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しめかざり探訪記[8]――広島県庄原市東城町 〜「おっかけ」に会いたい〜

 今回は2008年に訪れた広島県庄原市東城町での「しめかざり探訪」を振り返る。東城町は広島県の内陸部で、町の7割が標高500m以上という山間部。寒さに弱い私が、勇んで向かった理由は……。

■ 出会い

 当時、私には気になるアイドルがいた。その名は「おっかけ」。韓流スターではない。広島県東城町に伝わるというしめかざりだ。
 出会いは昭和44年発行の『東城の文化』という冊子。その中に、「東城地方のしめ繩」として23点の絵が掲載されていた。よく観察された丁寧な筆致で、私にはどれもが心浮き立つ絵だったが、中でも「おっかけ」と名称の書かれたしめかざりに目を奪われた(下図参照)。

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(写真1)
↑『東城の文化』(東城町文化財協会発行)より。上部の絵に「おっかけ」とある。

 初めて見るそのかたちは、海や川の「波」を思わせた。もしくはリズミカルに踊るラインダンス。どちらにせよ、「おっかけ」には今にも動き出しそうな魅力がある。
 実際の大きさは? その構造は? どんな藁を使ってる? 
 私も「おっかけ」を直に見てみたい。行ってみようか?
 

 しかし不安材料もある。昭和44年に描かれた「おっかけ」が、今でも存在するのだろうか。
 そこで現地の機関に色々と問い合わせてみた。結果的に「おっかけ」の詳細はわからなかったが、市役所から東城町の資料やパンフレットが届いたのは有難かった。
 届いた資料の中に、A3用紙を二つ折りにした「東城まちなみ散策」という解説付きの地図があった。カラーコピーで作られたような手作り感があり、この地に住む人々の視点や、大切にしているものが伝わってくる。東城町のシンボルは標高480mの五品嶽(ごほんがたけ)のようだ。山頂には五品嶽城跡がある。
 好ましく地図の表裏を眺めていると、突然心臓がドクン!と音を立てた。
 こ、これ、「おっかけ」じゃないの!!??
 地図に掲載されていた3cm×5cmほどの小さな写真を食い入るように見る。それは五品嶽の麓にある「世直(よなおり)神社」の写真だった。とはいえ、どうにも小さい。写真内の拝殿の間口は1.5cm、そこに掛かる「おっかけ」風のしめかざりに至っては0.5mmほどの細さ。うーん、微妙なところだ。
 よし、腹を決めた。とりあえず行こう。簡単には会えないのがアイドルだ。私はすぐにチケットを取った。もちろん武道館ではない。新幹線だ。

霧の出発(岡山〜新見〜東城) 

 2008年12月29日、早朝4時。岡山市内のビジネスホテルで、携帯アラームの電子音に起こされる。
 私は東城町アタックを控えて岡山に前日入りをしていた。ほうけた頭で身支度をし、リュックを背負って部屋を出る。眠くて目が開かず、コンタクトレンズを入れるのは諦めた。
 5時28分。まずは岡山駅からJR伯備線で新見駅へ向かう。途中、車窓から見える吹雪にゲンナリしつつ、1時間半をかけて新見駅に到着。
 ここからJR芸備線に乗り換えるのだが、発車まで20分もある。あたりは暗く、風が冷たい。新見は岡山県とはいえ内陸部。この寒さは山陰に近いだろう。駅のベンチでダンゴムシのように丸まっている私を見て、車掌さんが「寒いだろうから」と早めに列車のドアを開けてくれた。「ありがとうございます」の言葉も、一瞬で白い息に変わる。
 7時58分、東城駅着。寒さが苦手な私は、多少グズグズした気分で列車を降りた。ホームに立つと案の定、顔中に冷気が刺さる。雪は降っていないが薄暗く、灰色の霧が今にも落ちてきそうだ。
 朝のホテルでは断念したコンタクトレンズを、ここからはどうしても入れておきたい。今日は雨の予報なので、傘をささない身にはコンタクトレンズが最適。眼鏡は水滴で視界が悪くなる。
 手袋をはずし、かじかむ手にコンタクトレンズを乗せて5分ほど格闘。どうにか装着。ダウンジャケットの上に防水ジャケットを着て、手袋を2枚重ね、ニット帽を目深に被ったら身支度完了だ。
 まずは「おっかけ」らしきものが写っていた世直神社へ行こう。例の地図を手に、駅舎を出た。

