手書きの領収書をもらったのはいつぶりだろうか。綺麗な筆跡だった。
「では、10分になるので、どうぞ。」
「だきしめや」は自分に向かって、両腕を広げた。男同士で抱き合うなんて、人目を引きそうだ。思わず周りに視線を送るが、意外とこちらに目を向けている人はいない。そういえば、他の客もいないようだ。「だきしめや」は夏の需要は少ないと言っていたから、客もあまり来ないのかもしれない。
自分のような、もの好き以外は。
「時間、もったいないですよ。」
そう言われて、俺は彼の前に立つ。相手は躊躇いもなく、体を寄せ、両腕を自分の背中に回す。
「!」
俺が相手の顔を見上げると、「だきしめや」は俺の方を見て、口の端を上げた。口の動きだけで、「分かりましたか?」と囁く。俺はそれに答えず、代わりに相手の体を抱き締めた。
冷たい。
人肌とは思えない冷たさだ。肌と肌の重なったところから、自分の体温が奪われていく。冷房の送風口の真下に立っているような気分だ。
「あんた、人間?」
「・・面白いことを言いますね。ちゃんと、体も足もあります。」
思わず出た言葉が粗雑なものとなったが、彼はそれを気にする素振りなく、淡々と応える。
背中に回した手を下に滑らせてみる。確かに掌の下には、男特有の骨ばった硬い体の質感が分かる。彼はその仕草にくすぐったさを覚えたのか、フフッと笑う。
「何か話したいことがあれば聞きます。」
「・・カウンセリングもしてくれるの?」
「ただ、聞くだけですけど。」
「・・特に話したいことはない。」
言葉なく抱き締めあっていると、タイマーのようなピーピーといった音が鳴った。彼は自分の背中から手を離す。彼の体が離れると、周りの騒音が一気に戻ってきた。肌にあたる気温が心地よく感じる。体の芯が冷え切ってしまったようで、唇が震える。
「5分経ちました。またのご利用をお待ちしております。」
彼はそう言って、深々とお辞儀をし、優しい笑みを浮かべた。
客2:南 陽菜(32)の場合
SNSで「だきしめや」の文字を見た時、私は驚いて思わず口を押さえた。傍から見たら、かなり不自然な動作をしていただろうと思う。
ずっと、探していた「だきしめや」の告知。
以前体験した「だきしめや」、それは私に癒しと、この先を過ごしていく力のようなものをくれた。もし、近くに来る機会があれば、また利用しようと思っていたのに、ある時を境に告知が出なくなった。
事あるごとに「だきしめや」の文字を探していて、やっと巡り合えた。ただ、頭に「冷やし」が付いているのが、気にかかる。前回の「だきしめや」とは、違う人なのかもしれない。前回の「だきしめや」は女性で、自分でも体温が高いと言っていた。「冷やし」ということは、体温が低いということなのだろう。
同じ人だったら、お礼が言いたかったのだが。ただ、もう13年もたっているから、相手も私のことが分かるとは思えないのだけれど。
指定された場所にいたのは、背の高い男性だった。腕には「だきしめや」の看板代わりである青いネクタイが巻かれている。前回の「だきしめや」は、青いスカーフかリボンを腕に巻いていた。そこは共通してるんだなと思って、私は彼の前に立つ。
「お客様ですか?」
「冷やしだきしめや、ですよね?」
「はい。ご利用ありがとうございます。」
「あの、なんで冷やしなんですか?」
私の問いに、彼は軽く首を傾げて、笑う。その様子は、なぜか前回の「だきしめや」を彷彿とさせる。
「だきしめやを以前利用されたことがあるんですね?」
「はい。前回は女性でした。」
「その時に聞きませんでしたか?だきしめやの夏の利用は少ないと。」
「ええ、暑いからですよね?」
彼は、背中に背負っていたバッグから、領収書や筆記用具を取り出し、準備を始めた。私もその様子を見て、バッグから財布を取り出す。
「だから、夏にするなら冷やしだと思いまして。」
「体温が低いんですか?」
「それは実際にしてみれば分かります。どうされますか?異性同士だと遠慮される方も多いので。」
「やります。5分1000円ですよね?」
彼は私に名を尋ねると、領収書に「ヒナ様」と書き込んだ。これも前回と一緒だ。「だきしめや」の提供形態には、何かしらルールかマニュアル的なものがあるのかしらと考える。
