人生の選択肢について考えたこと
私はひとつしか選べない人生だと思う。
基本的に要領が悪くて不器用だ。
でも不器用なりに、一生懸命やってきた。仕事なんか、就職して何年かして「あかん!!向いてない仕事に就いちゃった!!」って悟ったけど。できないところは時間をかけて何とかこなした。何年かして後輩が出来て、こんな自分でも一生懸命やれば先輩にも後輩にもそれなりに認められてやれるんだって自信がついた。職場の人間関係も良好でやりがいらしきものも生まれた。
そうやって積み上げたささやかなキャリアさえ、不妊の壁に阻まれた。
不妊治療して子どもがいる(かもしれない)人生か、仕事のキャリアを積み重ねて仕事で評価されることを選ぶか・・・。
結局私には両方を貰えるような選択肢はなかったのだ。
二兎追う者は一兎も得ずである。
およそ10年前。働きながらの不妊治療はイバラの道だった。大げさに聞こえるかもしれないが当時の私にとってはそうだった。私のいる職場では誰も通ったことのない道、だからこそ、異性はおろか同性からも理解は得られなかった。仕事に費やす時間はおのずと減り、苦労して得たものは音を立てて崩れた。出世したいだなんて思ったことはなかった。ただ、一人前の社員として、ごく普通に認められたいだけだった。
そして今。
生まれた我が子は軽度の発達障害だ。正式な診断はされなかったが、グレーと言うのは、かの本田秀夫先生の言葉を引用すれば「白じゃなくって薄い黒」なので、問題はそれなりにあった。
小学校に元気に入学したピカピカの一年生の我が子は、月日を経るごとに暗い表情を見せるようになった。家でも笑顔は少なめで、些細なことにこだわったり、意固地になったり、ひどい癇癪を起し家族を困らせた。毎日学校に行き渋るようになった。
またも選択を迫られた。
子どもに寄り添い共に過ごすか、子どもをなだめすかして通学させるように強いながら仕事を続けるか。
私は仕事を辞めた。「出産後は子ども最優先」と自分の中で決めていたのであまり後悔はなかった。
そして子どもの個性や発達障害に理解のある市外の小学校に転校した。
遠方にあるその学校には親の送迎が必須だが、不登校児になりつつある我が子と伴に過ごすと決めたときから、私は自由だった。
仕事のための出勤退社時間や仕事のことを考える時間は全て子どものことを考える時間に当てられるのだ。発達障害の知識を入れたり、コミュニケーションの取り方を覚えたりするのは有益で大変喜ばしい。
大げさでなく、「発達障害の子どもについて学ぶこと」が目下の楽しみであり、趣味といってもいいくらいなのだ。物事を良い方に進めるための方策は、仕事であれ、育児であれ同じなんだと思う。
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