映画を観ること、本を読むことの意味
今は、コロナウィルスの問題があるので、簡単には人に会えない。こんなときは映画を観たり、本を読んだりして、たくさんの人生に出会おうと思う。
昔は純粋に、活字を追いかけることを楽しんでいただけだった。でも、
「本を読むことは、誰かの人生を疑似体験して、自分だったらどうするかを考えるチャンスだ」
「映画を観ることは、誰かの人生のダイジェスト版を、効率よく体験することだ」
と気づいたのは、遅まきながら30歳くらいだったかと思う。
そのころ、海外のプロサーファーの動画をYouTubeで見ることにはまっていて、隻腕のサーファーとして知られるベサニー・ハミルトンの存在を知った。本や映画も見ているうちに
「もし、私がベサニーさんの立場だったら?」
「もし、アラナ・ブランチャードさんの立場だったら、どうベサニーさんに接するだろう?」
と考えるようになったのだ。
最近、観た映画をいくつか紹介する。
エール!
すごいよかった!
初めは健聴である主人公の立場で映画が進んでいく。
でも、途中で主人公が歌を歌っているとき、聞こえないご家族の立場で撮影されている部分がある。
私も聴力が落ちてまだ慣れない時、こういう感じだったんだよ!って膝を打つような演出だった。
レイラ 売られた少女
すごくよかった。子どもの人身売買や児童労働、虐待の連鎖、移民の問題など、重いテーマがたっぷりと盛り込まれていながら、レイラのひどい日々と裁判の様子が同時進行で描かれる演出のおかげでストーリーがわかりやすい。
家事労働の対価を15万2000ドルを受け取ったはずのレイラが、カフェでバイトをして生活して、ちゃんと若者らしい経験を積んでいるというエンディングがすてきだね。
デンジャー・コール
真犯人を見つけ出し捕まえるまでの流れは楽しめる。ただ、この一家がターゲットになった理由がわからないとか、「歴史に名を残したい」という動機がいきなり明かされるとか、あれこれツッコミながら観たい映画。
ラスト・サバイバーズ
事前にネットでの評価を調べたところ「最後まで見られる」にもかかわらず「全体的な評価はいま一つ」という状況。逆に気になってしまう。
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ここまで水がなく治安も悪いエリアに、カーソン一族がやってきて「カーソン王国」を築こうとした理由として
「娘は競争社会に耐えられない」
というセリフがあった。
え? 競争社会に耐えられない人が、ここまで乾燥した灼熱地獄みたいな、サバイバル世界で生きられるのか?
河野陽炎のコンサルティング
このような状況下でもお申込みいただいて、ありがたい限りです。
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