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「シャシン論」/言葉にすることが多いのだけれど(近ごろ)

「おはようございます。今日も良い1日を」と、まだ何も書いていないはずのnoteに、薄い字で書いてあるので、機械に励まされている気がして、とても心地がいい朝だ。
#写真借りました。 ありがとうございます!

 そうそう、最近写真を撮っていて思うことがあった。
 それは、「写真を撮る」という行為は「絵を描く」という行為に似ている=前者が後者をトレース/ミメーシス(模倣)しているのではないか。ほ、ほほほ、ほな、説明しましょか。

  まあ、「構図」ですよね。「風景」を僕は撮る時に、どの位置(写真の)にその木や石を配置するように撮るか、という一点に意識をまず、集中している。iPhoneのカメラなので、光の具合とか、写真好きな人たち(小籔さんとか)が、「神経質に」気にしている些末事は、あまり気にしていない。というか、ぶっちゃけ、全く気にしていない。

 だので、写真は割と気軽に撮る。
ちょっと前に、バイトの同僚と話していた時に、「写真について」話が及んだ。
 僕が、「写真を残すことで、写真を撮った時の自分の感情までもが思い出せる気がする」とかなんとか、わけ知ったようなインテリ気取り発言をしてしまった(恥ずかしい!)。まあ、「分かります!」とか言われて、「そうなんですよ!」とか、話が弾んでしまったのだが、それはまた、別のはなし。

 まあ、気軽に写真(動画もね)を撮っていきましょう!どうせ、ほとんどの人に見せないのだし。気軽さ、が、重要なのです!!!

適当すぎ。
本当は「光が」とか、「光量が」とか言いたいよ!
でも、いえないよ〜(郷ひろみ)

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