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旅するプロ資格マニア

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プロ資格マニア(ライター、セミナー講師、コンサルタント)の河野陽炎は、よく旅をします。願書提出のため、受験のため、ホテルにこもって勉強するため、と理由はさまざま。資格マニアの皆さ…
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#エッセイ

理屈抜きで「私は幸せなんだなぁ」と心から思える瞬間があったというだけで

女性としての健康を損なっていることで、あれこれ言われるのがつらかったり、すごく反発を憶えたり、時には泣きながら木刀を振り回したりしたこともあった。 でもあるときから、何を言われようが平気になった。 そして「あぁ今自分が幸せだから平気なんだなぁ」と気づいたのだった。 女性として、人間としての幸せの形はこうあるべしとか、いやいや、幸せの形は人それぞれであってよいとか。 何かそういうのを超越して、理屈抜きで 「私は幸せなんだなぁ」 と心から思える瞬間があったというだけで、も

もしこのまま会えなくなったら

16年くらい前のある日、兄のように慕っていた人が隣の県に転勤して、簡単には会えなくなった。 会えなくても、連絡する手段はあったし、していた。だけど、半年くらいたったある日、強烈に「もし、どちらかがこの世を去るようなことがあったとして、今のままだったら、絶対後悔する」と思った。 それで、電車で2時間半かけて会いに行った。 その人のほうが16歳くらい年上なので「何かあったとして、俺のほうが早く死ぬのは確実やろ」とおっしゃって、会えてよかったと言ってくれた。1度会いに行けば、

私は常に助けてもらう側で、お医者さんは常に助ける側だと思っていた

人生が終わるとき「あぁこの人と出会えたおかげで、幸せな人生だった」と思える出会いが一度でもあったなら、それは幸せな人生だと思う。 私は9年前の今頃、手術のために専門医のZ先生に出会って、 「あとから再発とかないよう、大胆に切ってほしい」という私と「まだ36歳なんだから、体のラインが変わらないように手術をしてあげたい」という先生と、いろんな話をした。 その後、私の人生にも変化があって、先生がなぜ「体形が変わらないように」とおっしゃったのか、わかるようになった。 そこまでお

メトロノームの単調な音でさえも誰かを救ってくれる

少し体調を崩してしまい、だれとも会話せず横になっている時間が増えていました。若いころの私なら、動けない自分の体を嘆き、活発に動いている同世代の友人たちをうらやましく思い、将来の不安でいっぱいになっていたことでしょう。 でも今は、たとえほとんど動けないときでも、そんな気持ちにはなりません。 「音」とのかかわりの大切さを教えてくれた2冊の本私がまだ子供のころ、両親がアンネ・フランクの生涯と、アンネの日記について解説した本を買ってくれました。隠れ家で暮らすアンネとその家族、同居

大阪で生まれた煉瓦は、今…… 授産事業としての煉瓦製造について 

私が住む大阪府和泉市は、堺市と岸和田市にはさまれています。堺市と岸和田市は、明治時代、日本製の煉瓦を生み出すことに、大きな貢献をした人や会社が存在しました。 堺市には登録有形文化財である「旧丹治商会社屋、門及び煉瓦塀」があります。 丹治商会は、瓦師であった丹治利右衛門が設立した煉瓦製造会社です。丹治利右衛門は日本の民間煉瓦会社のなかで、かなり早い時期に煉瓦製造を始めています。 いっぽう、岸和田市には「岸和田煉瓦株式会社」があったことで知られています。岸和田でとれる粘土は

街角の花が教えてくれたこと

婦人科でホルモン剤をいただく。そして体重の話。 ホルモン剤を使う治療は、結果が判断できるまで時間がかかることも多くて、不安やイライラを覚えたことも昔はよくあった。 でも、待つ時間とは「楽しみにできる時間」でもある。不安になりながら待つか、楽しみにしながら待つか、選ぶのは自分。 街に花があふれる季節になれば、そのことがよく分かる。 花の種をまくときに、早く咲けやゴラァ……ってイライラしながらまくことはない。きれいな花が咲く日を楽しみにしながらまく どんなときもよい結果

I will miss you.

