見出し画像

梅見のこと

 元号令和は、万葉集巻五の「梅花の歌三十二首」の歌ではなく序文に天文二年(730)正月大友旅人宅に集まって宴会を繰り広げたこと、ときに初春の令月で気はよく風は穏やかとある。
 この文中の令と和を組み合わせている。令和の元号は漢籍ではなく日本最古の歌集から二文字をもって選んだ歴史上はじめての活気的な元号であることから記事を掲載しています。

奈良時代の花見は櫻ではなく梅だった。
万葉集には、櫻の花のわずか36首、梅の花は96首と多く掲載されている。梅の花を詠んだ歌は
青柳 (あおやぎ)梅との花を折りかざし飲みての後は散りめともよし 821   
青柳かずらに折りし梅の花 誰が浮かべし酒盃の上に 840


  梅の歌は、梅の花を愛でながら酒を酌み交わす場が多い。梅は櫻の花の華やかさと異なり、梅はもの静かな花として愛された。花のほのかな香りを楽しみながら愛でられ、春の訪れも告げてくれる。


万葉集では大友旅人は、
我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れくるかも
と歌を残している。 厳しい寒さがおさまりつつあり梅の花が春の訪れを告げる花として奈良時代に愛でられていた。

万葉集の櫻の歌は満開の櫻を見ながら恋人への思いを馳せる歌が多い。
庭の櫻を見て楽しむ、櫻の樹の下で宴する歌が多い

山峡のやまがひ に咲ける櫻をただひと目君に見せては何かを思はむ 3697
あしひきの 山櫻ひと目だに君とし見ては吾戀ひめやも 3076

衰退しはじめた唐文化影響が弱まり、源氏物語や枕草紙、古今和歌集などの文芸作品が登場する王朝時代となり梅の花見から櫻の花見へと時代が変化し現代に継続している。



 掲載した梅の花の画像は、すべて京都御所で撮影しいています。この梅林での撮影では何度もでかけています。
最近は、コロナ禍でもあり雑踏も激しく梅見のような優雅な場ではなく 仕方なくとおざかっています。
京都北野天満宮 城南宮 嵯峨野 梅宮大社 二条城 京都植物園と観心寺そして石山寺などでかけていました。
 昨年来執筆に追われ、そこへ文学関係の研究会の30年史についての依頼もあり過ごしていましたが、一段落つき投稿を再開しています。


遅くなりました 
皆様方へ  本年もよろしくお願い申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?