「2.5次元の誘惑」人気投票結果とオタクの熱さ・恋愛論・創作論/湾岸戦争と平成初期に変わったもの/アートと人間と芸能と性

9月9日(土)晴れ

今日は重陽の節句。九は陽が極まる数なので、それが重なる九月九日はめでたい日なのだが、台風の影響がない当地では穏やかな日和。最高気温は30度との予想もあるが、いまは22.8度でちょうどしのぎやすい。

「2.5次元の誘惑(リリサ)」のエピソード別人気投票の結果が発表され、大方の予想通り58話「主人公の物語」が第1位を獲得した。この回は奥村のおたくの熱い心情の激白が感動を呼び、主人公らしさが全開で2位のエピソードの倍以上の票を獲得したそうだが、それは多くの読者の一致するところだろうと思う。

以下感想なのだが、当然ながら夏コミ編、夏合宿編が強かった。私も何回か投票しているのだが、神回が続いているあたりになると前後でどこに投票するか迷うところがあって結果的に票が割れてしまったところもあっただろうと思う。また、投票時に春合宿編が進行中だったから、投票対象から外れてしまった最新回に投票したいと思うことがよくあった。これらは技術的な問題ではあるのだが。

キャラクター別にみると、ののぴ回推しがもっと強いかと思ったが、やはりみかりん推しには敵わなかった感じはある。でも、奥村回がぶっちぎりの一位だったのは、主人公の面目躍如だなと思う。

いろいろ考えていて思ったのは、リリサは主人公の一人ではあるけど主要な役回りは狂言回しであって、リリサの行動力がどんどん物語を回していく面白さがこの物語の魅力なのだと思う。奥村はそれを温かく見守る役であり、また巻き込まれてもいくのだが、それでもこの物語で多分作者さんが一番伝えたい「オタクの熱さ」というものをはっきりと体現している存在であるから、やはり奥村が主役なんだと思う。

だから奥村に熱烈に片思い(じゃないかもしれないが)している美花莉のヒロイン度がものすごく高く、おたくでないのにリリサや奥村にまきこまれていく美花莉がキャラクター人気投票の一位になるのもよくわかる。

ほかのキャラクターで言えば、95-96話の753(なごみ)回が投票が分散したけどかなりの強さを見せ、99-100話の夜姫回がもっと得票してほしかったのだが、この辺は読者の傾向というものが反映されているのかもしれない。

こういう人気投票見ると、普段Twitterで感想を読んでるだけでは認識が偏ってくるのはよくわかる。美花莉・リリサ・奥村が強いのは当然だけど、わたし的には思ったより強かったのが753で思ったより伸びなかったのがののぴと夜姫というところがある。まり姉は・・・予想は難しかったけどこんなところかなとは思う。普段の存在感は強いが主役になっているのは文化祭編とバレンタイン編で、文化祭編はかなり上位に食い込んだ。

アリアはお父さんとの再会回はもちろん強いと思っていたのでこれは予想通り。ほかの回はレギュラー出演でサブ狂言回し的な存在になっていると思う。オタクにないギャルの行動力で話をぐいぐい引っ張る縁の下の力持ち的な役割という感じ。

予想外だったのが122-124話のツバキ関係のところが20位以内に入らなかったこと。わたし的な1位は122話「業火」なのだが、メインキャスト絡みじゃないから入らなかったという感じかなと思う。その後はツバキちゃんも「味わいのある脇キャラ」的な感じに止まっているからこれからに期待したいところもある。

こうしてみてみると、「オタクたるもの他人の好きは否定しない」という第1回の奥村の発言がこの作品を成り立たせていて、「おたくはただ好きなだけ」「コスプレはやりたいからやる」「趣味を共有できる人たちがみんなで遊ぶと楽しい」「オタクは作品をリスペクトしている、それをないがしろにすることはたとえ作者であっても許さない」みたいな「おたく論」としてもかなりの強度で成立している。

それに恋愛の話も作者独特の見方、特に「おたくから見た恋愛」みたいなものをまゆり先生が示したり、けなげなみかりんの紅涙を絞られたり、また創作論についても「リリサのキラキラ」や特に春合宿前後のエリカたちとの絡みで存分に展開されていて、語るべきまた語られるべき多くのテーマが含まれている。