出会いがあれば、別れがあるのがこの世界。あなたとも、もうお別れだと思うと、胸が痛くなる。 iPhone5が充電できなくて、困っていた5年くらい前のあの日、あなたは手を貸してくれたね。 iPhone5をしつこく使い続けた私だけど、あなたとの出会いから2年後、ついに故障して使えなくなった。修理専門店でもサジを投げられたけど、あなたは私が決断するのを黙って待ってくれたね。 中古のiPhone6なら1万3000円くらいで買える時代だし、SIMカードも自分で移せば問題なくて、便利

誰かが手を貸して、この世に送り出してくれた時点でその魂は「要る」のだ

人は、生まれる時期と亡くなる時期を自分で決めることができないし、決めてはいけないのだとも思う。 そして、生まれたときと亡くなるときは、必ず誰かの手を借りなければいけない。生まれたら誰かに食べさえてもらい、着替えさせてもらわなければならない。亡くなるときも、病気で誰かの手を借りることがあったり、死後の始末をしてもらうことがあったりするだろう。 人の手を借りてまで、この世に生まれてきた魂には、すべからく意味や価値がある。魂がこの世を経験することで、さらなる意味が生まれるのだと

夢を叶えると決めた日から今日という日が大事な1日になった

私にも、ろくに起き上がれず「夢なんてほんとに叶うのかなぁ」と思ってた日々がある。 でも「いつか、この夢を叶える」と一度決めたら、今日という日は「夢がかなう日」につながる大事な日で、たとえ寝ていることしかできなくても、夢に近づく1日なんだって思えた。 大事な1日だから、食事に気をつけるとか、体を動かすとか、本を読むとかできることをしようと思えた。 大事な1日だから、笑って過ごそうと思い、笑えるテレビを見すぎて酸欠になった(喘息だったので)こともある。 今となってはよき思

床に落ちた刺繍針が思い出させてくれたこと

先日、刺繍針を床に落としてしまった。見失った針をそのままにしておくと、踏んでケガをしたり、家電製品がショートする原因になったりしかねないので、何が何でも見つけなければならないと焦った。 ようやく見つけたときには、安堵のあまり泣きそうになった(実際はそのタイミングで新規のお客様から打診があり、慌てて対応することになったのだが)。 このような「予定にはなかったが、緊急で重要で予想外ななにか」が、人生に飛び込んでくることはある。 そして、あらゆる事象について予想し、予防し、被

つらいのが自分でよかった

病気のつらさをわかってもらえない、という話がよく分からなかった。 わかってもらってどうするの? というか、むしろ大切な人がこんなつらい思いをするのは見たくないから、つらいのが自分でよかったと思っていた。 30歳くらいでアナフィラキシーになったとき、ますますそう思ったな。 最近、副作用が軽い薬、楽な治療法が開発されてるし、薬代もだいぶ下がってる。ありがたいと思う。 でも、こんな楽な治療がホントに効くの? もっとつらくても大丈夫だよとか考えてしまう私はどえむ?

文句ばかり言っていたあの人にとって世界はどう見えていたのか

昔、文句ばかり言っている人との付き合いにとても悩んだことがある。逃げ出すしかないくらいに悩んだものだ。 今思うと、その人は 「正しいのは自分なのに、誰もわかってくれない」 という思いでいっぱいだったと思う。 正しいはずの自分を、皆が「そうじゃないだろう」と否定し、文句を言えば「あぁはいはい」と適当にしか聞いてもらえず、時にはたしなめられる。 だからますます「私のほうが正しいのに」「私の正しさを認めなさいよ!」と怒りが募っていく。 そういう毎日は、すごい苦しいと思う。

学校は卒業の時期が決まっているから 【プロ資格マニアの軌跡】

ドラマ「青のSP―学校内警察・嶋田隆平―」を毎週楽しみにしている。 生徒にはいろんなタイプの人がいること、授業の受け方、休憩時間の過ごし方など、それぞれの個性が出ていることが見えてくる。 たとえば、学校には「今を楽しみたい」と思う生徒もいれば、「将来のために今を過ごしたい」という考えの生徒もいる。ここまで意識の違う人が集まる空間は、社会に出てからだとなかなか出会えないかもしれない。社会人は「集まる」時点で、何か1つの目的を共有してることが多いからだ。 「学校」というもの

「しんどい話題」を持ち出されたとき 【プロ資格マニアのつぶやき】

その場にいない誰かの噂話や悪口、病気自慢、ズケズケとこちらの事情を詮索するといった「しんどい話題」に接するたびに、私は疲弊してしまうタイプだった。 ただ、私の感じ方の問題で真実は違うかもしれないのだけど 「この人は、本当に噂をしたいとか、病気の話をしたいというより、共通の話題を出しているつもりなだけなんじゃないか?」 と考えて、楽になったことがある。 もちろん、どういうつもりであったとしても、人の噂話とかは感心できる話題ではない。でも「場を盛り上げよう」というサービス精神