帰京/トランプ暗殺未遂事件と民主政治における実力行使/都知事選後の維新の動き

7月15日(月)曇り

昨日は朝7時から地域の草刈りがあり、出かける。雨が降るかと思ったが始まるときは大丈夫だった。懸案になっていたことがそこで話が出来て、問題が解決しそうなことが分かったのでよかった。草刈は全部が終了する前になって雨が降ってきて、完全に終わる前に解散になり、あとは役員や一部の人が片づけてくれたようだけど、申し訳ないが有り難い。

朝食を取り、いろいろ準備して、出かけたのは11時ごろになった。今回は車で帰京。やや寝不足だったのでどうかなと思ったが、特に問題はなかった。八ヶ岳PAでトイレ休憩、境川PAでモツ煮弁当を買って昼食。石川PAでもう一度トイレにより、あとはそのまま帰った。韮崎あたりの工事による車線規制で渋滞したが、そのほかは目立った混雑もなく、3時前には帰着。

ただ、いつも駐車している駐車場が満車で、少し遠く少し高い駐車場に停めることになった。普段は日曜日は空いているのだが、昨日は連休だったから訪問客が多かったのかもしれない。(結局今朝夜間・昼間切り替え時間の8時前に車を出し、8時過ぎに普段使っている駐車場に入れ直した。)

自宅でいろいろやって、夕方出かけて丸の内丸善へ。本をいろいろ見たりしたが、結局買わなかった。まあ書店を見て回るのも気分転換だから、それはそれでいいのだが。地元に帰ってきてスーパーで夜と朝の買い物をし、帰宅。

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昨日の最大のニュースは、やはりトランプ暗殺未遂事件だろう。

狙撃者は数百メートル離れた建物の屋上から狙ったのだが、すでに警官が近づき、また狙撃者を警戒する狙撃担当者も遠距離から照準を合わせていたらしい。警官が近づく間対狙撃者は待っていたようだが、トランプ狙撃者は警官に一発放った後、トランプに撃ちこんだということだ。当然ながら対狙撃者も発砲し、犯人は即死。トランプに放たれた銃弾は数発あったが、トランプの右耳のプロンプター用イヤホンを破壊し、それによって顔面から出血したが、耳自体が撃たれたわけではないようだ。もちろん数センチずれていたら頭蓋を貫通して即死だっただろうから、トランプも強運の持ち主である。

銃撃を避けて演壇の後ろにうずくまった後、シークレットサービスに囲まれてその場を立ち去ろうとする中、周囲を制して高々と右手を挙げ、健在ぶりを示した。観衆は混乱しただろうが、さらに熱狂しただろうと思う。

トランプを銃撃したのは地元の20歳の若者で、白人のトーマス・クルックス容疑者。高校では虐められていたという話もあり、いわゆるナードっぽい雰囲気で、またアメリカでオタク叩きのようなものが起こらないといいがという感じではある。

*追記*

トランプ氏の傷の状況だが、昨日の報道やツイートに基づいて「壊れたプロンプターによる負傷」との見解を書いたが、実際には耳を貫通し、頭の傾き方次第では脳を貫通した可能性もあった、ということのようである。不法移民のグラフを見るために頭を動かしたから当たらなかったのだと。「国境警備隊に救われた」と行ってるそうで、こういうところでもちゃんと物議を醸すのがトランプ氏らしい。



今回の報を受けて、2年前の安倍元首相暗殺事件を思い出した人は多いだろう。アメリカがこうした危機に一気に団結する緊張感があったのに対し、日本は野党がおざなりな犯人批判をした後は、山上容疑者が元自衛官であることや統一教会の宗教二世であることなどが警察からリークされ、一気に統一教会批判に展開してしまった。

統一教会に問題があることは確かだが、暗殺という行為における民主主義への挑戦という側面はきわめて薄められ、「統一教会と付き合いがあった政治家なのだから殺されるのも仕方がない」といった批判が出回ったことは心底情けなかった。

今回のアメリカの対応を見ていると、彼我の差に愕然とするとともに、「日本の民主主義は12歳」みたいなことを言ったマッカーサーの発言を思い出してしまう。衆議院東京15区補選や都知事選を巡る混乱はそれはそれで是正の必要はあるのだけど、もっと根本的なところで日本のマスコミや野党にはそしてひいては国民には憲法や民主主義を守ろうとする「不断の努力」が足りないのではないかと改めて思った。

世界にはさまざまな政治制度があるが、立憲君主制や民主制が生き残っているのは、政権の交代が平和裏に行えるように仕組みが整えられているからだろう。独裁制や専制では政権交代は実力行使、つまりは暴力革命によってしか成し遂げられない。もちろん民主主義の国でも実力行使が行われることはあるが、実力行使によらなくても政権交代を行える仕組みは整っているし、そうした行為は基本的には違法である。

今回のトランプ狙撃は明らかに違法な実力行使であり、それが未然に防がれたことはよかった。トランプが狙撃にひるまず、英雄的なふるまいをしたことによって圧倒的に支持が高まったことは副産物だが、これは特にアメリカのように「力に対する信仰」が強い国においては大衆に強くアピールすることだろうと思う。

しかしトランプは一方では2020年大統領選挙の「結果」に疑義を提起し、支持者たちが連邦議会を占拠するという「違法な実力行使」を煽った、ということもまた事実だろう。そしてトランプはそれによって多くの刑事訴追を受けている。

トランプは、このように敢えて実力行使を肯定するようなキャラクターであるからこそ、自らに対する暴力に屈するわけにはいかなかったわけで、あの力強く拳を振り上げた写真は、彼のマッチョ性を遺憾なく表現していた。だから彼は単純に民主主義の旗手に躍り出たというような問題ではなく、「悪に強い人間は善にも強い」というような意味で、アメリカの光と影の双方を象徴するような、第7代大統領アンドルー・ジャクソンのような政治家になりつつあるように思う。

これで大統領選の大勢は決した、というような見方がかなり強くなっているが、実際に大統領選挙の投票が行われるのはまだ先であり、バイデン大統領は確かに劣勢には立ったが、この件によってバイデンおろしはおさまったようだし、今回のことは不測の事態が常に起こり得るということを再認識させたわけだから、まだまだ予断を許さないと思っていた方がよいようには思う。


この都知事選の結果を受けて維新の政治家が再びアカデミズムを批判するキャンペーンを始めたようだが、先日も書いたがこれは既得権益者、とくにエリートを叩くポピュリズム的な動きだろうと思う。都知事選後の石丸氏の検討を見てのこの動きは、維新がまた何かを仕掛けてくる前哨なのかもしれないのだけど、橋下氏は国政の日本維新の会の動きを叩いており、雰囲気としては毛沢東が批林批孔運動や文化大革命を始めたようなものを感じる。

国政の維新は橋下氏の既得権益削減や公務員しばき路線は継承しているが、半面自民党に協力する保守の既成政党化している面があるというのが橋下氏の批判だろう。私などは常識的になってきてよかったと思うのだけど、解放同盟などの古い公金による「援助」体制がトランスジェンダーなどの新しい「援助」体制に衣替えしながらも人的系列は同じ、などの批判もあるようで、「コンクリートから人へ」のもたらした弊害はいまだに大きいと思うが、彼らの新たな批判とはまた別に、社会・国土全体の立て直しプランが必要なことはまた確かなことだろうとは思う。

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