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コンビニ人間を読んで

短期間で色々と小説を読んだけど、(正欲、夜明けのすべて、などなど)その中でもコンビニ人間をまず感想を書きたいと思った。
他の本の感想はまた少しずつ書いていこうと思う。
なぜコンビニ人間なのか。
自分の中ではかなり異色な作品だったから。
正直なところ、正欲の方が物語の描き方とかストーリー性は成熟していていたし、他の作品と比べてもその点は否めなかった。
ただ、ストレートに生きる事について考えるには良い作品だなと思った。
またネタバレしない程度で書いていこうと思います。

人は他の人の色が入ると自分の中にあるキャンバスで混ざり新しい色に変わる。
元の色に近い人もいれば全く違う色に変わる
その人の意志の強さ、弱さや性格、考え方で色合いは変わるのだろう
一つのコミュニティや組織に属することは人を変える
そうなると個性ってアイデンティティって何なのかって疑問が出てくる。
個人的な意見だけど個性って、人の真似事ベースにして自分の日々の生活だったり、生き方、性格、考え方で自然と完成するのかって思う。
自分にはアイデンティティがないって思う人は多いだろうし、歳を経るにつれて社会や組織に組み込まれるとそんな事を考えなくなる。
別にアイデンティティや個性が稀有な才能である必要はないけど、自分のアイデンティティを認めることが他者と自分の違いを認めることになる様に思える。
この物語の主人公は色んな見解があるらしいが、一般的な側面で物事を見ることが出来ない為に苦しんだ結果、他者の真似をして社会の中で生き抜こうとする。
よく言う普通になる為に。
自分自身もこの主人公と重なる部分がある。
いつも他人や置かれた環境を俯瞰して見ていて、何が正しいのか、間違えなのかを考えてしまうことがある。
白黒ハッキリつけることが全てでは無いことは社会に揉まれて、様々な色が自分のキャンバスでマーブルを描きながら、色を変える度に分かったことの一つだった。
今だに正しさと間違いの間で苦しむことがある。
基本的に自分の中には0と1の間が自然に存在しない。
その時には一旦その考えや、他人、置かれた環境から離れる。
それが今の自分の処世術で、そうする事で冷静な人間に見えるらしい。

ざっくり言うと他人から影響で人は社会の中で生きていると思う。
能動的な影響と受動的な影響が存在していて、能動的なものは例えば、ファッションで雑誌とかインスタでモデルが着ているものを真似たいとか、芸能人の髪型を真似たいとか興味関心があるもの、そして社会や組織に溶け込み生きる為に自分を変容させることだと思う。
要は郷に入らば郷に従えということ。
受動的な影響とはどうだろう。
例えば親や学校の先生、会社の上司に小言をつかれて自分を変えざるおえない場合なのだろうと思う。
それに対して反発したり、疑問を持つからそう簡単に受動的な影響で人はなかなか変わらない。
簡単に言えば好きなことや興味があることなら人は幾らでも変われるし、嫌なことには多大なストレスを感じて変わろうと思えないということ。
ただそれすら感じず、自分の意志が無い訳ではないけど、カルピスの原液を薄めて味のしない白い液体の様な人からすれば、とにかく生きる為に同じ濃さのカルピス達にならないといけないという強く痛いぐらいの感覚で擬態だけしようとする。
結局、薄いカルピスは薄いままで似たもので終わってしまう。
だから白さだけは同じ。
社会やコミュニティから剥がれてしまう見えない痛みはその当事者しか感じ得ない。
世の中との違和感は自分もずっと抱えていたし、今もそれを感じて日々を生きている。
みんな同じで同じじゃない。
そう思えればその違和感を好きになれると思えるのに。

かなり自分の考えばかりの感想になったけど、本作に出てくるコンビニは主人公にとってはアイデンティティであり、社会と繋がる為の命綱だったりする。
自分の全てが存在する場所から追い出されること、存在出来なくなることは恐怖しかない。
むしろ絶望しかない。
どんな人でも生きる為の場所に寄りかかっていて、その安心感があるから生きている。
だから糸の切れた凧になれない。
急な風で切れた凧はどこまでも飛んでいく。
二度と結ばれない糸を揺らしながら。
僕はそう思っている。

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