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「東大生」の価値は現役のうちがピーク?〜「東大生」と「東大卒」の違い〜


「東大卒」って言う機会

東京大学。言わずと知れた日本最高学府であり、
テレビやYouTubeなどでも「東大生」への憧れや尊敬は根強い。

実際、東大生であることによって得られる恩恵はたくさんあると思う。
私も、在学中は「現役東大生」という肩書きを存分に活用して、勉強法の本の執筆に携わったり、給料のいい教育系のバイトをしたりしていた。
「東大生〇〇」といった肩書きがあれば普通の大学生より注目を集めるし、仕事にも繋がりやすい。
就活の時でも、いくら最近は学歴をそれほど見られなくなりつつあるとはいえ、「東大生」という肩書きはいまだに有利に働く。

ただ、就活を終え、東大を卒業し、社会人になった今、思うことがある。

「自分が東大卒だって誰かに言う機会、なくね???」

そう、在学中は、「学生」という身分だから、
自分の所属が「東京大学〇〇学部」だった。
すなわち、自分の身元を証明する一つの手段が「東大生」であることだった。

だが、社会に出てからは違う。
自分の所属は私の場合は「〇〇省」だし、会社勤めの人は「〇〇社」だし、
「東大卒」であることは、誰かに聞かれるか自分から言うかしないと話す機会がないのである。

正直当たり前といえば当たり前の話で、自分が通っていた小学校とか中学校とかの名前を誰かに言うことがないように、自分の肩書きが更新されるたびに、その前に持っていた肩書きは隠れてしまう。
自分で「実は僕東大卒で〜!」みたいなこと言うやつは正直イタすぎるので、よほど誰かから聞かれることがないと言うこともない。
(このnoteを書いている時点で「実は僕東大卒で〜!」と言いまくっているようなものだが、それは許してほしい笑)


社会の中での「東大卒」

そしてもう一つ。
「働く中で、そんなに学歴は気にならない」
ということである。
いや、もちろん学歴を気にしている人もいるだろうけど。
働いていく中で、学歴って本当に関係ないな、と思う瞬間ばかりである。

働いている中で、「この人すごい仕事できる」「この人尊敬できる」と思える人に出会うことはたくさんある。
でも、じゃあその人がどこの大学を出ているかなんて正直気にならない。
東大卒であるというのは受験勉強が得意だったという証明になっても、仕事をする上で求められる能力は異なるし、そこに学歴は関係ない。

おそらく、「東大卒」の肩書きを使わなくなっていく理由としては、そこが一番大きいんだと思う。
結局は、自分が今やっている仕事や生み出している価値に、「東大卒」という肩書きをつけなくてもよくなっていくのだろう。


「東大卒」と「東大生」の持つ価値

とまあ色々言いつつも、社会の中で東大卒であることがプラスに働くこともあるにはある。
例えば私が働いている霞ヶ関のように、東大卒の人が割合として多く働いている場所では、単純に同じ大学の先輩・後輩が多い状態なので、仲良くなれるきっかけになりうる。
(同じ東大卒なのかを確かめるすべがほぼないのが難点だが…)

それに、「東大卒」という肩書きがつくことで有利に働く職業もある。
教育系の分野は一番顕著だろう。
同じ勉強法の本を書いても、東大卒の人が書いたものとそうでないものとでは説得力が違うように思う。
芸能人など、メディア露出のある職業の人にとっても、「東大卒」の肩書きは有利に作用する。
その人の本業をよく知らないけど、「東大卒〇〇」だからクイズ番組に出ている、みたいな人は結構いる気がする。

でもやっぱりそれは、そうした分野で活躍している人にとって、「東大卒」という肩書きが、東大入学の難しさゆえに、「試験」「知識」「勉学」といった面の強さを持っていることの証明として使えるから。
社会に出れば、「東大卒」という肩書きが必要ない、むしろ足枷になるような場面もある。
「東大卒」ということで自分の能力以上に期待をされ、その期待に答えられずつらい思いをしている人も多いと聞く。

社会の中では、職業や立場によって求められる能力が無数にある。
東大卒の人間であろうが、勉強ができること以外のあらゆる能力が評価される。
私はそこに、「東大生」と「東大卒」の肩書きの持つ価値の違いがあると思う。


「東大生」の持つ価値のピーク

現役の「東大生」であること。
勉強ができるということが評価される「学生」という身分で、
6・3・3・4制の教育課程の最後の4年間を、日本最高峰の大学で過ごしているということ。
勉学に励み良い成績を取ることが評価される学生にとって、「東大生」という肩書きはこの上ない価値を生み出している

社会に出てから、評価の軸が多様化し、自分に求められるものが変わってくると、「東大卒」であることの価値は次第に薄れていく
「東大卒」であることが有利に働く職業の人を除いて、世間にいる東大卒の人のほとんどはその肩書きをかかげなくなり、新たな別の肩書きを手にする。

そういう意味で、私は「東大生」という肩書きの持つ価値は「東大生」である在学中がピークである、と思うのだ。



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