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自分とはなにか

最近、自分の考え方の癖について思考を巡らせ、そして、嫌になることが多い。
どういう考え方かと言うと「人目を気にしてしまう」というもの。

自分自身、小さい頃から何をするにしても人より少しよくできていて、目立ちたがり屋であった。
今考えると、「人から良く見られたい」というのが昔からあったということだと思う。これは一人の人間として持っていて当たり前の感情ではあると思う。

今もそれは変わらないが、色々な環境を経験し、壁にぶつかる中で、その気持ちが少し諦観に埋め尽くされていっている。

小学校高学年の頃には、誰にも負けなかった短距離走で負けるようになり、
中学生の頃には、身長をどんどん抜かされるようになり、
サッカーを続けていけばいくほど、自分よりも上手いやつに山ほど出会った。

そんな中で自分が輝けるところはどこかと考えた時に、「他人があまりやらないことを進んでやる」ことにたどり着いた。これも「人から良く見られたい」という気持ちからである。元はと言えば、小学生時代のチームのコーチに気に入られたくて始めた、チームの備品を運ぶことが最初だったと思う。いつしかそれが当たり前になり、人としての信頼も得れるようになった。今でも、練習中にボールを集めたり、ゴールを運んだりと普通は後輩がやるような仕事もやっている。


今までは「こういう事をやっていればいつか報われる」と思っていた。しかし、この間テレビを見ているとこんな言葉に出会った。

『努力をしても報われない奴はいる。間違いなくいる。ただ成功した奴は必ず努力をしている。』

これが正しいと。今までは考え方の順序が逆だった。努力したから報われるんじゃなくて、報われたという結果の過程に努力があったというだけ。でも、努力無くしては成功はない。スポーツに限らず、競争のある世界は残酷だと思う。それはこの3年間、特に高3になってから今までで痛感してきた。


少し話が逸れたが、「人目を気にしてしまう」ということについて。
小学生の頃に、学校で女子から「ナルシスト」と呼ばれた時期があった。正直、めちゃくちゃ嫌だった。言われていることよりも小さい声でコソコソと言われるのが嫌だった。
他にも自分が気にしていることを言われることがあって、今になって思うと、それが今の自分の考え方にすごく影響していると感じる。

何か言いたいことがあっても、「こう思われるんじゃないか」と考えてしまって、踏み出そうとしていた一歩が出ない。
数人が自分の近くで話していると、「自分のことを馬鹿にしてるんじゃないか」と思ってしまう。

それが弱いというのは分かっているし、傍から見れば、「そんなん気にすんな」で済む話かもしれない。ただ、そういう考え方が癖づいてしまっている自分にはそれがなかなか出来ない。

それを高校のチームメイトに相談すると、「そんなに強いやつはそうそういない。見せかけでもいいから自信あるように見せればいいねん。」と言われた。
その日から、人から弱く見られないようにするようになった。崩れそうでも弱々しく見られないようにする。それは結構大事なのかもしれない


自分とはなにか。
本当の自分とは。
「人から良く見られようとしている」自分なのか。
その仮面を外した弱い自分なのか。

これからの課題は、全てを受け入れて、新しい一歩を踏み出しまくることだと思う。
様々な本とも出会って、色々な考え方も身につけたい。
素直さ。謙虚さ。

今まで出会った人の中で、「自分の軸がしっかりしている人」には羨ましいなと思ってきた。
けど、自分には自分しか出せない色があって、それが出せずに、人の真似ばかりしていると、ただのものまね人形で、個性なんて無くなってしまう。
これからも人生を自分色に染めていくために、素直に取り組んでいきたいと思う。


まず、このnoteの内容を明るくすることから🫢

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