時間になると、お互い体を寄せ合い、私たちは抱き締めあった。そして、私は彼が言ったことを理解する。彼の体は、驚くほどに冷たかった。人の体とは思えないほどに。
「あの、こんなに体が冷えていて大丈夫なんですか?」
「気にしないでください。でも、お陰で陽菜さんの体も冷えるでしょう?辛かったら言ってください。」
「・・まだ、大丈夫です。」
「何か話したいことがあれば、話してください。自分でよければ、聞きます。」
そう問われて、私は取りとめない近況を話してみる。話している内に、自分は13年前と変わってないなと感じる。あの時と同じように、自分は普段一人だし、ただ、以前より寂しさには慣れたような気がする。いつか結婚したいとは思うが、結婚してまで一緒にいたい、そういう相手には巡り合えていない。
相手は、ただ相槌を打って、黙って話を聞いているだけだった。今の私にはそれで十分だ。
タイマーのようなピーピーという音が鳴って、彼は自分の背中から手を離す。結局、彼の体は私の体温を吸収していくだけだった。つまり、私と彼との間には交わらない何かがある。前回の「だきしめや」とどうしても比べてしまう。私が求めていたものは、「冷やしだきしめや」では得られないものだったらしい。
思っていたより冷えていたようで、私は震える唇に手を当てる。
「5分経ちました。またのご利用をお待ちしております。」
微笑む彼に背を向けて、私は全く見えない、星の輝く夜空を見上げた。
客3:宇津井 美夏(50)の場合
駆け足のように夏が過ぎていき、めっきり涼しくなってきた。
すれ違う人々は、長袖の服を着、人によっては薄手の上着を羽織るほど。年々暑さは過酷になるが、それに伴ってなのか、秋めくのも早くなったような気がする。
私が探していた人も、真っ暗な夜空を、つまり真上を見つめながら、その場に立ち尽くしていた。私は、少し離れたところから、相手のことを眺めていたが、まるで人形のように微動だにせず、その場に立っている。彼を見とがめて、足を止める人もいない。
私は、大きく一呼吸吐くと、その人物の元に、足を進めた。
「こんばんは。ご利用ありがとうございます。」
「知らない中でもないのに、他人行儀な。」
「一応こちらは商売なので。久しぶりだね。一年ぶり?」
「そう。・・大川くんは変わらないね。」
彼は、私の言葉を聞くと、目を細めて笑う。
「再会したのは、じゅ・・13年前だっけ?」
「その頃から、変わらないよね。羨ましい。」
「13年かぁ。ずいぶん続いたな。」
「・・こんな風に昔話してて、仕事始めなくていいの?」
私の言葉に、彼は辺りを見渡すと、軽く息を吐いた。
「今日は他に客は来ないよ。きっと。寒いし。」
「冷やしだきしめや、を希望する人はいないか。」
「もう、今日で終わりにしようと思ってる。」
「じゃあ、私が最後のお客様だね。」
私が、バッグの中を探る仕草をすると、彼も背負っていたバッグを下ろし、領収書や筆記用具を取り出した。料金の1000円と領収書を交換する。領収書には「宇津井様」と記載されている。毎年1度しか利用しない私の名を、彼はちゃんと覚えている。
彼が両腕を広げたので、私はその体に身を寄せた。普段より厚着をしてきたつもりだが、その布越しに、彼の冷たい肌を感じる。今までと変わらない、人間とは思えない冷たさ。
「宇津井。」
「どうかした?」
「冷やしだきしめやは、今日で終わりなんだ。子どもが成人するから。」
「・・そっか、もうそんなになるんだ。」
13年前、仕事で疲弊していた私は、SNSで見かけた「冷やしだきしめや」の言葉に魅かれ、指定された場所に足を運んだ。その場にいたのが、学生時代の同級生であった大川影人だった。私は、彼に会った時、自分の目を疑った。
なぜなら、その数ヶ月前、私は彼の葬儀に参列していたから。
彼は、妻と幼い子を残していくことに未練があった。だから、「冷やしだきしめや」を始めて、その売り上げをそのまま2人に渡した。金額としては大したことはないというが、彼なりの償いのようなものだったという。亡くなった理由は事故だったし、彼に起因するものでもなかったから、自責の念に駆られる必要はないと思ったが、それで彼が納得できるならと、私はそれを見守った。
