木魚のバチ/「フランスの笛」、「さよなら、パリ!」/「進学校の生徒」と「山月記」/歴史を書くこと

8月13日(火)曇り

毎日暑いが、今日は日本周辺に台風がいくつもきている影響か天気が下り坂になっている。

私の地方では、お盆の初日つまり13日にお寺からお坊さんが来てお経をあげてくれるのだが、今朝は思ったより早く来てくれたので後ろに座ってお題目を唱えたりした。

仏壇には茄子の馬と胡瓜の牛を供えたり、妹が昨日来ていたのでその辺はやっておいてくれたのだが、朝になって座を整えようとして木魚を仏壇の引き出しから出したりしていたら、木魚を叩くバチが見つからず、ちょっと焦った。引き出しの奥を隈なく探したら出てきたので良かったのだが、普段使わないものは本当に必要な時にないと困るので、こういうことの準備は早めにしておかないとなと改めて思った。

そういえば木魚を叩くものをバチと言うけれども、太鼓もバチで木琴もバチなのだなと。ドラムスを叩くのは普通はスティックというが、あれも日本語にしたらバチなんだろう。知恵袋で調べてみると(ちゃんと辞書で引いた方がいいが)語源は琵琶・三味線などの撥であるらしく、「ハツ」の慣用音が「バチ」になったということのようだ。転じてなんでも叩くものはバチになった、ということなのかなと思う。日本語は面白い。


さまざまな物議を醸したパリ・オリンピックが終わった。

柔道やレスリングなどの人間が判定する競技でフランスに有利な判定が下された、という現象が(少なくとも日本人がそのように解釈した)たくさん起こったらしく、これはサッカーでいう「中東の笛(中東諸国で中東諸国のチームと対戦すると中東諸国に有利な判定が下される)」と同じことなので、いわば「フランスの笛」ともいうべき現象なのだろうなと思う。オリンピックというものはもともと世界中が参加することに意味があるから、審判技量が足りない審判も途上国からはよく出てくることがある。ただ途上国の審判でなくヨーロッパの審判だとフランスに有利に判定することはよくあった(ように見えた)から、概ね「フランス贔屓」の審判はあったのだろうと思う。逆にフェンシングなど機械で判定する種目はフランスのお家芸であるのに日本はたくさんメダルを取ったので、逆に柔道などでもAIで判定するようにした方がより公平なのかもしれない。もちろん日本側が一番反対するだろうとは思うけれども。

また、スポーツクライミングで世界選手権で優勝したこともある森秋彩選手は身長が154cmなのだが、決勝のボルダリングという種目においていかに頑張っても手の届かないところに最初のホルダーが設定されていて、この回が0点に終わったわけである。結果的に競技全体ではリードという種目で圧倒的な強さを見せたものの四位に終わった。この設定にはイギリスのデイリーメールも非常に批判的な記事を掲載していた。

本人は差別的な設定という声に対しては「技術とパワーが足りなかっただけ」と否定的なコメントを出していたようだが、これは今後の選手たちのためにも声を上げたほうがいい話なのではないかとも思った。日本人に不利になるようにルールが設定されるというのもよく聞く話なので、そうしたことを含めて問題にして行った方がいいかもしれない。

しかし、それとは別に彼女はスター選手になる素質があるなと思った。今まで特に関心はなかったのだが、今後は注目していきたい。

それにしても今回は金メダルが20個、金が一番多かったというのは日本では今までなかなかなかったのではないかと思う。特にスケートボードやブレイキンなどのストリート系の競技が日本が強いのは面白いなと思うのだけど、こういうのはなまじ伝統がないだけに日本人なども最初からハンデなく戦えるということは大きいのだろうなと思う。また馬術や先に書いたフェンシングなど、ヨーロッパの伝統的なスポーツでもメダルを取れるようになってきたというのも、東京五輪に向けた強化も成果を上げたということもあるかと思うが、日本全体のスポーツの裾野が広がったということだろうなとも思う。

最後に来て「AU REVOIR PARIS(さよなら、パリ)」のポスターに中国人(金メダル数2位)も日本人(金メダル数3位)も誰も載っていないというのが最後まで東アジア人に対する差別的なケチをつけたパリ・オリンピック。開会式の物議やドブのようなセーヌ川を泳がせたり、ある意味史上最低のオリンピックだったことも確かだろう。ただ、フランスがフランスの中で抱えるさまざまな問題から目を逸らさせ、フランス人を喜ばせることに汲々とした大会だったというようにもみることもでき、むしろここからフランスの、あるいは世界の抱える問題が見えてくる、というふうにも考えられる。

イギリスでインド系のスナクが首相になれたように、イギリスではそれなりに移民の社会参加が進んでいるが、フランスではイスラム系の移民で名前が出てくる政治家はほとんど見られない。それはつまり、森秋彩選手ではないが、そうしたコースに「最初から手が届かない」ようにフランス社会ができているから、ということもある。フランス出身のテロリストがたくさん出てきているように、彼らに社会的にふさわしい地位を与えていくべきなのだが、世俗主義のフランスでイスラム教徒が出世することは難しいのが現状だろうとは思う。

