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「勇気」が欲しい

 結局、自分が欲しているものは子どものころから変わらない。
 それは残酷なようでもあり、一貫した自分がいるような希望を持たせるものでもある。
 踏み込んで言えば、それだけ望んでいればよく、それさえ手にできればいい。

 10年前、実家に帰省したときに「元」自分の部屋の荷物を漁ったことがあった。押し入れの段ボールを開いてみると小学校〜高校までのアルバムや製作物が大量に出てくる。そんなとき、やっぱり見てしまうよね、アルバムや文集。懐かしい名前や顔を目にして、生き生きとしていた「今」だったはずの過去を思い出す。

 体が大きくなりすぎて、とくに小学生の自分なんて別世界の人間のように思えてくる。高校時代とそのときの自分にはまだ近さが残るけれど、それ以外はもうほんとに遠い。遠すぎて自分の過去の記憶が他人の記憶を見ているように感じる。それは今、近所で遊ぶ子どもたちを見ているような感覚だ。

 小学6年の文集を読み進める。やっぱ、この年になると自意識が芽生えか、みんなの表現することに個人差が表れておもしろい。ワルいやつらははっきりとワルくあることを表現し出すし、女の子が書くことの方が具体的で主張することにも筋が通っている(あれ、これってジェンダー的にあかんかな)。

 自分のページの番がくる。出席番号順にページ構成がされているから、ちょうど後半折り返し地点での登場。どれどれと読み進めていくがそのページレイアウトの平凡さよ。

 そして「自分の好きな言葉」という項目を目にしたとき、ハッとした。

 自分の好きな言葉の欄には「勇気」と書かれていた。その理由に

“勇気を持てばなにごとにもめげずに全力をつくせるからです”

と。

 どんな誰が言う言葉よりも、ましてやその当時発刊され話題になっていた『超訳 ニーチェの言葉』よりもはるかに力強く胸に刺さった。子どものころの自分と対面して、自分の恐れを指摘された気分。子どもでいようが、大人でいようが、自分が生きていくなかで欲している矛、あるいは盾のようなものは変わらないんだとそのとき感じた。

 あれからさらに10年経った。

 元自分の部屋は、再び自分の部屋になっている。あのときの段ボールだってそのままだ。部屋の整理をしていて、ふと誘惑に負けて開けてしまった。それはまたパンドラの箱か玉手箱のようで、時間の残酷さと切なさを浴びせてきたと同時に、一寸の希望を示すことも忘れなかった。

 31歳になった今だって「勇気」を欲しがっている。
 子どものとき観たデジモンで、主人公の太一が「勇気」について悶々とする姿を今でも思い出す。あのときの怖いものは無くなったのではなく、姿を別の形に変えただけだった。勇気さえあれば、今抱えるあらゆる諸問題が解決する、そんな希望的観測が頭をよぎる。

 恐れがある以上は、勇気を求め続けることになるのでしょう。何年経っても、おじいさんになっても。だけど、少しずつ力を蓄えていって、自分が恐れているものとの戦い方を覚えていくものだと思っている。だって、これまでだってそうだったし、これからもそうだ。絶対に。


P.S.
 
 ちなみに小6の文集によると、25歳の自分は東京あるいは埼玉で、漫画家になって編集者に漫画を催促される忙しい毎日を送っているそうだ。
実際は、25歳に埼玉のアパートを引き払って宮崎に帰ってきているのだけどね。

 そして31歳の今になるまで分野の違ういろんな仕事を経験してきた。
絵ではないけれど、言葉という表現のフィールドで仕事をしてはこれている。

 でもまあ、そんな未来もありえたのかもと夢想すると不思議と楽しくなってくる。

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