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根性がないとダメなのか?〜地元を盛り上げる編

ー前回の続きー
我々ホント凡才の集まりでしたが、この時のイベントをホント頑張ってバンドを上向きにしたい!と力を合わせて活動していました。
周りの方にも沢山迷惑をかけた場面もあったかと思いますが、必死でした。
この時の体験や周りの方から貰った言葉は今でも自分の金言として仕事に活かしてます。ありがとうございました。

そんな夢のようなイベントも終わり、次はシングル曲を売りまくるために関東をグルグル廻ってライブをしまくる訳ですが、、、

ー関東の地方?埼玉を廻ってみるー

我々は何気に大事な事を忘れていました。
そうです。
地元埼玉を廻っていませんでした。
埼玉といえば大宮や新都心になるのですが、我々は天邪鬼の集まり。
地元所沢を盛り上げようじゃないか!
と所沢に唯一あるライブハウス
『新所沢peggy day』
でイベントをしよう!と沸きました。
この地元ライブハウスである程度地元のバンドマンとも交流出来るし、地元の仲間ともお互い刺激し合えるし最高な一日になるな!と確信した我々は新所沢に焦点が行くようにガンガン埼玉巡業のスケジュールを立てて行きました。
大宮で我々は路上ライブしたり所沢の駅前で路上ライブしたり浦和でライブしたり、、、沢山ライブして巡業しました。

特に大宮や所沢での路上ライブやライブハウスでのイベントは数数えきれないくらいの思い出があって語りきれませんが、店長さんがとにかく熱い人物で『君たちはもっと熱量のある演奏が必要だ!』と熱く語ってくれました。
当時我々はバンドアレンジを綿密に仕上げて丁寧に演奏して初見の方にもしっかり届ける、と言うのがポリシーでした。
演奏力も低かったので、普通に演奏してたらノイジーになってしまうし、ほかのバンドと差が付かないと感じていたからです。
この時は技術にしか目がいってなかったのでかなり浅はかな考えだったと思いますが、当時なりにめちゃくちゃ考えてライブはやっていました。
地元を盛り上げ拠点をしっかり作り、埼玉でお客さんを増やしてそれを東京で爆発させる。。。それが当時のうちらの考えでした。
特に所沢はかなり穴場で、大っきい地元の商店街もめちゃくちゃ応援してくれて、地元の新聞も取材してくれてお祭りなど沢山出演しました。
そこで沢山の地元のバンドと仲良くなりつつ、定期的にイベントを開催して着実にお客さんを増やしていったのでした。

そんな我々のバンドですが終わりには着実に向かっていきました。
そうです、解散です。
バンドは『解散』と言う二文字からは逃れられないのです。
次回は我々のバンドが解散するきっかけをお伝えします。


つづく

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