本編では夏コミ前にROM販売のブース獲得に落選し、いまのところレイヤーさんたちとの交換のみという話になっているが、「ただ好きなだけだからリリサのリリエルをほかの人に見せたくない」と思ていた奥村がリリサの本当の気持ちにこたえて四天王に匹敵する人気に成長させたように、ROM販売に関しても「本当は多くの人に見てほしい」というリリサの隠れた願いに気づいて何らかの方法で販売ができるようになるといいなという気はする。夏コミがどういう感じになっていくのかいろいろと考えたりはするのだが、まずは作品が公開されるのを待ちたい。



今朝ツイッターを見ていたら大島元衆院議長の「私の履歴書」が日経新聞のサイトに掲載されているのを読んだ。大島氏は平成2年から海部内閣の官房副長官の役に付いていたのだが、その時に勃発した湾岸戦争をめぐるエピソードである。

これを読んで、湾岸戦争の時にマンガ雑誌の「ビッグ スピリッツ」が戦争反対特集をしてたくさんの有名人から戦争反対アピールみたいなのが寄せられていたのを思い出した。
そういうのはマンガの政治化みたいな感じで嫌だなあと思っていたのだが、その中で一人山田詠美さんだけが「私の夫は米軍の黒人兵なのでこの戦争に反対だとは言わない」といっていて目の覚めるような思いがしたことを思い出した。

前の年に昭和天皇崩御、天安門事件、ベルリンの壁崩壊と時代が変わる大きな出来事が続く中で世界における日本の立ち位置が問われているのに、十年一日のごとくの反戦アピールというのも感度が低いなと思っていたので、いち早く態度を鮮明にした彼女は凄いなと思った。彼女の意思表示が「正しいか」どうかはともかく、と。

しかし考えてみると日本は「まがりなりにも武力は行使せず海外派兵もせずなんとなく中立っぽい」雰囲気は捨てて、はっきりとアメリカサイドに立ってすこしずつ「軍事力も含めた国際社会における役割」を果たせるように変化しているわけで、つまりはこの時の山田さんの言葉の方向へ動いたということになる。

私自身は武装しつつ連携相手にある程度フリーハンドを持っていたいところだと思うが、現実の情勢はなかなかそうも言ってないという感じではある。

平成初期の情勢はそうした世界史の変わり目という意味もあるが、軍事力を含めた国際協力の変化とかバブル経済からその後の「失われた30年」への変化とか、考えるべき大きなテーマがいくつもあるように思う。

今朝考えていて思ったのは、財務省を牽制する機構が政府内になくなっているのはかなり大きいのではないかと思った。戦前は内務省という巨大官庁があり、また陸軍省・海軍省という軍部があって大蔵省の独走を防いでいた。もちろん彼ら自身が暴走した面もあったわけだけど。また戦後は長い間、経済安定本部から経済企画庁という大臣が所管する官庁があって、経済動静を監督する役割があった。これが廃止されたのはおそらくは「経済を企画する」という社会主義、ないしはケインジアン的な発想が時代に合わないものとされたからではないかと思うのだが、結果的にはこれがケインジアン的政策をできなくしたことにつながっている気がする。この辺の省庁の復活も求めたいところだなと思う。


以前も書いたが「アートと人間」みたいなテーマを書くことを考えているのだけど、性的少数者の権利の問題で出てきた小児性愛者(ペドフィリア)の問題で大人の側ではなく子供の側にも欲望はあり、それは表現として大きく花開いたりするものであるから、それはそれとしてみていかなければいけない、みたいなことを書いた。

また、これも昨日書いたが今大きな問題になっているジャニー喜田川氏による性的虐待問題についても彼自身の複雑な人間性みたいなものに焦点を当てて考えていくべき問題があるように思った。芸能の問題においてもそうした性的志向の問題についても、彼自身の特異性だけというよりは、歴史的な文脈・社会的な文脈ないし文化や民族の文脈で読まないと分からない、というか読むと得るものがある部分があるのではないかという気がする。
芸能とかマンガやそのほかの表現まで含めた大きな意味でのアートと人間という問題には当然ながら性の問題は深くかかわっているわけで、そのへんのところを少し考えて書いてみたいと思っているわけである。
 

サポートありがとうございます。記事内容向上のために使わせていただきます。