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ほんとうの「あそび」

2019/06/16(日)、立川数理科学愛好会 の「2019年度自主ゼミ第2回」に参加した。主に物理や数学に関して、興味のある事柄を持ち寄って質疑を行うサロン形式の集まりだ。5月下旬に開催された会社の技術交流会で、たまたま主宰されている佐々木さんとお会いしたことから、このご縁へと繋がったのは、私にとっては本当に運が良かった。

物理や数学の分野をその昔に大学でかじっていたり、興味を持ち続けられている方々が集まっている訳であるが、各々のレベルは様々で、しかし自由に話題への参加が許容されていて、本当に「興味の赴くままに」といった雰囲気だった。特に準備をして来なくても構わないし、最近読んだもので感じたことを話し始めても良く、机の上には、各自がどんどん「これ!」と言って本を出して紹介し、あちらこちらの分野が10冊くらい出て来ていた。
そしてその都度、ア○ゾンのサイトを見ながら即ポチったり。笑

私自身を簡単に振り返ると、1986年に回帰した「ハレー彗星」のブームが起きたのが小学校6年生の時分で、学校で斡旋された6cmの屈折天体望遠鏡を買ってもらったのが事の発端であった。その頃からずっと「将来は天文学者になりたいな」と思って過ごしていた筈であったが、そこへの没頭や突き詰めが無かったのが凡庸なところであった。高校に入って地学部天文班に所属し、太陽黒点の観測が日課のようになって行ったが、1987年に出版されたリチャード・モリス著「時間の矢」が、私をその分野へ惹き付けてやまない決定的な影響を与えた一冊であったと記憶している。今は無き鳥取駅前の富士書店の2階のコーナに整然と並んだ知人選書の棚の前で、高校生の私が夢中で立ち読みにふけっていた姿が鮮明に思い出される。(「銀河の誕生」も同様。)

「時間」・・・

この「時間」という概念がずっと気になっていて、実のところは、社会人として時間に追われる生活を送るようになってから、その様な別の側面からも、その興味が募ることになったと思われるのだが、連綿とした理解への欲求は、「結局、時間とは、何なのだろう」ということを自分なりにまとめ上げてみたい、という方向に向かっているのであった。

・・・などと、途方も無いような事を言っている訳であるが、そもそも、大学・大学院の6年間を学問的には全く無為に過ごしてしまった「人生の汚点」はどうにも取り返すことは出来ないのであって、私は、高校レベルの微積分、そして物理は大学の先輩に当たる広江さんのお力にもすがり、力学から、ゼロからの再スタートを誓って取り組み始めてみている次第である。

立川数理科学愛好会 の自主ゼミは、そんな私を同志として温かく迎えて下さった訳で、こんな有り難いことはない、と感じ行った次第なのであった。私のような学問的に凡庸な人間は、到底、独りでは上手くやり切れそうにもないのであるから、お仲間の皆さんと楽しくやれるに越したことはないのだ。

それでも、現時点の私でも僅かに語れるものが残っているとすれば、という事で、今日は、太陽と地球の間の物理である「惑星間空間物理」の定性的な超概説と、太陽の活動周期のお話をさせて頂いた。
二十数年前に大学院を卒業してから、これ系の話を他の方へさせて頂くのは、多分初めての機会ではなかったかと思う。それ相応に、いざ話してみると覚えていることが本当に少なくて、中身はスカスカで、でも、それでも、何だが嬉しかった。

死ぬまでに、「時間」のまとめをしたいし、大学で理解できずにそのままとなってしまっている「量子力学」を分かったことにしたいし、そして今日話してみて、やはり「太陽」についても、現在研究が進んでいる事を追いかけてみたい、という気持ちになった。
最近、太陽関係でも新しい書籍が出ているのは書店でも確認していたので、それはポチらずに、自主ゼミの帰りに書店に寄って即買いした。

という事で、何が言いたかったのかというと、昨年度までの数年間、「実学」の学びに邁進していた訳であるが、それをとことんやってみての感慨として、「教養」とのバランスを切に感じている次第なのだ。
実学を机上でいくら積み上げたとしても、仮説・検証のレベルで実務の中で扱えるのか(その技量が身に付いたのか)と言えばそれは程遠く、(でも、それをやっていなかったとしたらもっともっと遠くてスタートラインにも立たせてもらえないけど、)それは実務の中で学びと「一緒こた」にこなして行ってナンボなのだろう。
そして、その教養とは、心に「あそび」を作ることでもあり、それが必要であることは至極自明なのだが、それを許容できない/しない自分が居て、荒んで行くことを致し方無しとしている自分が居た。
本当の豊かさとは、他の人に対してもより豊かな価値を提供しようとすることにおいても、その自分自身の在り様として、もっともっと様々な深みからの相互作用が、興味深くて面白味があって、共感の源泉になるような気がするな・・・。

そんな、「あそび」を取り戻そうとしていることに他ならないのだと思う。

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