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【短編】同じ景色を見た仲だから

僕はパソコンを操作する手の動きを止め、大きく息を吐いた。
時計の針は午前13時45分を差している。
そろそろ移動しないと、予約の時間に間に合わない。
僕はパソコンの電源を落として、ボディーバッグを手に取り、部屋を出た。

今日の天気は、快晴とはとてもいいがたい。
どんよりとした曇り空で、雨は降らないだろうが、青空はとても期待できない。ホテルのレセプションルームから送迎バスを呼んでもらい、ビーチ近くの停留所まで行く。季節外れのためか、バスに乗っている人は、僕の他には誰もいない。

皆は何をやってるんだろう?ゴルフだろうか?それとも部屋で仕事?
一人でマリンレジャーに参加しようとしているのは、やはりおかしいだろうか。今日の分の仕事にはけりをつけてきた。何事もメリハリが必要だ。
できれば、ここで新しい出会いでもあれば最高だったが、カップルか家族連ればかりで、一人で訪れている女性など見かけない。

僕が勤務している会社で手掛けていた大きなプロジェクトが、この間完了した。そのプロジェクトは会社に大きな恩恵をもたらした。そのため、該当のプロジェクトに携わった社員を集めて、このリゾートに来て、懇親会を行うことになった。懇親会は既に昨日の夜に終了している。今は各自自由行動となっていて、それぞれ予約した便で帰途につくことになっている。

一緒に来る彼女も家族もいない僕は、ここでも仕事をしつつ、どうせだからとマリンレジャーに予約を入れた。内容はシュノーケルツアーだ。シュノーケルセットとウェットスーツ等を身に着け、インストラクターについて、海に潜るといったものだ。

季節外れなのに、シュノーケルツアーに参加する人はそれなりにいる。それどころか、ホテルにも結構な人数が泊まっている。夕食は予めホテル付属のレストランなどを予約しておくのだが、食事をする時も席は埋まっている。年齢層が高めなのは、このリゾートを利用するのに、金も時間もかかるからだろう。ここに来るのにも、飛行機で、羽田から3時間半ほどかかるのだから。

マリンレジャーの受付で、四苦八苦しながら、ウェットスーツを身に着けた。身体にぴったりとフィットしており、伸縮性がないので、着るのは一苦労だ。準備が終わって、シュノーケルツアーが始まるのを待っていると、同じようにウェットスーツを身に着けた女性が、手持ち無沙汰な様子で立っていた。きっとその内、家族か彼氏が来るのだろうと、何となく見ていたら、なぜかこちらに歩いてきて、僕に向かって声をかけてきた。

「すみませんが、お一人ですか?」
「・・はい。そうですけど。」
「シュノーケル、初めてですか?」
「シュノーケルは初めてですけど。ダイビングはしたことがあります。」
「すごい。私、シュノーケル、初めてなんです。いざとなると、少し緊張してきてしまって。」
「インストラクターの方がついているので、問題ないと思いますよ。」

シュノーケルは、専用器具を顔に取り付け、そのマウスピース部分を口にくわえ、外に出ているパイプ部分を通じて呼吸をする。足にはフィンも付ける。マウスピース部分に水が入った場合は、くわえ直す必要があったりもするが、小学生の子どもでも参加しているので、普通の大人なら大丈夫だろう。

「私、泳げないんですけど。。」
「大丈夫です。体にはライフジャケット付けますから、ちゃんと浮きますし。足のフィンでそれなりに動けます。」
そう言う自分も実は泳げない。泳げなくてもダイビングはできるのだ。
「インストラクターの方の近くで、泳いだ方がいいかもしれませんね。」
「あの・・よければ、近くで泳いでいただいてもいいでしょうか?ダイビング経験者の方が近くにいると、安心できるというか。」
「いいですよ。」

申し出にOKを出しながらも、よく他人に簡単に声をかけられるなと、感心した。自分だったら、確実に相手が一人だと分かったら、声をかけているかもしれないが、やはり躊躇ちゅうちょしてしまいそうだ。
相手の顔をじっと見ていたら、彼女はその視線を受けとめて、薄く微笑んだ。
「私、坂上さかがみ聖来せいらといいます。」
「井上さとるです。」
お互い名乗りあった時、インストラクターがシュノーケルツアーの参加者を呼びに来た。


シュノーケルツアーは、問題なく終わった。
天気は良くなかったが、海の中はやはり美しかった。サンゴや色とりどりの魚、遠くには海亀が泳いでいるのも見られた。数日前までは雨が降って、その間、ツアーは中止になっていたらしい。今日は久しぶりに天気が安定したと聞いている。

