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朝ランでストリートアートを想う(宮崎の片隅のランニング日記 4)

第4回 11.28km Running(2022/02/20)


サンデーモーニングの朝ラン。朝6時半に起床の二度寝。スヌーズに起こされ7時過ぎにやっと体を起こす。車の音がほとんどしない外。カーテンの向こう側は曇り、灰色の空に少しだけ日の光を感じる。

一杯の真水とバナナを食し、入念にストレッチをして外へ出ること時間は7時40分。西風が強くて寒い。時を同じくしてアパート隣のなんちゃって高級マンションからブオンブオンと高級スポーツカーが出ていった。

朝だし、眠いし、お昼はいろいろしたいから今日は抑えめにいきたい。10kmランできればいいや、ペースはそこそこをキープできれば。

空気は冷たい。人気はほとんど感じられないけれど、意外と車はこの時間でも(この時間だから?)走っている。どこかのお宅はもう掃除機をかけている。お出かけ、仕事、通学、みんなどこへ行くのだろう。帰ろうとしているのか。
高齢者の運転するセダンが突っ込んでくる。怖いなあ〜と思いながらも日常茶飯事なその光景に慣れてくる。

飲食店が並ぶロードサイドを走る。朝から営業をしている食堂があった。店前の駐車場はほとんど埋まっている。中にもちらほら人がいる。みんなここがやっていることを知ってて来ているのだろうか。アパートからもそう離れていないお店、一度は朝早くに行ってみたい。おいしいのかな。

冷たい風を体に浴びつつも、10分も経てばだいぶ温まってきて信号待ちで足を止めると、体が熱を持っているのがわかる。寒いのに汗が出ててる。髪が湿っている。目に映る人たちはみんな寒そうにしているが僕は暑い。8時を過ぎてくると外を散歩しているであろう人、同じようにランニングしている人も増えてきた。

真っ直ぐ東へ走る。新しい道を開拓。幹線道路下の小さなトンネルをくぐっていく。絶対に夜通ったら怖いところだ。明かりはいっさいなく、昨日降った雨が溜まっている。壁にはスプレーで描かれたアートがあった。あんまり人通りのなさそうなトンネルやガード下って都市部であろうが田舎であろうが、そして国を越えようが、こういうアートが描かれている。万国共通の不思議。そういえばかつて毎日山手線に乗っていたときに「どうやってこれ描いたんだ?」っていうスプレーアートを目にしていた。どうやってそこに侵入するんだよっていう場所。よくやるよなあっていう。

ランニングをしているとよくストリートアートに遭遇する。実は見つけるたびに結構楽しんでいる。

昔はこういうストリートアートにいい印象がなかった。周りの“善き”大人たちのように、厄介なもの、危ない人たち・悪い人たちが描いたもの、消されて当然・消されるべきものっていう考えを持っていた。
けれど、20歳になったころには、むしろそういうものたちが愛らしく感じられるようになり、大人になってよりストリートカルチャーを浴びるようになって、そのカルチャーを理解するにつれて「ヤバいもの」っていう印象は薄れてきた。「けしからん」っていう何に対して怒っているのかよくわからない感情をいったん横に置いて、そのアートが描かれる背景、どんな人が描いたのか、いつ描かれたのか、ということが気になるようになり、自分にはこういう絵のイメージが浮かばないと素直に感心するようにもなった。

名前も顔も姿も知らない描き手を想像するのは楽しい。
そういう匿名性がストリートアートの醍醐味なんだろうか。

だからストリートから「落書き」と括られるものたちを、綺麗に一掃してしまう、一掃したくなる気持ちがなんで起こるのだろうと思うことが多い(確かに自分のお店の扉や壁に“勝手”に描かれていたら僕もキレるだろうが)。だいたいそういうものを消すときって、すごい恨み辛みが詰まったようにして念入りに塗り消される、あるいは洗浄されるのが常だ。もともとの壁色や素材の色が剥ぎ取れるくらい、もしくは塗り直す前の方がマシじゃんと誰もが思うような色を重ねるなど、なんだか感情に感情を塗り重ねた、だけど無機質な跡がそこには残っていく。公共の秩序を取り戻そうとしてかえって無秩序になっていくような。

すべてのストリートアート、落書きが良いものとは思わないし、そういうものには程度というものがあるのだろうけれど、もう少しそういうものに対する捉え方が柔軟になるといいな。どれだけ迷惑なのか、誰が迷惑なのか、本当に迷惑なのか。

と、走っているときはそこまで考えていたわけではないけれど、ストリートアートのことを頭に浮かばせながら後半5kmを走った。折り返しに強く吹き付ける西風。それに逆らって走ったからか、いつもの10kmよりかなり疲れた。9時前に帰り着いて、炊き立てご飯を食べたあとは12時半ごろまでバタン。起きてこれを書いている今も疲労が。

ああ、仕事をしなきゃならんのだが…、


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