これは日本にも言えることなのだけど、(事実上の)移民の子弟が義務教育を終えた後の進学率が異常に低いのだけれども、これはちゃんと問題として取り上げるべきことだと思う。これは高校入試で下駄を履かせるとかなんとかいうことではなくて、小学校・中学校できちんとフォローしていくべきだということである。特に漢字の学習や歴史の人名を覚えることなど、移民の親には不可能なので中学なり補習塾なりの体制を整える必要はあるだろうと思う。

これは彼らのためだけではなく、日本社会のためでもある。中国残留孤児の家族が日本に帰還して、その子供たちが中学を出るくらいの年代から、彼らを中心にブラックドラゴンのような暴走族グループができたりして、日本の治安にも大きな影響を与えてきた。それ以前でも、在日朝鮮・韓国人の中から右翼団体や暴力団に入る例が多いことが問題視されたりしている。私は移民を増やすことには反対だけれども、今すでにいる人たちについては最大限日本の社会に包摂するべきだと思うので、こうした問題にはしっかりと取り組んでいくべきだと思う。

私たちはいろいろな意味で、「さよなら、パリ!」をしなければいけないのかもしれない。


Twitterのタイムラインを見ていたら、「進学校の生徒は宿題を忘れたと言えるけれども、そうでない学校の生徒は少しでも白紙を無くそうとしてやったふりをしてやってきてないことを認めない」というツイートに対し、「進学校の生徒は頭がいいからどのくらい埋めてあればやったと認められるかギリギリの線を狙う。ソースは俺」みたいに答えているツイートがあり、進学校の生徒は自らを「自分は進学校の生徒だが」と答えたりあまりしないんじゃないかという気もした。

これは早稲田の学生だと「私は早稲田なんですが」と平気で言うし周りも「へーすごーい」で済むのだが、「私は東大なんですが」と言うとなんとなく雰囲気が凍る、と言うこととも関係があると思う。現代では自分のことは自分でアピールしていかないと、と言う雰囲気が社会にできてきているから自分から「東大ですが」と言う人たちも増えている感じはあるのだけど、「東大という学校名は言いにくい」という感じはまだあるのではないかとは思う。逆に「面倒だから自分は明治ですという」という人にも会ったことがあるが、それも違うだろうとは思う。

まあそんなこんなで東大生の自意識というのは面倒くさいのだが、だからこそ「尊大な羞恥心」とか「臆病な自尊心」とかが心に響いたんだろうなという気はする。大学院に行っていた頃はちょうど「新世紀エヴァンゲリオン」が流行っていたのだが、異常に思い入れをする院生がたくさんいて、ちょっとなんだこれはと思ったことがあった。

「山月記」がネットミームとしてTwitterで流行するのも、結構高校の現代文でやったこの作品が心に響いている人が多いからだろうし、Twitterをやっている人たちのクラスがどの程度のものなのかというのも想像されるところはある。『AI vs.教科書が読めない子どもたち』の作者の先生が「山月記」を教科書から外せと異常に強く主張していたのも、こういうことにも関係あるのかもしれない。


いろいろ考えてきたのだけど、私は私が思っている「歴史」を書けばいいのではないか、という気がしてきた。歴史学者が書いた歴史ももちろん面白いのだが、やはり我々が歴史に求めているものはそれだけではないし、また歴史小説の面白さもまた違う。いわゆる歴史からの教訓や、「歴史に学ぶ」というものがもっと公正な形で示されていく、あるいは日本人が本当に、世代を超えて共有すべきものとしての歴史というものについて、もっと考えていくべきではないかと思うわけである。

また、弥助騒動に見られるように、日本の歴史は日本人のものであることは確かだが、他の国の人たちが日本の歴史に思い入れを持つようになり始めているのも認識しておかなければならないし、また国際紛争を含めた世界の歴史というものも、西洋の公式史観だけでなく我々自身の見方としての世界史を構築する必要もあるだろうと思う。

正直言って、まだ世界は一つの世界史を共有できるほど一体化していないと思う。日本の教科書問題や歴史騒動だけでなく、歴史観が発端で起こったウクライナ戦争やガザ戦争での互いの「譲れなさ」を見ても、一つの歴史が他の歴史を否定するというような形での世界史の一本化はまだ難しいしやるべきでもないようには思う。

こうした研究はアカデミックな歴史家にはなかなか難しいし、また世界史を構築しようとしている人たちはどちらかというと教育学系の人が多いように感じるし、「教育学的な偏り」というものも日本には強くあるので、そういう人たちだけに任せておいてはいけないように思う。

まずは少しずつ、そういうものを書いていけたらと思っている。


ということを考えたのは、今日が誕生日だから、ということもある。62歳。もうどれだけ時間が残っているかよくわからないけれども、少しでも自分が思うような「歴史」を書いて行けたらいいなと思っている。

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