ダイビング経験はあったが、それも、社会人になりたての時に、大学時代の先輩に誘われて行ったもので、ここ最近は全くと言っていいほど、していなかった。海に潜っている間は、自分の呼吸音以外は、遠くなって、目の前の景色に集中できる。それ以外の考えを一旦外に放ることができる。参加してよかったと思った。

「海の中、とっても綺麗でした。感動しました。」
目の前で、温かい紅茶を飲みながら、聖来が目を輝かせて言った。
結局、シュノーケルツアーが終わった後、リゾート内のカフェで、2人でお茶を飲むことになった。

彼女は、妹がこのリゾートのチャペルで結婚式を挙げるのに、親族として出席するため、訪れたのだという。結婚式は昨日終わっていて、今日は自由行動らしい。だが、一緒に行動する人はおらず、一人で時間を持て余していた。泳げないから、マリンレジャーもあまり食指が動かなかったが、一つはしてみたいと思い、シュノーケルツアーを申し込んだのだそうだ。

それなら、パラセーリングでもよかったのでは?と考えたが、そうであったなら、彼女と自分は出会えていなかったので、まぁ、よかったと思うことにする。

「自分も海の中を見るのは久しぶりだったけど、よかった。晴れていたら、もっと綺麗だったんだろうけど。」
「そうなんですか?また、晴れている時に、シュノーケルしてみたいです。」
彼女がニッコリと笑う。先ほどまでの寂しげな笑みではなくて、少しホッとする。

「それにしても、井上さんの勤めている会社って、すごいですね。会社の旅行で、こんなリゾートに来るなんて。」
「いや、このリゾートで結婚式をあげようとする君の妹さんもすごいと思うけど。」
「・・すごい綺麗でした。うらやましくなりました。」

彼女の顔を見たが、素直に妹の幸せを喜んでいるというわけでもなさそうだった。僕の視線に気づいたのか、彼女は曖昧あいまいな笑みを浮かべる。
「・・実は妹の彼氏・・じゃないか。旦那さんになった人のことが好きだったんです。」
僕は、彼女の言葉を聞いて、思わず口に手をやった。なんと返していいか分からず、口ごもる。

「さすがに、姉なのに、妹の結婚式に出席しないわけにはいかないでしょう?顔を取り繕うのに苦労しました。」
「・・・。」
「せっかくリゾートに来ることになったんだから、満喫まんきつしようと思ったんですけど、一人でいると、ちょっと辛くて。両親といても、気を遣うだけだから、どうしようかと思って。思わず、井上さんに声をかけてしまいました。」
すみません。と頭を下げる彼女に、僕は慌てて言った。

「どうせ、一人だから、気にしないでください。」
「・・妹は、姉の私が言うのもなんですが、すごくいい子なんです。あの人が結婚相手に選ぶのも当然です。素直に喜んであげたいです。」
「無理しなくていいんじゃないですか?」
「妹を困らせたくはないので。でも、大丈夫です。これを最後にしばらく会うことはないはずなので。」

妹さんは、結婚が決まると同時に、実家を出て、今は一緒に暮らしていないのだそうだ。妹さんと暮らしている時は、頻繁にその彼氏が遊びに来ていて、顔を合わせないようにするのが、大変だったらしい。仲のいい姉妹のようで、彼氏を含めて遊びに行くこともあったという。

「その時は、私にも付き合っている人がいたので、所謂いわゆるダブルデートみたいなこともしていたんですが、私が、あの人のことを好きになってしまったら、恋人にもそれを悟られてしまって、結局別れてしまいました。」
「それ、どのくらいの期間続いたんですか?」
「3年ですかね。」
「よく、頑張りましたね。」

自分の言葉に、彼女は呆けたような顔をした後、照れたように笑う。
「やはり、私にとって大切だったのは、恋ではなくて、家族だったようです。結婚してくれて、私もようやくふっ切れることができそうです。」
「それは、おめでとうございます?」
「ありがとうございます。」
クスクスと声に出して笑った後、彼女が躊躇ためらったように口を開いた。

「井上さんは・・いつまでここにいらっしゃるのですか?」
「2日後の午後の便で帰ります。」
「帰られる前に、もう一度お会いできませんか?」
「一度と言わず、何度でも構いません。同じ海の中の美しい景色を見た仲ってことで。」
「同じ景色を見た仲・・。」

「次、シュノーケルする機会があれば、晴れた日がいいですね。なかなか機会が巡ってきそうもないですが。」
「絶対に、実現させましょう。今から楽しみですね。」

『2人の関係をこれからも続けていこう』という意図を含んだやり取りをしながら、僕が彼女に向かって微笑むと、彼女は僕が浮かべた笑みにつられた様に微笑んだ。

泳げない人でも、ダイビングやシュノーケルができるというのは、事実です。私は泳げますが、ライフジャケット付けていても、足がつかないところは若干怖い。

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