官僚の目標とモチベーションについて
私はこれまでの人生で、目標を立てて、その達成に向けて日々努力していく、というような形で、何かに挑むモチベーションを維持していた。
ライフステージごとに、それぞれ大きい目標を立て、達成できるようにひたすら頑張った。
小学生の頃の目標は、中学受験で志望校に受かること。
中学生の頃の目標は、テストや模試の学年順位で1桁の順位を取ること。
高校生の頃の目標は、東京大学に受かること。
大学生の頃の目標は、国家公務員になること。
勉強が特別好き、というわけではなかったが、自分の努力の成果が点数や実績によって可視化されると嬉しかったし、それに向けて頑張ることができた。
そして大学を卒業し、社会人になった今、私は大きな悩みを抱えている。
社会人になってからの「目標」はどうしよう??
無論、国家公務員になろうと思った理由ははっきりとある。
きっかけは高校時代。家庭の経済事情から大学に進学ができず、悔しい思いをしていた同級生がいた。
本人にどれだけ能力ややる気があっても、置かれている状況によって自分の進みたい道に進めない。そんな人たちがたくさんいることを知った。
私は、日本に住む人々が、「自分のやりたいことを諦めなくてすむような社会」になってほしいという思いから、国家公務員という立場で、よりよい国にしていきたいと思い、今の省に入省した。
働き始めてからも、この気持ちは変わらない。私が国家公務員として働く上での最終目標はここにある。
だが、これはいわば究極の目標。自分の努力の結果が目に見えて現れるのはずっとずっと先かもしれないし、もしかしたら自分の生きている間に実現できないことかもしれない。
そして厄介なことに、この目標は、成果が目に見えて分からないことでもある。「やりたいことを諦めなくてすんだ」人がどれくらいいるのか、自分のやったことがどれくらいそれに寄与したのか、はっきりとは分からないことだ。
学生の頃の目標はとても分かりやすかった。
受験で合格するという目標は、合格したら達成できたと言えるし、模試の順位や点数ははっきりと数値化される。
だが社会人となるとそうも行かない。
総合職は数年で異動があるので、何か一つのことを追求してできるとは限らない。
異動先も希望は出せるものの、希望が通らず、思ってもみなかった部署に行くことなんてしょっちゅうだし、自分のやりたい仕事ができないことは往々にしてある。
究極の目標の達成に向けた、段階的な目標を立てたとしても、その目標通りにうまく行かないことの方が多いのが現実である。
無論、やりたい仕事でなかったとしても、それが最終的には自分の達成したい究極の目標の一助になることはある。
自分が思ってもみなかったところで働いてみて新たな視点を得たり、価値観が変わったりすることもあると思う。
だが逆も然り。自分のやりたくない仕事が本当に意味のない仕事だったりすることもある。こればっかりはやってみないと分からない。
今私は官僚として働き始めてまだ数年。まだまだ経験も浅いし、分からないことが多い。
今の自分の仕事が、自分の究極の目標の達成の一助になっているのかも良く分からないし、むしろ政治の難しさを知って「本当に自分の力でどうこうできるものなのか…?」と不安になることも多い。
大学合格、のように分かりやすく成果が見える目標があれば、それでも愚直に頑張れるのだが、究極の目標は成果ははっきりと見えにくく、段階的な目標も立てにくい。
ゆえに、モチベーションの維持が難しいのである。
「自分が今やっていることは本当に意味があるのか…?」
「自分はこのまま官僚として働き続けていいのか…?」
「自分が今やっている仕事は自分の究極の目標に向けて役に立っているのか…?」
常にこんなことばかり考えてしまうのである。
残業も多く、働き方にはまだまだ課題も多い霞ヶ関。モチベーションが維持できなければ、働き続けるのも難しい。
この組織で働く上で、どう目標を立てて、どうモチベーションを維持して、どう頑張っていけばいいのか。
私が今抱えている1番の課題である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?