「奥さんやお子さんに、会わなくてもいいの?」
「会えないよ。この体は自分のものじゃないし。・・それにもう新しい家族になってる。そこに波風を立てる気はない。」
「なぜ、私には話すの?」
「宇津井は、何も言わずにいてくれたから。」
私が見上げた瞳には、彼の優しい笑みが映る。
私が何も言わず見守ったのは、これを私と彼の秘密にしておきたかっただけだ。彼との間に何か特別なものを求めただけ。
「宇津井。本当に今までありがとう。」
「・・私は何もしてないよ。」
「俺は、ずっと宇津井の幸せを願ってる。」
「大川くんは消えちゃうのに?」
体の表面はとても冷えているのに、私の体の芯からは熱が伝わる。顔や涙がとても熱く感じる。私は、目の前にいる彼とは違って、生きている。
「宇津井、俺は・・。」
彼が何か言いかけるのを遮るように、タイマーのようなピーピーといった音が鳴った。彼はそのまま口を噤むと、私の体に回した腕を離す。彼の体が離れて気づく。私はとても強く彼に抱き締められていたことに。
「5分経ちました。今までのご利用、ありがとうございました。」
そう言って、私を見つめる彼の目尻から、一筋、涙がこぼれた。
大川燿は、いつも通り、最愛の家族が待つ家に帰った。妻の杏璃は、彼の着ていた上着を手に取ると、少し顔を顰める。
「お風呂に入った方がいいんじゃない?すごく冷たくなってる。」
「今日も兄さんが来てたから。」
「まだ、今シーズンもやってたんだね。」
「今日で最後だって。」
杏璃は、燿の前で両腕を広げ、彼を見上げて、そのまま待つ姿勢をとった。燿は、彼女の前に立つと、その体を引き寄せ、抱え込む。
「だきしめや、久しぶりだな。」
「少しは温かくなるでしょ?」
「少しどころか、ずっとこうしてたいくらいだね。」
「だったら、お風呂に入った方が早いよ。」
燿は、杏璃の体を抱きしめたまま、話を続けた。
「さっき、兄さんの最後の売り上げ、ポストに入れてきた。」
「・・最後の売り上げ?」
「もう、子どもが成人するから必要ないってさ。13年もかかった。分かってたことだけど、長かったな。」
「そう。お兄さん、いなくなったの?」
燿は、自分のスマホを取り出して、杏璃に画面を見せる。メモ帳に『冷やしだきしめやの営業は終了した。長いことありがとう。杏璃ちゃんにもよろしく』と書かれてあった。
「体は大丈夫?」
「大丈夫だけど、今日は疲れた。」
「元はと言えば、私がだきしめやのサービスを教えちゃったからだよね。。」
「自分も進んで体を貸したんだから、お互い様。」
杏璃は以前「だきしめや」をしていた。その理由が『抱き締めあうと幸せになれるハグの効用を体感するため』なのだから、ちょっとずれている。それをやめさせたのが、職場の同僚だった燿だ。
幼い子どもと愛する妻を残して、事故で死んだ燿の兄が、「だきしめや」の話を聞いて、それを子どもが成人するまで続け、売り上げを家族に渡すことを決めた。燿はその間、体を一時的に貸すことに同意したが、兄に体を貸すと、体温がほぼなく、逆に抱き締めあった相手を冷やしてしまうことが分かった。
だから始めたのが、夏限定で行う『冷やしだきしめや』だ。
「再婚した時点で、やめとけばよかったのに。成人するまでと頑固に言い張るから。」
「・・そういうとこ、兄弟だよね。」
「どういう意味?」
「とことん、冷やしだきしめやに付き合うと、頑固に言い張ったのは、誰でしたっけ?」
視線を絡めて、首を傾げてみせる杏璃の体に回した腕に、燿は力を籠める。
「苦しい、ギブギブ。」
「あ~、やっと体温戻ってきた気がする。」
「お風呂入らないと、芯までは温まらないよ。」
「じゃあ、一緒に入る?」
杏璃は、燿の言葉に考える仕草を見せた後、「たまにはいいかもね。」と言って、彼の胸に頬を寄せた。
終
サポートしてくださると、創作を続けるモチベーションとなります。また、他の創作物を読んでくださったり、スキやコメントをくだされば嬉しいです。