■ 世直神社へ 

 町もどんよりとして眠そうだ。静かで人通りもない。途中、気になる建物もあったが、まずは神社を探す。

2_東城駅前

(写真2)↑東城駅前

3_東城川

(写真3)↑東城川

 おそらくここだろう、という場所に辿り着いた。しかし、あるはずの神社は見当たらず、眼前にはコンクリートの壁と竹林だけ。道を間違えたかと戻りかけたが、よく見ると竹林に溶け込むように細道らしきものがあった。
 細道は階段になっていて、鬱蒼とした林の中をジグザグと登っていく。軽く息を切らしたが、わりとすぐに階段が終わり、なにげなく顔を横に向けた。
 「アッ!」
 こんもりとした森に囲まれた、それほど広くはない平地があらわれ、数十メートル先には社殿が見える。間違いなく世直神社だ。誰もいない境内で、私と社殿はまっすぐに参道で繋がっていた。赤い糸のように、と言ったらまた馬鹿にされるのだろう。
 私はその拝殿に掛けられた藁縄に目を固定して、じわじわと参道を進む。ここで駆け寄らなかったのは、これが「おっかけ」ではなかった時のショックを想像したからだ。そして、とうとう藁縄に焦点が合った。
 やはり、絵で見た「おっかけ」に似ている! 全く同じではないが、同種と言っていいだろう。遠路はるばる来てよかった!
 しかし、心は歓喜しているのに、体はでくのぼうのように突っ立っている。一体何から、どこから、どうやって見れば良いのか。昭和44年に描かれた「絵」が、時空を超えて目の前にある。

4_世直神社全景

5_おっかけ

(写真4)(写真5)↑世直神社

「おっかけ」観察

 少し冷静になり、じっくりと「おっかけ」(便宜上そう呼ばせていただく)を観察する。まず、全体の印象は確かに「波」だ。しかしこれまで想像していた水の「波」ではなく、稲穂の「波」のように感じた。こうべを垂れた稲穂が風にそよぐイメージ。もしくは、刈り取った稲穂を「はさ掛け」しているようにも、初穂を供えているようにも見える。
 この「おっかけ」の左右幅は3メートル強くらい。湾曲した縄にはそれぞれ紙垂が付き、素朴だが存在感がある。おそらく青刈りではなく脱穀した後の藁を使っており、ハカマもきれいにすぐってある。
 でこぼことした縄目を見ていると、作り手の力の入れ具合や試行錯誤、体温までも感じられる気がした。
 嬉しかったのは、縄の根元を縛っている「細縄」まで藁で作られていたこと。最近は手間やコスト、技術的な問題もあり、ビニールや化繊でできた既存の紐を用いることも多い。

6_おっかけ拡大

(写真6)↑縄目の中に、次の縄の先端が差し込まれている。根元を縛るための細縄も、藁でできている。

■ しめ縄が安堵するとき

 「おっかけ」から視線を落とすと、賽銭箱の脇に細く長いしめ縄が目立たないようにまとめられていた。おそらく境内のどこかで使っていたものを、新しいしめ縄と取り替えるために外しておいたのだろう。
 屋外に掛けられていたのか、少しカビが出ている。しかしその縄は、何とも言いがたい安堵感に包まれていた。東城の雨や雪に耐えた一年、お疲れさまでした。

7_外したしめ縁

(写真7)

