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コロナ×人権 ① ~緊急事態宣言~

なぜ日本の緊急事態宣言は強制力を持たないのか

本日から7都府県を対象に「緊急事態宣言」が出されました。ただ、この宣言には強制力はなく、より強い要請と要請に従わない業者名を公表する程度に限定され、欧米に見られるような強制的な外出禁止令と違反に即する罰金はありません。ちなみに、日本のような最低限の経済活動を妨げない方式を採用している国はスウェーデンがあるそうです。(緊急事態宣言に関する詳細な情報は各自でご確認ください。)

なぜ、日本は海外のような強制的な処置が取れないの疑問に思った人も多くいるのではないでしょうか。そのような措置をとって欲しいと思っている方も多くいるのではないでしょうか。

その理由は単純です。日本の法律と海外の法律が違うからです。

菅官房長官も6日の会見で次のように述べています

「日本の法制度では欧米のロックダウンのように強制力を持って都市を封鎖する仕組みはない。ここは明確に違う」と述べた。

いやいや法制度がうんたらとか言ってる場合じゃない!緊急事態なのだから今すぐにでも都市封鎖するべきだ!という気持ちもわからなくもないですが、たとえ緊急事態だとしても法律に書いていないことを実行することを許すことは日本の法制度の根本を揺るがしかねない大問題になります。(普段から法律違反すれすれ(?)のことをいろいろやっている政治家がこんな時に法律に固執するのは滑稽な気もします。もちろん法に則ることは正しいことです。)

日本の憲法における緊急事態の規定

じゃあ強制力を持った法制度を作ればいいじゃないか!と言われればそれまでなのですが、それには憲法に関わる問題があります。

それは、日本国憲法には緊急事態に関する条項がないのです。
(唯一あるのは、参議院の緊急集会です。)

第五十四条
2衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。

緊急事態に関する条項がないため、国民の様々な自由や権利を(ある程度は)侵害する可能性のある法律は裁判所に憲法違反と判断される可能性もあります。(実際には法律を作ってから裁判所が判断をするまでには時間差がありますし、裁判所が意見判決を下しても直ちに無効になるわけではなく、状況によっては許容されうる範囲と判断される可能性もあるため、やろうと思えば全くできないことではないようにも思います。)

緊急事態を憲法に定めるということはどういうことを指すのかというと、

国家緊急権は、国家存亡の危機において憲法保障のために行使されるもの
であるが、他方で、一時的であれ、立憲的な憲法秩序を停止し、一国家機関への権力の集中と強化を認めるものであるため、立憲主義を破壊する危険性を有しており、その権限行使は、厳格な要件の下においてのみ認められるべきであるとされている。
(『「非常事態と憲法」に関する基礎的資料』安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会(平成 15 年 2 月 6 日及び 3 月 6 日の参考資料)衆議院憲法調査会事務局発行)

つまり、
国家の緊急事態(軍事的危機・自然災害等)において行使される強制力は、本来国家を縛るものである憲法(=立憲主義)を揺るがす危険性がある
ということがわかります。

こうした国家緊急権を憲法に組み入れるかどうかについてはこの委員会でも意見が対立しています。こうした是非については私も勝手なことは言えないので控えますが、ただ、こうした緊急事態に関する条文が憲法にないのは、日本の歴史に関係があると考えられます。

日本の歴史からみる緊急事態宣言

戒厳令という言葉は聞いたことがあるでしょうか。大日本帝国憲法下にはこうした緊急事態に際する条文として、戒厳令をはじめとしていくつかの条文が定められていました。

戒厳令とは、戦時や自然災害、暴動等の緊急事態において兵力をもって一地域あるいは全国を警備する場合に、国民の権利を保障した憲法・法律の一部の効力を停止し、行政権・司法権の一部ないし全部を軍部の指揮下に移行することをいう。

こうした戒厳令は日本の歴史において3回発動されました。日比谷焼打事件、関東大震災、二・二六事件の際です。

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日比谷焼打事件(日露戦争の賠償金がゼロだったことにより民衆が憤慨した。戒厳令が発動された初めての事例となった。)

各事件の詳細は省きますが、様々なところで緊急事態に必要とされる以上の人権侵害にあたる行為を軍部が行ったことは事実です。緊急事態に軍部の介入を許したことが、その後の平時にも軍部が様々なところに介入する余地を生み出してしまったのです。

こうした国家権力の暴走への反省から、日本国憲法には緊急事態に関する条文を組み入れることに慎重になったと考えられます。

緊急事態に国家権力の介入を許すことの危険性

とは言っても、これは戦前の話で、さらに軍隊の話でしょ?と考えるかもしれません。

戒厳令 = 緊急事態時に、軍部が介入
緊急事態宣言 = 緊急事態時に、政府(行政府)が介入

といった違いはあり、全く同じのものではありません。ただ、先ほども述べましたが、国家の緊急事態(軍事的危機・自然災害等)において行使される強制力は、本来国家を縛るものである憲法(=立憲主義)を揺るがす危険性がある条文である。ということです。

サピエンス全史の著者で有名なハラリ氏は以下の記事で、プライバシーと健康の問題を上げながら、本来は両立できるものであるのに、あたかも両者は対立関係(例:健康を守るためにはプライバシーに関する情報の掌握は必要・仕方がない。)として掲げられ、現代においても知らぬ間に人権に対する国家権力の介入を許してしまう可能性があることを述べています。また、「緊急時」の臨時措置といったものが、いとも簡単に「平時」においても引き継がれてしまうことも指摘しています。

最後に

安倍晋三首相はこうした現在のコロナの事情を鑑みて(ただ、緊急事態条項は以前から議論に上がっていることは、先ほど述べた通りです。)、改めてこうした改憲議論の必要性を促しました。

必要なことは、緊急事態条項の必要性の有無を感情的な議論に止まるのではなく、緊急事態条項は憲法の基本理念である「立憲主義」(=憲法は国家を縛るもの)と反する条項であることを頭に入れた上で議論することが求められるでしょう。

最後に、こうした強制力のない方法がうまくいくかどうかは私たちにかかっています。

ニューヨーク・タイムズは「日本はこの数か月間、他の国が取っているような厳しい措置をとることなく、感染者を抑えてきたことで世界を当惑させてきた。今回の緊急事態宣言は惨事を避けるのに間に合ったのか、それとも遅すぎたのか、専門家も判断できずにいる」として、専門家の間でも評価が分かれていると伝えています。

ぜひとも、世界に日本人の国民性の高さを認めてもらうことができるように、改めて人権と健康は相反するものではないことを世界に証明するためにも、とはいえ何より人命が大切であることを念頭に、国民一人一人が自覚を高めていきましょう。

本当にコロナよ止まれ。みんなで止めよう。


まだ駆け出し者の文章を読んでくださり本当にありがとうございます!