大雪で新宿駅で7時間待って出直し/「セクシー田中さん」の事件と「少女マンガの闇」

2月6日(火)曇り時々雪

昨日は雪による交通途絶に備えて午前中はどこにも出かけず、昼ご飯を買いにセブンへ行ったら雨の中に白いものが混じってきた。たぶん大丈夫だと思っていたら諏訪市に大雪警報が出て、こういうのが出ると計画運休になっちゃうよなあと思いながら、午後八時の特急に乗る予定を六時に変えて、それでも早めに出ておこうと3時ごろ出かけた。丸の内の丸善のカフェで抹茶チーズケーキを食べていた時、iPhoneを見たら六時の特急が運休になったという情報が入ったので席を立って駅に向かった。

以前、同じ切符(えきネット割引なので原則変更不可)で前の列車の空いている席に座っていいといわれたことがあったので東京駅の改札で聞くと払い戻して新しいのを買えと言う。時間がないので150円の切符を買って新宿に向かい、ホームの特急券売機を見たらまだ席が空いていたのでそれを取った。ついたのは4時半ごろだったが、5時発の特急が入線したのは5時20分ごろだった。

席についたはいいが、いきなり運転見合わせだという。竹が倒れた(倒木ではなく倒竹)が何カ所かで発生しているということで、全然動かない。スマホを見たり「イスラームから見た西洋哲学」を読んだりしていたが、動かない。最初は満員でデッキで立っている人も多かったがだんだんいなくなってくる。7時を過ぎて新宿駅の南口で買った弁当を食べ、そろそろ動かないかなあと思ってとにかく待ち続ける。一度ホームに降りて他の号車を見てみると、結構人が少なくなっていたのだが、私の席の周りは大体満員で、飽きた子どもたちが走り回っている。

動けば夜中についても別にかまわないと思っていたが、10時過ぎだろうか、「猿橋駅で架線が切れた」というアナウンスが入った。周りを見ても新宿駅でも雪が積もっているし、山梨県内は相当だろうと思っていたら、FBの投稿を読んだ友人が「今日は無理なんじゃないか」と諏訪市内のライブカメラの映像を送ってきた。

映像自体は見られなかったがかなりの降りのようで、これはヤバいという気がしてきた。動けば夜中についてもいいと思っていたのだけど、朝まで動かない可能性も出てきたので、11時を過ぎた時点で終電のあるうちに帰ろうと思い、駅員に一応確認して、帰ることにした。

中央線の中はガラガラだったが東京駅に入る前に一度停車し、しばらく動かない。終電逃したら困るなと思ったが、とりあえず駅についたら小走りで改札まで行って事情を話し、東西線まで小走りで行ったら目の前で電車が出てしまったのだが、すぐ後に西船橋行き最終が来たのでそれに乗って地元まで帰った。

外に出ると路面は溶けかけの雪でぐちゃぐちゃで、濡れそうなところを避けながら歩いていたが、大きな通りを渡るときに水たまりを踏んでしまい、左足がずぶ濡れになった。まあこういうときはこういうものだなと思うが、なんとか家に帰りつき、いろいろ考えていたがとにかく靴だけよく拭いて紙を詰め、乾かしてから寝ようと思って寝たら1時半になっていた。

朝の状況が分からないから6時過ぎに起きてネットを見たら特急が動くのは昼頃の見込みということだったので各所に連絡して今日の仕事をいくつかキャンセルする。

しかしまあ、昨日のお昼ごろに出ていたら多分帰れたので、こういう時は常識的に早めに動くべきだなと思った。常識をバカにしてはいけない。

おかげでまあ、ブログを書く暇はできたわけなのだが。


というわけで、自分の頭の蠅を追うのに精いっぱいでなかなかいろいろ書く余裕はないのだが、というかちょっと頭がちゃんと回ってない感じだが、今朝読んだポストでこういうのがあった。「セクシー田中さん」と芦原日妃子さんの事件をきっかけに噴出し始めたマンガ家の方々の発言である。

読者からの手紙やプレゼントを捨てる、というのはちょっと理解できないほどひどいと思った。

やはり売れっ子からの話でないと聞いてもらえないと。

こういう持ち出しも当然のことと受け取られるのも業腹だろうし、吾峠呼世晴さんなど一切顔を出さないマンガ家が増えてきたのも、そういうこととも関係あるのかもしれない。

かなり労力を必要とする原作監修が無償労働だというのもちょっと信じられない。

原稿料のヒエラルキー。青年マンガ・女性マンガは分からないが、少年マンガ、少女マンガ、児童漫画、学年誌という順番なのだと。学年誌は低いだろうなとは思っていたが、案の定だった。

少女マンガは原稿を作者本人が届ける慣習があったということだろうか。メール便代が自腹だとかわけのわからん慣習はその辺からきているのか。

こういうのを読んでいると、少女マンガ(だけではないが)というのは闇深い世界なのだなと思う。芦原さんが追い込まれたのも、こういう構造はあるのではないかという気はした。

尊重されていなければ闘って権利を勝ち取ることは不可能ではないけれども、そんなことは創作者の誰でもできるわけではない。

こうやって虐げられているのを甘んじて受け入れていたら、余計侮られるということはあるだろう。

編集部に「マンガ家に負けるな」という回状が回ったこともあるというが、意味が分からない。

この対談にもあるが、問題の核は

 出版社の編集者」は、本来は自社の利益を第一に考えなければならない「社員」なのに、日本では同時に作家のエージェント的役割も担っている。作家側の立場で上司に意見をしたり、映像化でも外部との窓口をしたりと、ある意味利益相反するような、いびつな形になっている。

佐渡島氏によると、社員の立場で会社を説得するのは難しく、作家に泣いてもらうようなケースも多かったという。とり氏も、映像化の話が来て出版社が舞い上がってしまい、作家よりテレビ局を向いてるように感じられ「作家のために動いているのではないのか?」と、裏切られたような気分になったことがあるという。

という部分にあるのだろう。

マンガ家と出版社、テレビ局などの間の権利関係を話し合うのは、出版社の社員である編集者が担うのはやはり難しいところが多いと思う。エージェントの数がもっと増えるか、あるいは個人でライツ担当のアシスタントを雇うとか、そういうことが必要になっていくのではないかという気がする。

この問題がマンガ家の方々の権利を尊重し、より良い作品を生み出していくための足掛かりになればよいのだ画とは思っている。芦原さんの死はそれだけ大きな問題を提起している。

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