■ 商家に伝わるしめかざり

 地図の解説によると、世直神社は天正19(1591)年に伊勢から勧請された。今では11もの神様を祀っており、五穀豊穣、商売繁盛、交通安全、学問成就など、町の生活に欠かせない万能の社となっている。残念ながら神社に人の気配はなく、話を聞くことはできなかった。
 しかし2021年現在、幸運にも東城町に詳しい宮司の横山和明さんからお話を伺うことができた。それは大変興味深い内容だった。
 そもそも東城町には、「ぼったくり」と呼ばれる独自のしめかざり文化があるそうだ。それは商家の神棚に飾られるもので、形状としては湾曲した三本の縄が横に連なり、橙やホンダワラなど様々な装飾が付いている。
 はじめは「ぼったくり」という名称にドキッとしたが、この土地では「追いかける」という意味の方言だった。「ぼったくり」では少しイメージが悪いので、「おっかけ」と呼ぶこともあったという。しかし、世直神社のものと商家の「ぼったくり」は、同種・同族としてはいけないそうだ。
 習俗とは繊細なもので、本当に奥深い。そのあたりの関係性を知るために、いつか「ぼったくり」も取材してみたい。

赤い糸

 さて、場面を戻して2008年の世直神社。
 なごり惜しいが、そろそろ帰ろう。
 社殿に背を向けて参道を戻り始める。途中、木々の隙間から「何か」が見えたので、なんだろうと覗き込む。
 すると、不意に大空が出現し、眼下には遠い山並みまで続くような東城の町が広がっていた。霧が濃く、水墨画のようだったが、初めて見る町の表情に息を飲んだ。
 なんとなく降りるのが惜しくなって、一日中握りしめていた「おっかけ」の紙を開く。絵の作者は「水地清治」とある。水地さんの肩書きが「鉄工所勤務・東城高校自然科学部OB」とあるのも嬉しい。仕事でもなく、誰かに請われたわけでもなく、ただ、描かざるをえない衝動にかられたのだろう。「衝動」には嘘がないから強い。私は間違いなく、水地さんの衝動に突き動かされてここまで来た。
 すると、「待ってました!」というように重苦しかった空が割れ、一気に日が差し込み、モノトーンだった風景に色がさした。空は青さを取り戻し、家々の屋根は赤く光っている。

8_神社からの眺め

(写真8)↑神社からの眺め

 山河に恵まれたこの町を、世直神社の「おっかけ」はいつも上から見守っていた。あの「赤い糸」は、この町の人々と繋がっている。間違っても私などではない。そんな当たり前のことを、ここに立ってようやく実感した。
 私はハッとして振り返った。思った通り、社殿にも日が当たり、さきほどとは違う明るい表情を見せている。背後の森の紅葉にも、はじめて気づいた。

画像9

(写真9)↑社殿の背後には紅葉が。

 今朝の暗く寒く、グズグズした気持ちは何だったのだろう。
 天の岩戸が開くとは、こういうことか。
 何もかもが照らされて、やっと今日が始まる気がした。

<終>

※本稿の内容は2008年のものであり、現在の状況とは異なる場合があります。

森 須磨子(もり・すまこ)
1970年、香川県生まれ。武蔵野美術大学の卒業制作がきっかけで「しめかざり」への興味を深めてきた。同大学院造形研究科修了、同大学助手を務め、2003年に独立。グラフィックデザインの仕事を続けながら、年末年始は全国各地へしめかざり探訪を続ける。著書に、自ら描いた絵本・たくさんのふしぎ傑作集『しめかざり』(福音館書店・2010)、『しめかざり—新年の願いを結ぶかたち』(工作舎・2017)がある。
2015年には香川県高松市の四国民家博物館にて「寿ぎ百様〜森須磨子しめかざりコレクション」展を開催。「米展」21_21 DESIGN SIGHT(2014)の展示協力、良品計画でのしめ飾りアドバイザー業務(2015)。2017年は武蔵野美術大学 民俗資料室ギャラリーで「しめかざり〜祈りと形」展、かまわぬ浅草店「新年を寿ぐしめかざり」展を開催し、反響を呼ぶ。収集したしめかざりのうち269点を、武蔵野美術大学に寄贈。
2020年11月には東京・三軒茶屋キャロットタワー3F・4F「生活工房」にて「しめかざり展 渦巻く智恵 未来の民具」開催。
https://www.facebook.com/mori.sumako

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