アメリカ建国神話とシオニズムの神話/アートをめぐる問題/国民負担とか減税とか
10月13日(金)曇り
昨日は1日休み休みいろいろやっていて、夜は11時半に寝たが今朝は5時半に起きたので久しぶりに6時間ちゃんと寝られたという感じ。各所の痛みや不具合もそれなりに軽減していて、このまま治ってくれるといいなと思うのだが、季節の変わり目というのはいろいろと身体にこたえるのは仕方ないなと思いながら過ごしている。
今考える、学ぶべきテーマについて考えていたのだが、三つほど。
一つ目は、シオニズムをめぐる問題。シオニズムとは近代ヨーロッパのユダヤ人たちに「自分たちの国家を持つことの重要性」を痛感させた19世紀末のドレフュス事件以降始まったパレスチナにおける国家建設運動のことで、約束の地=シオンへの帰還がその合言葉みたいになっていた。現代のイスラエル国家はその運動の一つの帰結として建設された国家なわけで、ただ考えてみると当然ながらこれは国家の建設の仕方として非常に特異な例であることは間違いない。
ただ、その源流にはイングランド王の迫害を逃れて新世界に新たな地を求めて船出したメイフラワー号の人々から建設された現代の「アメリカ合衆国」の像があるわけで、そうした宗教的物語性が運動のある種の強さを持っていると考えられるだろう。
ただその建設のためにはその時に元から住んでいた人への同意が問題になるわけで、普通はそんなことを受け入れることは考えにくい。だからパレスチナへのユダヤ人の入植も、もともとは荒地への入植から始まっているわけで、パレスチナ人側からしたらイスラエル国家の建設によって町から追い出されたわけだから「庇を貸して母屋を取られた」感じになっているのは間違い無いだろう。
埼玉のクルド人の中には「クルド人が日本を乗っ取る」ような発言をしたりしている人たちもいる、ただこれは極右トルコ人の扇動だという話もあってはっきりはわからないが、これはアラブイスラム側にとっての「自分たちの中枢の地が奪われてユダヤ人国家の建設を許した」ことに対するトラウマの現れと考えられなくも無いように思う。
パレスチナ問題の解説を説き起こすのが難しいのはどの時期からそれを語るべきか、ということがあるわけだけど、中世・近世の西欧におけるユダヤ人迫害とかが間接的な要因であることは確かだし、「ユダヤ人とは何か」を言い出したら古代に遡らなければならないことも確かだが、直接的にはシオニズム運動によってアラブの地・パレスチナにユダヤ人国家が建設された、ということが問題の発端なので、まずはシオニズムから考察するのが一番解像度が高いのでは無いかと思う。
逆に言えば、このシオニズム運動の評価がユダヤ側とイスラム側で正反対になるのは当然で、欧米諸国や非欧米諸国においても評価が難しい。現代はすでにイスラエル国家という強力な存在があり、それが世界最強国家であるアメリカの強い後ろ盾を持ち、ロシアなどとも深い関わりを持っているから、シオニズムの評価そのものが現代では最も政治的な案件にならざるを得ないからだ。ステイタス・クォとしてのイスラエル国家とシオニズム運動は分けて考えるべきという考えもあり得るが、イスラム諸国からの批判はシオニズムそのものに向けられているのでそれを分けて考えるというのも一つの政治的立場の表明になる。そう簡単に出口が示せる問題ではないが、学んでおくことに意味はあるだろう。
二つ目は、アートをめぐる問題。日本においては人文・アート系の旗色が悪く、特に維新系の論客によって「優遇されてきた」彼らへの支出などを減らせという主張がある一方、日本の重要な外貨稼ぎの一端としてマンガアニメをはじめとする日本のオタク文化を重視すべきという論点もある。またフェミニズムやポリコレ規制主義の猖獗により表現の自由への攻撃がかつてなく高まっているという状況もある。一方で、明治以来のナショナリズムの源泉としての文化の重要性がなくなったわけではなく、また海外での日本の評価に対しても文化の重要性は変わりなくあるだろう。あるいは、海外のセレブらの交流の上でのアート教養の重要性に関しても語られてきていて、アートをめぐる問題というのは幅の広いものがある。
アートそのものの展示価値と礼拝的価値といった本質の考察もある意味重要なのだが、アートがなぜ社会や政治においてこのような存在感を示すのかという考察もまた大事では無いかと思うし、おそらく自分にとってそちらの方が考えやすいように思うので、そういう視点からアートについて考えていこうという一つの方針を考えた、というところ。
三つ目は、国民負担や減税の問題。これは私は一貫して消費税廃止・所得税等の累進課税重視の立場なのだけど、所得の再分配の機能がきちんと働くことが重要だと思っている。これは最近は旗色の悪い考え方であるが、社会の安定性ということにおいてはそれが機能することが重要だということは日本では実績があると思う。これに関しては自分は感覚的なことしか言えないレベルではあるが、大変久しぶりに「減税」という言葉が政治の場で語られるようになったこと自体は希少な機会だと思うし、考えていければと思う。